Scene2-2 璃玖の我儘
気持ちが落ち着くまで中庭にうずくまっていた璃玖は、十分ほどして部室へと引き返す。
その頃には茉莉とソラも戻って来ており、いつも通りの態度で璃玖に話しかけてきた。
いや、よくよく聞けば、ソラの声色にはほんの少しだけ迷いのような物が見え隠れしている。
彼女はきっと無理して明るく振舞っているのだろう。
最愛の人の晴れの門出を悲しい想い出で汚さぬように。
アウトドア部員が全集結したところで最後の集合写真を撮る。
その後はソラを含む何人かの後輩と記念撮影したり、近くのデネィズでみんなとご飯を食べたりし、やがて夕刻前にはソラと二人で家路についた。
こうして橋戸家の前に帰り着いた頃には、世界はすっかりオレンジ色だった。
「それじゃ、また明日。……じゃないのか。なんか変な気分だ」
「うん。明日からは、わたし一人で登校しなきゃだよね。なんか、寂しいな」
「本当に、な」
ソラが入学してからの一年間、ずっと共に歩き続けた帰り道。
それも、今日で終わり。
二人揃ってこの道を通り、下校するなんて、この先の人生において二度と起こらないイベントなのだ。
「……ねえ璃玖」
「ん」
「キスして?」
「いいよ」
ソラの家の前で、塀の影に隠れるようにして、二人は口付けた。
名残惜しさから、唇を離すのを躊躇う。
そうしてたっぷり五分以上も互いの柔らかさを押し付け合い、やがて息苦しさから口を離した時、二人は大粒の涙を流していた。
声を殺しながら、額を擦り付けるようにして、静かに泣いていた。
二人を泣かせたのは卒業の寂しさだけではない。
この感情の正体はきっと、胸の奥を疼かせる、別れの予感だ。
結局この日は帰宅したレミに発見されるまで、恋人たちは橋戸家の玄関先で寄り添うように座り、ぼうっと車道を眺めていたのだった。
***
翌日。
璃玖は市内の商店街を歩いていた。
平日の朝から学校にも行かずにフラフラ街歩きをしているなど、璃玖にとってはなかなか無い出来事だ。
例え休校日であっても、勉強しているか、山を登っているか、あるいは数駅離れたワオンモールで買い物をしているかの生活だった。
故に、彼は比較的地元に近いはずの商店街のことを実は詳しく知らない。
「へえ、意外といろんな店があるんだな」
どことなく、クリスマスに訪れた隣県の門前町を思い出す。
観光地であるあちらに比べると、今いる商店街は随分と寂れているみたいだが。
「……あった、『Oktave』。聞いてたより小さいな」
璃玖が立ち寄ったのは、小さな雑居ビルの中の、これまた小さなテナント店。
ハンドメイド雑貨の委託販売を行うショップである。
璃玖にはお世辞にも似つかわしいとは言えない場所だが、彼にはある目的があった。
「ソラに似合いそうなやつは……」
そう、彼の目的は恋人への贈り物。
はじめは指輪にしようと思ったが、璃玖の所持金では大したものは買えないし、何より仰々しすぎる気がした。
そこでいっそのこと手作りのアクセサリーに挑戦しよう、と考えたのだが、璃玖にはノウハウのカケラも無いわけで。
結局、一晩悩んでハンドメイド作家の作った実物を見に行こうと決めたのだ。
自分で作る際の参考になるだろうし、『これだ』と思うものがあればそれも一緒に贈り物にしようと考えた。
名案だ、と思った璃玖だが、いざショップに来てみると心が折れそうになる。
こんなもの、果たして自分に作れるのかと。
「こんにちは、何かお探しですか?」
「あ、えっと」
しばらく店内をうろついていると、店員の女性から声を掛けられた。
小さな店に、客は璃玖一人。
店員としても貴重な平日午前中のお客さんを放っては置けないのだろう。
「卒業を機に遠距離になっちゃうカノジョがいるんですけど、何かアクセサリー的なものをあげたいなって思って」
「あー、時期ですよねぇ。アクセサリーとなると、ネックレスとか髪留めとか、ホール開けてるならピアスとか……」
「何にするか迷っちゃいますよね」
店員の女性は璃玖に尋ねた。
「こう、彼女さんのイメージだとか『彼女さんとこうなりたい』みたいな願い? 想いみたいなのってありますか?」
「願い、ですか」
