Scene3-8 璃玖と茉莉
アウトドア部のデイキャンプから数日後。
その日、璃玖は茉莉から呼び出され、学校の最寄り駅までやって来ていた。
駅の改札を潜ると、そこには他所行きの、小洒落た格好をした茉莉の姿が。彼女は璃玖に気が付くなりはたはたと小走りで駆け寄って来る。いつもツンケンしている彼女だったが、今日は心なしか表情が柔らかい。
璃玖はなんとなく、出会ったばかりの頃の彼女を思い出す。あの頃の茉莉は猫を被っていたのか、今よりもずっとお淑やかな印象だった。
「やあ、茉莉」
「ごめんね、急に呼び出して。……、あれ、今日は出会い頭のフェス呼びは無いんだ?」
「ま、まあな。なんか真面目な話っぽいし」
茉莉は頷くことも否定することもせずに、ただ道端に転がっていたアスファルトの砂利を蹴飛ばす。後ろ手を組み、ぼうっと空を見上げた後、璃玖に向き直って彼女は言った。
「少し、歩きながら話したいな」
「わかった」
短く返事をした璃玖は、茉莉と共に歩き出した。
普段学校へ行くのとは違い、線路沿いを南へ下るように進む。学校は駅から東の丘の上にあるから、こちらの方面を歩く機会はそうそう無い。なんだか新鮮な気分である。
二人は進路や趣味の話など、他愛もない会話をしながら歩いた。それはいつもの部活時の会話と大きく相違なく、むしろいつもより幾分か会話が弾んだ。
「明日から三日間、塾の勉強合宿なんだよね」
「泊まりで何をするのさ」
「一日中講義と演習。でもまあ、頑張らないとね」
「……いつになくやる気じゃん」
「当然よ。ほとんど推薦で確定してるあんたと違って、私は努力で合格を勝ち取らないといけないんだから」
ふふん、と鼻を鳴らして胸を張る茉莉。彼女の表情にはストレスや疲れは一切見られず、ただ謎のやる気に満ちていた。
色々と寄り道を挟みつつ、やがて二人は寂れた公園に辿り着く。雑草の混じるグラウンドとバスケットコート以外には大した遊具も無いような公園だった。
外周の道路に面するところには季節の樹木が植えられているけれども、それらを構成する桜や銀杏も、今は鮮やかなグリーンに輝いている。
そこかしこから降るは蝉の声。とはいえ二人の会話を妨げるような数ではなかった。
二人は木陰のベンチに腰を下ろす。少し経って落ち着いたところで、璃玖が言った。
「あのさ。そろそろ本題に入らないか」
茉莉はふっと口角を緩めると、眼鏡のフレームを中指で持ち上げる。ペットボトルの烏龍茶を一口飲み下して、璃玖へ向き直り、尋ねた。
「ぶっちゃけ、どういう要件だと思ってる? いきなり呼び出されて妙だと思わなかった?」
璃玖もまた、缶のアイスコーヒーを一口喉に流し込んでから返答をした。
「恋愛絡み、だろ」
「よくわかったね」
「なんかさ、今日の茉莉の雰囲気だとか、駅から歩いてきたコース取りとか。二年くらい前にお前が告白してきた日とそっくりだったから」
「あー、そんなこともあったね。……ひょっとして、いまだに私があんたのこと好きだと思ってる?」
璃玖はしばし空を見上げて考えてから、答えた。
「……ないな」
「だよね」
茉莉も即座に応答する。いくら異性とはいえ、彼らの中では恋愛的な繋がりはもう存在していないらしい。
「じゃあさ、本題っつーかさ」
そこまで言いかけて、茉莉は言い淀む。
「茉莉?」
「……ああごめん。言うわ。ちゃんと」
茉莉は胸を押さえて目を閉じ、二回ほど深呼吸を繰り返す。
愛の告白でないのだとしたら、どうしてここまで緊張することがあるのだろう、と璃玖は疑問に思うと共に妙な緊張感を覚えた。これから茉莉が話す事柄が、良い内容なのか悪い内容なのかさえ彼には分からない。
「樫野」
「おう」
「私さ、ソラくんに告白したんだ」
璃玖の目が大きく見開かれる。恋愛絡みだとは思っていたが、まさか相手がソラだとは考えてもいなかったのだ。
「まじか……でも、いつから?」
狼狽える璃玖。茉莉が誰を好きになろうと彼女の勝手である。しかしその相手の抱える事情が事情なだけに、璃玖は動揺を隠すことができない。
「私、随分前からソラくんのこと好きだったよ。割と一目惚れに近いかもね。はじめは、レミ先輩に似て綺麗な子だなって。だけどいつの間にか彼の優しさに惹かれてたんだ」
璃玖にはなんだか覚えのある惚れ方であった。
「でも、あいつは女の子になっちゃったんだぞ」
瞬間、茉莉はムッとした表情を見せた。
「だから何? あんたは性別が変わったからっていきなりその人のことを好きじゃなくなるの?」
「そういうわけじゃなくてさ」
「私だって、本当はこの気持ちを隠しておこうって考えてた。だけど、デイキャンプの日、ソラくんや樫野に助けられた時、どうしても伝えたくなっちゃったんだ。好きが、抑えきれなくなったんだよ」
「お前の気持ちはわかる、気がする。でも……」
璃玖は言葉を詰まらせる。沸き立つ感情をどう表現すれば良いか分からず、思いの丈が喉から先へ出てこない。よくわからない胸のざわつきが止まず、璃玖は苦々しく眉間に皺を寄せると、拳で自分の太ももを叩いた。
そこまでしてやっと絞り出したのは、
「どうして今、なんだよ……」
璃玖の心の内を凝縮したような、憤りの言葉であった。