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Scene2-7 銀河山と光の帯

 普段であれば右手の坂道を登って馬の背登山道に入るところを、今回は左手の水手登山道を進むことにした。こちらはその気になれば小学生でも登れるくらいに難易度の低い道で、しかも途中数カ所のビューポイントから絶景を楽しむことができる人気のルートだ。

 余談ではあるが、水手登山道分岐点からしばらくは緩やかな坂道を下ることになる。そのため間違えて馬の背登山道に迷い込む人がいるようで、璃玖(りく)も初めての登山の時にはそのパターンに陥った。目立つ場所に注意書きがあるのにも関わらず、見落としからいきなり最難関コースに突入してしまったわけだ。当時は“山登りなのに下りが発生するはずがない”という先入観もあった。


 さて、今回はあえてこちらのコースを選んだわけだが、やはり下り坂というのはせっかく稼いだ高度が奪われる気がして、璃玖はげんなりしてしまう。

 一方のソラは楽しそうに道を行く。この辺りは登山道というよりほぼ遊歩道なので、ピクニック気分を味わっているようだ。


「センパイ、見てください。謎のキノコがいっぱい生えてますよ」

「食えるかな」

「センパイってすぐそういうこと言いますよね。試しに食べてみます?」

「どうせ毒だろうな」


 丸太で作られた橋で枯れ沢を越えた。木の根が網の目のようになった上り坂を、根を踏みつけて傷つけないよう気をつけて進んだ。

 やがて視界が開けてきて、最初のビューポイント。まだまだ高度が低いので感動は薄いものの、展望台としては十分である。


「あ、チャイムの音」


 ソラが言う。山の(ふもと)にある学校のチャイムが登山道まで響いてくるのだ。休日に登りにくると、部活動に(いそし)しむ生徒たちの声が聞こえてくることもあるのだが、今は静かだ。


「そういえば今日は平日、でしたね。ごめんなさい」


 ソラは申し訳なさそうに下を向く。璃玖が学校を休んだことに責任を感じているのだ。


「ソラ」


 璃玖は笑って答えた。


「俺たち、『学校サボリーズ』、だな!」

「内申に響きません? 推薦入試狙いなんでしょう?」

「母さんが病欠連絡しているはずだから、多分大丈夫」

「本当に大丈夫です? それ」

「……お、おう。心配すんな」


 本当は仮病がバレないかと心配な璃玖である。ソラの手前、決して口にはしないが。


 ちょっとした休憩の後、二人は再び山頂を目指した。

 既にコースの遊歩道感は薄れてきて、本格的な登山道らしさを垣間(かいま)見せてくる。両手を使わずに登れる程度の坂道ではあるのだが、ソラの息切れは激しい。女の身体だからというより、性転換による後遺症なのではないか、と璃玖は思った。一晩で性別が変化してしまったわけで、肉体に負担がかからないと考える方がおかしいのだ。


「無理せず、休憩を挟みながら行こう」

「は、はい。すみません」


 岩場に腰掛け、お茶を飲む。何人かの登山客が追い抜いていくのを見守り、呼吸が整ったら再出発。

 これを繰り返すこと三回。二人はついに山頂前最後のビューポイントに辿(たど)り着いた。少し張り出したような岩場の平地で、植物の(たけ)が低く随分(ずいぶん)と遠くの方まで見通せる。隣県の大都市のビル群もはっきりと見えるほどの高度である。

 銀河山(ぎんがざん)の山頂部は整備された公園であり、ロープウェイで登ってくる人も多い観光地。その点、自然地形を残したこの場所の方が、登山をした気分に浸るのにより適しているようだ。馬の背登山道で一気に山頂部まで上がることの多い二人にとっては久しぶりの光景だった。


「うわぁ! すごい眺めですね」

「久々に来たけど、良いな、ここ」

「センパイ、写真撮りましょ、写真!」


 ソラが端末のカメラを起動し、構えると、ちょうど雲に裂け目が生まれ、光の帯が地上に降り注いだ。灰色だった町に、山の(そば)を流れる大河に、遠景のビル群に色彩が戻る。(いた)る所で陽の光が反射されて輝きだす。山を中心に、星屑(ほしくず)が散りばめられていくようだった。

 しばし、絶景に見惚(みと)れる二人。そよ風が二人の頬を撫でていく。栗色の髪をさっとかき上げたソラは、ポツリと呟いた。


「来てよかった……」


 うっとりとした心地で遠くを見つめるソラ。黄金色の粒子を全身に浴びて、猫のように目を細める。


「センパイ、ありがとうございます。ぼくをここまで連れ出してくれて」

「ばか、俺がしたのは家から玄関先まで呼び出したことくらいだよ。そのあとここに付いて来ることを決めたのも、ここまで頑張って登ってきたのも、お前自身が成し()げたことだ」

「……はい! でも、やっぱりセンパイのおかげです!」

「そっか」


 輝く満面の笑みを見せるソラに、璃玖も微笑(ほほえ)み返した。


「なんか、照れるな。こういうの」

「……ですね!」


 ソラも鼻の頭を()き、照れ隠しにもう一度遠方の風景に目を移した。

 山肌に吹き付けるように、温かな一陣の風が吹く。眼下より、学校のチャイムが再び聞こえてきた。登り始めから一時間弱が経過したらしい。


「そろそろ山頂まで行きましょうか」

「ああ。最後の方きついからな、転ばないように気を付けろよ」


 璃玖たちは再び山頂を目指して歩き始めた。

 ビューポイントから山頂まではおよそ百メートルほどの道のりだ。だが、この百メートルの後半戦が本当にキツい。最後の最後で岩場の急登(きゅうとう)行手(ゆくて)(はば)み、時には手で岩を保持したまま慎重に登る必要がある。小学生でも登れる登山道なのだが、この部分だけは最難関の馬の背登山道と遜色(そんしょく)ないレベルなのだ。


「ぎづい、きづいです、センパイ!」

「ほーらがんばれがんばれー」

「棒読みで応援しな゛いでくだざい!」


 ヒーヒー言いながら坂をよじ登るソラ。璃玖は万が一ソラが落ちそうになった時に支えられるように、後ろから続く形をとっている。

 ソラは叫んだ。


「そうだ、お尻押してくださいよ! そしたら楽かも!」


 璃玖は(ひる)んだ。


「エッ────いや、流石(さすが)にそれはダメだ! 自力で頑張るんだ、ソラ!」

「いやあああ」

「ふんばれ!」

「どりゃあああ」


 こうして岩肌と格闘すること五分。体感では倍以上の時間をかけつつ、二人は山頂へと辿(たど)り着いた。

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