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Scene3-2 依存する人される人

 公園の木陰に彼女がいた。気恥ずかしそうに指を(いじ)り、息が上がりそうなのを必死に抑えている。

 彼女は意を決したように前を見て、言った。


『あ、あのね璃玖(りく)くん。できれば私と付き合ってほしいんだけど』

『付き合うって、彼氏彼女って意味で?』


 璃玖が尋ねると、彼女は泣きそうな顔になって……。


『そう。……好きなんだ、私、璃玖くんのこと。だから──』


 彼女はそこまで告げると、気まずそうに目を伏せて長い前髪で表情を隠してしまった。その時、もしかすると涙ぐんでいたのかもしれない。黒髪の、あの子は。


────

──


「おい樫野(かしの)。樫野ってば。そろそろ起きろよ」


 夕陽に染まるオレンジ色の部屋の中、璃玖は目を覚ました。書道机に突っ伏したままの腕に、赤い額の痕。きっと額の方にも腕の痕が付いているに違いない。

 目の前には作業途中のラップトップ。キャンプのしおり作成は、まだ半分ほどしか終わっていなかった。


 隣に目をやれば、そこにいたのは黒髪ボブの眼鏡女子。切れ長の瞳に筋の通った鼻の横顔美人だった。彼女はアウトドア雑誌に目を落としたまま、空いている右手で璃玖の肩を揺らしていた。


「ごめん、フェス子。俺寝てたみたいだ」

「お疲れだねぇ。っていうかフェスって言うなよナミダボクロめ。私は茉莉(まつり)だ、ま・つ・り!」


 璃玖の目元の特徴を組み合わせた造語で言い返した彼女──板東(ばんどう)茉莉は中指で眼鏡の赤フレームを持ち上げた。

 彼女の気の強さを見た目で示すはキリリと吊り上がった形の良い眉。黒曜石の(ごと)き瞳から放たれる眼光に内心を見透かされる心地がして、璃玖は目を泳がせる。


 ふと、璃玖はあることに気がついた。


「そういえば、ソラは? さっきまでそこにいなかったっけ」

「あのサボり魔くんなら練習に行かせたよ。二年生にサポートに入ってもらってるけど、今日のメニューなら怪我の心配はないかな」

「サボりって言うけど、お前はどうなんだよ副部長?」


 璃玖に問われた茉莉は眼鏡を持ち上げ、不敵に笑ってこう言った。


「私はあんたの監視役。だけど居眠りしてたから本を読んで待ってただけ」


 人はそれをサボりというのである。


「はっ。調子良い奴だな、お前も」

「居眠りしてたあんたが言うかよ。人間、時々手を抜かないとすぐ駄目になっちゃうの!」


 茉莉は雑誌をパタリと閉じて、椅子から立ち上がると背伸びをした。ワイシャツが引っ張られ、出るところが出ている身体が強調される。なんというか、全体的に柔らかそうだ。


「さて、と。私はそろそろ練習に合流しますかね。樫野、あんたはまだかかりそう?」

「ああ。寝てた分を今から挽回(ばんかい)しないと。帰りにはみんなに配りたいからな。ソラのこと、頼んだぞ」


 璃玖がソラへの気遣いを口にした瞬間、茉莉の表情が少しだけ曇った。思い詰めたような、と言うと言い過ぎかもしれないが、やや強張(こわば)った面持(おもも)ちで彼女は言った。


「あのさ、樫野。ソラくんと付き合ってるわけじゃないんだよね?」


 何度同じ質問を繰り返すのだ、と璃玖は(あき)れて溜息混じりに言い返す。


「仲が良い友達の性別が変わったからって、いきなり恋人になるはずがないだろ。それに、俺の好きな人は別にいるんだ。それは……」

「知ってる。レミ先輩でしょ。だからこそ私は心配なんだよ」


 茉莉は書道机の端にちょいと腰を預ける。眼鏡の真ん中のフレームを中指で持ち上げ、彼女は自らの考えを述べた。


「樫野はさ、レミ先輩が自分をあの人の代わりにするのを嫌うじゃん。でもさ、私は時々思うんだ。樫野は今のソラくんにレミ先輩の面影を見てるんじゃないかって」

「それは──」


 璃玖は強くは否定できないでいた。ソラの中に想い人を垣間見ることが、実際に何度かあったのだから。

 しかし、だからといって付き合う付き合わないなどと恋愛に結び付けられて見られるのは心外である。ソラを心配する気持ちも、支えたいという想いも、全ては友情の延長線上なのだから。


「たとえそうだったとしても、ソラを大切に想う気持ちに変わりはないよ。あいつは俺の親友なんだから」

「……そっか。でもさ」


 茉莉は(わず)かに身を乗り出し、璃玖へ顔を寄せる。


「ソラくんはそう思っていないかもしれない。あの子はきっと、樫野の気を引くためにあざといキャラを演じてる。それってあんたに依存しちゃってるからじゃないのかな」


 茉莉の言葉に対し、璃玖ははっきりと告げる。


「違う。あいつがあざとさを演じるのは、周囲に女の子として認めてもらうための自衛策だよ。俺は単に利用されているだけだ。それで俺も、喜んで利用されてやっているだけなんだよ」

「そんなの……どのみち依存じゃないか」


 茉莉は憤りを隠すことはせず、ピリピリとした空気を放ちながら、璃玖の胸に向かって拳を突き出した。とん、と彼の心臓の上あたりに拳を置いて、茉莉は宣言する。


「いい? 私もソラくんの味方でありたいと思ってる。けどね、私は樫野とは違う。男の子に戻る道を諦めさせて、自分に依存させてるのも気づかないようなあんたとは、違う」

「俺のやり方が間違ってるって?」


 茉莉は頷く。


「短期的には依存でも良いよ。でも、その後は? 樫野が一生面倒を見るわけ? ……あんたのやり方ってのはさ、ちゃんと一生を添い遂げると確信が持てるやつじゃないとやっちゃダメなんだよ」


 そう言って璃玖から離れた茉莉は、部屋の入り口まで歩いていくと、外への引き戸に手を掛けた。


「あんたがソラくんのことを本当に思うならさ。自立、させてあげなよ。それだけ。……じゃ、私はトレーニングに戻るから」


 引き戸が閉められ、璃玖一人だけの空間が生まれる。


「依存、か」


 彼は小さく呟くと、パイプ椅子の背もたれに体重を預け、古い蛍光灯の揺れる天井を(あお)ぎ見た。


「依存させてるのか、それとも、してるのか……俺は」

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