理不尽な現象に巻き込まれ、数々の悪意を浴びせられてきたソラ。
『これからは、あるがままの自分で幸せになって欲しい』、璃玖が彼女について願うのはこういうことだ。
ソラの昨日の発言が真実なのだとすれば、本来の姿に戻れるという望んだ未来はもうすぐそこにある。
だから、これから贈るプレゼントには『おめでとう』の気持ちを込めるべきだろう。
(いや、でも、俺は────)
璃玖は迷う。
本当にそれでいいのか、と。
ソラに幸せになってほしい、これは間違いなく璃玖の願いだ。
しかしそれは、ソラを第一に考えた、善人ぶった『理想的な願い』。
璃玖の心の奥底にある真実の想い、何がどうあっても貫きたい『璃玖の我儘』は──。
「ずっと一緒にいたい。たとえ遠く離れて暮らすことになっても、たとえ性別が変わっても、心だけはずっと隣にありたい。……そんな、気持ちです」
きっと璃玖はこれまで、相手の気持ちを立てなければならないという義務感に縛り付けられていたのだ。
自分の本心を押し通したりせず、相手の気持ちに寄り添うことがその人のためになると。
だが、レミの時はそれで失敗した。
もっと早くに璃玖が気持ちをぶつけていれば、レミは性に溺れて二年も拗らせ続けることはなかったかもしれない。
ソラと付き合う直前もそうだ。
もっと積極的に自分の気持ちを伝えていれば、ソラを悩ませ、苦しめることも無かったかもしれない。
さらに言えば、二人を気遣ってくれた茉莉を傷つけることも無かったかもしれない。
だから、この贈り物にはホンモノを乗せよう。
璃玖の、心よりの我儘を。
「でしたら、ブレスレットはどうですか?」
「ブレスレット、ですか」
「はい。ブレスレットって手錠を連想させるから、これを贈るのって束縛って意味もあるんですけど、それって裏を返せば『いつまでも一緒にいたいです』って願いにもなるんですよね。性別を選ばないデザインが多いですし、お兄さんの言ってた『性別が変わっても』って気持ちにも合うんじゃないかと思うんです」
女性店員は璃玖の置かれている立場などは知らないはずだが、アドバイスは的確だった。
もしかすると【性転換現象】が有名になってきたことから、言葉の裏に事情を察したのかもしれない。
「ありがとうございます。少し、見てみますね」
「是非。いろんなクリエイターさんの作品を置かせてもらっているので、きっと気にいるものが見つかると思いますよ!」
にこりと微笑む店員の女性に会釈をして、璃玖はブレスレットを中心に店内を見て回ることにした。
似たようなデザインでも、紐の編み方から装飾のチョイスまで細かな違いがあって面白い。
人に贈る物を探しているつもりなのに、いつの間にか自分もいくつか欲しくなってくる。
「あッ……」
すると、璃玖の目に留まった作品があった。
それが視界に入った瞬間、電流が走った感覚。
「あの、これ」
璃玖はそのブレスレットを手に取った。
すると店員の女性は目を丸くして、あからさまに嬉しそうな表情を作る。
「あ、それ私の作ったやつですよ! 気に入ってもらえました?」
「はい。なんか、これだ! ってなりました」
璃玖がそう言い切ると、女性は満足げに二度頷いた。
店員としてのアドバイスが活きたことに加え、作家として選んでもらえたこともあって二倍に嬉しいのだろう。
彼女はポンと手を打ち鳴らしながら、一つの提案をする。
「そうだ。せっかくなら、ペアにしません?」
「在庫があるんですか?」
「実物でなく、材料ですけど」
それに、と女性は続ける。
「作ってみたくないですか? 大切な人へのプレゼント。お時間があるなら、作り方を教えますから」
「い、良いんですか」
「はい、是非!」
璃玖にとっては願ったり叶ったりである。
元々、理想は自作したアクセサリーを贈ることなのだから。
────
──
こうして臨時のアクセサリー作り体験教室が開かれ、たっぷり二時間近くもかけてソラへのプレゼントは完成した。
スエード紐をミサンガ風に四つ編みにした空色のブレスレット。
真ん中に取り付けられた四葉のクローバーのチャームが、まるでソラの幸せを願う璃玖の心そのもののようだった。