Scene2-8 ずっと一緒に
銀河山の山頂部は観光地として整備されており、山の峰に沿って、多少の起伏を伴いつつも細長い広場のようになっている。西端にはロープウェイの山頂駅、東端には戦国時代の城趾。璃玖たちが先ほど登ってきた水手登山道は城趾側に繋がっている。
璃玖たちは西に少し下ったところにある飲食店に入り、二人で名物の丼物を食べた。その後はロープウェイの山頂駅近くの銀河山リス園で遊び、売店でアイスクリームを購入して、展望台で景色を眺めながらそれを食べた。傍から見れば完全に学校をズル休みしたカップルのデートなわけだが、本人たちはまるで気付いていない。友人同士で遊ぶのは当然、という感覚なのだった。
「はぁー、なんか幸せですね。こうして平日昼間から遊び回れるなんて。ああ……将来はヒモになりたい」
「なんか自堕落な方向で目覚めてないか」
デッキの手すりに寄りかかり、上半身の体重を預けた状態でアイスを舐めとるソラ。落ち込んでいるよりはよっぽどマシだが、サボり癖がついてしまったかもしれないと思うと璃玖はいたたまれない気持ちになった。
「やだなぁ、冗談ですよ冗談。あ、でも女なったんだから将来は専業主婦でも良いなぁ」
「……じゃあ、家事は全部任せた」
「うッ、それは、ちょっと。……ってかセンパイ、ぼくと結婚する気ですか!?」
「はは、誰も相手がいなかったらお願いしようかな」
璃玖には好きな人がいる。ただ、その人にはきっと永久的に手が届かないことも理解していた。だからもしかしたらソラと……という可能性は決してゼロではないわけだ。ソラみたいな美人が結婚相手ならさぞかし自慢できるだろうな、と璃玖はほんの少しだけ、冗談でなく本気で考えた。もっとも、自分では全く釣り合わない相手だとも思っているわけだが。
「じゃあ、ぼくも────このまま男に戻れなかったら、センパイにお願いします」
「んなっ」
性転換現象で元の性別に戻れた人はいない。つまるところ、これは事実上の婚約……
「ふふ、冗談です!」
……ではなかった。
「いやー、だって男の人相手に恋愛できる気がしませんもん。ぼく心は男のままですし。センパイのことは好きですけど、その好きっていうのはお兄ちゃん的なやつで」
「あーたしかに、お前は弟って感じだよな」
「あはは、女なのに弟って、変ですね!」
「確かにな。 でも、お前はどう考えても妹って感じはしないわ」
二人はくすくすと笑い合った。兄弟の感覚と彼らは言うけれど、本当の兄弟でもここまで気の合う存在になるのは稀だろう。“友人という枠組みでの好意”を抱いていることはお互いに隠し立てもしていない。そう言った意味では、すでにかけがえのない存在だ。
「あのさ、ソラ」
「なんですか、センパイ」
璃玖はソラを見つめた。彼の視線に気がついたソラも璃玖の方へと姿勢を変える。
「ええと」
璃玖は話を切り出そうとして、しかし、喉の奥で言葉を詰まらせてしまう。ソラに、大切なことを伝えたい。ただ、言葉を一つ誤れば、それはソラを絶望に叩き込む刃となってしまうかもしれない。だから璃玖の想いは喉まで出かかっては、その度にまた呑み込まれる。そうして何度目かでようやく、璃玖は意を決した。
「今日はさ、伝えたいことがあったんだ。それで、お前を山に誘った」
「昨日の電話の件ですか」
璃玖は頷いた。
「お前、昨日言ってたよな。自分が中途半端な存在なのがいけないんだって。どっちつかずなのが駄目なんだって。お前は今、心は男で体は女。確かにわかりづらい状態ではあるから、周りの連中の気持ちも分からなくはない。でもさ」
言葉を区切ってはいけない。中途半端に伝わった言葉はすぐさまソラの心を抉り取るだろう。慎重に、だけど一気に、璃玖は話を続ける。
「お前の中では“自分は男だ”って一貫してるんだよな。全然中途半端じゃないじゃん。俺はお前のそういう芯の強い所、凄いと思うよ。それにさ……」
「それに?」
「俺は、性別がどうであっても関係なく、ソラはソラだと思ってる。それは絶対だ。性別がどうとか関係なく、俺にとってお前は大切な後輩であり、友人であり、弟なんだ。それはこれから先何年経っても絶対に揺るがない。絶対に」
何度も絶対という言葉を使った。何故なら、璃玖にとってはこれこそが本心、ただ一つの真実。ソラをソラとして。あるがままを受け入れる。それが璃玖がソラに伝えたかった、一番大切な事。
「璃玖、センパイ」
「約束しよう。この先どんなことがあろうと、俺はお前を受け入れるよ。お前の悩みも、痛みも、全部受け止めてやる。その代わり、俺が道に迷った時はまた肩を貸してほしい。友達として、これからもずっと、一緒にいて欲しい。────ってあれ、これじゃただの告白みたいじゃんか」
「ぷ……ははは、センパイの愛の告白、貰っちゃいましたね。それじゃあぼくも返事をしなきゃいけないじゃないですか。ふふ、まあ返事は決まっているんですけど」
ソラはふっと微笑み、手を差し出した。風がソラの栗色の髪を、璃玖の黒髪を撫でる。雲間からの光がソラの灰色の瞳を揺らす。対して、璃玖の黒い眼は真っすぐにソラを捉えている。そのまま、璃玖はソラの手を取った。
「これからも、ぼくの友達でいてください。そばにいてください。大切な人で、いてください」
「ああ。もちろんだ。これからもよろしくな、ソラ」
お互いを掴む手に、ぐっと力が籠められる。二人の表情は性転換現象が起きた時、いや、それよりずっと前と比べても、格段に強い決意に満ちたものになっていた。それは、戦い抜くという覚悟。ソラを取り巻く偏見と誤解、悪意と戦う覚悟だ。璃玖の抱えるトラウマ、恋に決着を付ける覚悟だ。二人ならば乗り越えていけるという確信に満ちた眼差しで、しばらくお互いを見つめ合う璃玖とソラであった。