Scene3-10 ソラに会いたい
璃玖は携帯端末を握りしめたまま、線路を左手に見ながら駅までの道を行く。不意に喉の渇きを感じたため、自販機の前で立ち止まると、端末に手を伸ばした。そして気が付く。
「うわ、これ電子決済使えないやつか」
財布の中身を確認してみると、小銭はほとんど無かった。代わりに千円札が数枚入っていたが、生憎、目の前の自販機は旧紙幣しか対応していないような古いタイプだった。五年も前に紙幣が切り替わったのに、設備の更新は遅々として進んでいないようだ。
「この近くで飲み物売ってそうなのは」
今しがた通り過ぎたドラッグストア。ほんの数十メートル戻れば確実に飲料が手に入る場所がある。けれども、なんとなく来た道を引き返すことはしたくなかった。
「くそっ、なんなんだよ」
璃玖は自販機の前でへたり込んだまま、大きく肩を落とす。
もやもやする。苛立って仕方がない。何に? それすらも、わからない。
茉莉からソラに告白したことを知らされた時から、胸の奥の方が騒ついて、得体の知れないノイズのような感情が脳内を駆け巡っていた。
さらに、茉莉の主張する『ソラはどこまで行っても男の子だ』という意見。
……その通りなのでは、と思ってしまった。なのに、どうも納得できないというか、別の結末を望んでいる自分がいる気がするのだ。
「俺は、ソラが心から女の子になることを望んでいる……?」
璃玖にとってそれは自分の信念に反する考えであった。どんな結末も受け止めると明言しておきながら、心の中では特定の状況を望むなど。しかも、よりにもよって女の子としてのソラを、だ。
今の姿が似合いすぎているから?
女の子であることを一旦受け入れた今の方が、引きこもっていた時期よりも安定して見えるから?
それとも、現状では身体の変化を元に戻す方法が無いから?
あるいは────あの人に、そっくりだからか。
どれも合っているようで、どれも違う気がする。璃玖の抱えるモヤモヤの原因が、璃玖本人にもよくわからない。
彼の握りしめた端末は、ソラに宛てられたメッセージで止まっていた。何度画面を付けても既読マークすらつかない、虚空に投げかけられたメッセージ。──『今、時間あるか?』。
「はぁ、何やってんだ、俺は」
ソラのことで頭を悩ませているのに、璃玖が真っ先に連絡を取ろうと思い立った先はソラ本人だった。いつもみたいに馬鹿話でもしながら気を紛らせたい、そう考えてしまったのだ。
本人に会ったらきっと、今まで以上に女の子として意識してしまうのは間違いないのに。
「はぁ。なんか、全部吐き出したい」
こんな時に愚痴に付き合ってくれそうなのは……、と、璃玖は仲の良い人達の顔を思い浮かべてみた。
真っ先に思い浮かんだのは、ソラや茉莉だった。論外である。確かに気の置けない友人ではあるけれども、今回は彼女らがモヤモヤの主たる原因なのだから。
次点で思いかんだのは普段つるんでいるクラスメイトの男子のうちの一人。だが、こちらも却下だ。何故ならば、彼は茉莉の双子の弟なのだ。話の流れでどうしても茉莉の告白について触れなければならず、身内ネタだけに気まずくて仕方がない。
「同じ身内でも、あの人だったら……いや、ないか」
想起したのはソラの姉。性に奔放すぎる性格故に、意外とこういう胸の突っかかりをスパッと解決してくれそうな雰囲気がある。もっとも、デリカシー無くソラや茉莉本人に突撃インタビューをかましてくる危険ムーブも予測されるので、相談相手としては不適だろうが。
「つーか自分の好きな人に別の子についての相談持ちかけるとか、どうかしてるだろ」
はは、と自嘲気味に笑った璃玖は自販機に端末をかざそうとして溜息を洩らした。ついさっき電子決済非対応だと気付いたばかりなのに、もう忘れるなんて。
情けなさに涙が出てきたところで、この期に及んで漏れた一言は、
「ソラに会いたい」
だった。
目の前を、ゆっくりと速度を下げながら赤いラッピングの電車が通り過ぎていく。普通に歩いていれば、今頃あの電車を駅のホームで待っていたはずだ。途端に襲ってくる徒労感に目の前がくらくらする感覚を味わいながら、璃玖は立ち上がった。
***
璃玖は結局ドラッグストアに立ち寄って缶コーヒーを買った。ちびちび飲みながら線路沿いを歩き、駅の改札を潜ったところでよく知る声に呼び止められる。
「あ、本当に来た! おーい、せんぱーい!」
璃玖は思わず缶を指から取りこぼしそうになった。
「なんで……いるんですかねぇ」
灰色の瞳を輝かせ、栗色の跳ね髪をぴょこぴょこと揺らしながら、悩みの種たる美少女が駆け寄ってくる。