Scene3-4 両手に花
「……昔、私が樫野に告白したことがあるって、知ってる?」
「────へ」
茉莉の言葉に、ソラは狼狽える様子を見せた。急なカミングアウトに心がついていかない。
「全く知りませんでした。それって、いつの話ですか」
「一年生の頃。どう? びっくりした? 今じゃ全然そんな素振り無いでしょ」
璃玖と茉莉は周囲の人間から見ても仲が良い部類と言える。男女間の友人関係ってこんなだよね、の典型のような間柄だ。しかし、そこに恋愛感情が絡んでいると考える人間は少ないだろう。それくらいフランクな関係を二人は築いている。
「へぇ……茉莉先輩が……へぇ……」
「ふふふ。ソラくん、動揺してる?」
「ど、動揺というか、意外だなぁって」
茉莉は目を細め、眼鏡を指で持ち上げた。二つのレンズに周囲の景色が反射して、彼女の視線から感情が読み取れなくなる。ソラはごくりと唾を飲んだ。
「ソラくんはさ、樫野のことどう思ってるの? 女の子になったからって、いきなり恋愛関係ってわけじゃないんでしょ?」
「そ、それは」
ソラは迷いを見せる。茉莉に正直な気持ちを打ち明けるか否かを考える素振り。
いつものソラなら、きっと適当に思わせぶりなことを言って誤魔化していただろう。しかし、先に茉莉の事情を聞かされてしまったことで、ソラの中で『何かを言わなければ』という意識が働いてしまっている。
「ぼくは、センパイのこと──」
何かを言いかけて、ソラはかぶりを振った。
そして、言い直す。
「お兄ちゃん、って感じですかね」
***
テントの設置は紆余曲折ありながらもなんとか無事に終わった。ちょうどその頃にはカレーが出来上がり、飯盒の米も火から取り上げて蒸らしている最中であった。
デイキャンプの予定が滞りなく進んでいることに、璃玖はほっと胸を撫で下ろす。しかし同時になんだかセンチメンタルな気分になった。毎年実行してきたこの飯盒炊爨も、今年で卒業となる璃玖にとっては最後の参加となる。アウトドア部の仲間との時間も残り僅かなのだ。
「テントの監督お疲れ様です、センパイ」
「おう、ソラ。お疲れ」
「なんか騒いでましたけど、何かありました?」
「一年がふざけてペグを投げて一本無くしてさ、色々大変だったよ」
璃玖とソラは各々の紙皿の上にご飯をよそい、カレーをかけてから、簡易テーブルの所で向かい合って着席した。鼻腔をくすぐるスパイシーな香りに思わず涎が出る。最高の天気に最高のご飯。最高に幸せな気分だった。
「にんじんの皮剥きとカットはぼくがしたんですよ!」
「他には何をしたんだ?」
「一生懸命応援しましたっ!」
「……」
来年度は人数配分をもう少し考えるように後輩に伝えておこう。璃玖は切実にそう思った。
「ねえ樫野。隣、良いかな」
ちょうどカレーの一口目を口に運ぼうとしたところに、茉莉がやってきた。璃玖の返事を待たずして、彼女は空いていた席へと腰を下ろす。
「おうフェス太郎。一緒に食べようぜ」
「誰がフェス太郎じゃナミダボクロが」
茉莉は毒吐きながら璃玖の肩を掌で軽く押した。やったな、とばかりに璃玖も茉莉の黒髪に拳骨を落とす素振りをしてみせる。もちろん二人とも本気で攻撃し合っているのでは無く、不名誉なニックネームを含めて普段のじゃれ合いの一環である。
「うーん」
そんな二人を見て、何やら考え込んでいるソラ。璃玖と茉莉の掛け合いなどとうに見慣れているはずなのに、何か不可解な点でも見つけたのだろうか。
「どうした、ソラ?」
璃玖がソラの様子がおかしいことに気が付き、声を掛ける。
ソラは口に運びかけていたスプーンを皿の上に戻して言った。
「璃玖センパイって茉莉先輩と仲が良いですよね」
「ああ。なんだかんだ部活で長いこと一緒だし、クラスの友達の姉でもあるしな。それがどうかしたか?」
ソラは視線を落としたまま、スプーンの先でカレーのルーをこねくり回す。
「何と言えばいいのかな……もしも二人がカップルになったら良い感じだなって、考えちゃったんです」
「……なッ!?」
「ゲホッケホッ!!」
璃玖が絶句し、茉莉が激しくむせた。どうして急にそんなことを言い出すのか、と璃玖がソラに尋ねると、こんな返事が返ってくる。
「だって二人は仲良しですし、冷静に見るとやり取りが夫婦漫才っぽいというか」
璃玖は、ソラとのやり取りだって第三者目線からはバカップルと思われているらしいのだぞ、と心の中でツッコミを入れた。
しかし茉莉との会話が夫婦のやり取りのように捉えられたのは意外だった。今まで誰も指摘してくる者はいなかったからだ。
「それにセンパイ、うちの姉といる時よりも茉莉先輩といる時の方が楽しそうだから」
「それは」
いきなり胸を抉られた気分になる。璃玖にとってソラの姉というのは永遠の憧れであり、欲求の対象であり、かつ触れられたくない爆弾でもあった。彼女の男関係の乱れのことを考えると、あの日、ソラが女の子になる直前に目撃した、ラブホテルへ消えていく想い人の姿が嫌でも思い出されてしまう。
故に。ソラの言う通り、今の璃玖にとってはソラや茉莉と絡んでいる時の方が楽しいという事実は否定できない。しかしそれは、璃玖の一途な恋が冷めたという話でもない。
「……今は、そうなのかもしれない。レミ先輩が壊れてしまってからは、茉莉といる方が落ち着いていられるのは本当のことだから」
「──なんか樫野が恥ずかしいこと言うんだけど」
茉莉は若干俯き加減でジロリと右隣の璃玖を睨む。それと同時に肘で彼の脇腹を突いた。たまらず璃玖も反撃に出るが、そんな二人を見てソラは苦笑する。
「なんか、お二人を見てると妬けちゃいますね♡ あ、っていうかセンパイ今両手に花じゃないですかぁ、ふふふ、センパイやるぅ!」
「クッ、あのなぁ……」
ソラにからかわれるが、悪い気分はしない璃玖なのであった。
────あの人への想いに囚われ続けるよりは、よほど。