09 最後の生き残り
“結局生き残ったのは俺一人”
菊池晶馬は恐慌にまみれながら、それでも生き延びたい一心で怯える日々を過ごしている。
江藤に小林、斎藤に水沢に成田そして永田。六人……六人もの仲間が既に自殺し、とうとう自分だけが生き残った。
何故彼らが自殺したのかは薄々勘付いており、何故自分も狙われているのかは痛いほど理解している。
“仲良しグループと言えば聞こえは良いが、詰まるところツルんで悪さをしていた仲間”だったのだ。
中学校でのカリキュラムも全て終わり、放課後の帰宅時間。
独り寂しく校門をくぐって家路につこうとする菊池晶馬は、学校から商店街そして住宅街を抜ける帰宅ルートに想いを巡らせつつ、酷く不安げな表情でキョロキョロ視線を動かし歩き始めたのだ。
見るからに挙動不審のそれは、まるでB級映画のスパイのようであり、私は警戒してますよと周囲に教えるような見え見えの焦り方。
だが、自分が他者からどう見えているのかすら構わないほどに、菊池晶馬が追い詰められていたのだとすれば、それも納得出来る行動ではあった。
ーーアイツが怪我をした時、警察なんか呼んで大事にしなけりゃこんな事にはならなかっただの、弁護士と江藤の親を先頭に、ヤツの家に押しかけて母親に訴えるなんて大騒ぎしなけりゃこんな事にはならなかっただのと、リーダー格である江藤の名前を何度も小さく口にしながら、恨み節を吐き出す菊池。今まで自分もイジメの中心メンバーとなり、嬉々として他者を害する事参加していたなど頭の片隅にも無さそうだ。
仕事終わりやタイムセールに合わせたのか、昼間の静けさとは打って変わって夕方の買い物客で溢れる賑やかな商店街。菊池は店先に並ぶ商品などには目もくれず、人ごみ中をそそくさと抜けて行くだけなのだが、人混みがあればあるほどに安心するのか、彼の強張った表情は安堵のため息とともに幾分和らいで行くように見える。
長野市の北部をぐるりと囲む山々に阻まれ、太陽は早々とその姿を遥か西の彼方に姿を消した頃
まるで真っ黒な切り絵用紙で切り取ったかのような稜線までもはっきりと見える山々の背後に、太陽の残り香が淡いオレンジ色で更に山々を浮き立たせ、その太陽の残り香がやがて天井に向かって薄紫に色を変えて行く見事な夕方。
見る者によってはカクテルのシンガポールスリングを彷彿とさせるような、鮮やかな春の夕映えに人々の活気が重なる時間帯、菊池晶馬は商店街の真っ只中で足を止めた。……止めたのは足だけでは無い、歩くために振っていた左右の手も、そしてしきりに動かしていた瞳までもがピタリと動きを止め、完全に全身が硬直してしまったのだ。
「し、死神……来た……来た……! 」
驚きに引きつっていた表情が、みるみる絶望の顔へと変化する。菊池の帰る方向に幾重にもなって広がる人混み、その人混みの奥に“それ”が佇んでおり、菊池とバッチリ目が合ったのだ。
「ひい、ひいいいっ! 」
思わず悲鳴を上げて狼狽える
すると時を同じくして学生服の内ポケットに入れてあったスマートフォンが振動を始め、着信を知らせながらも駄目押しのように菊池を更に驚かした。
遠くで立ち尽くし、じいっとにこちらを見る黒い影
行き交う人々はそれが見えないのか、御構い無しに通り過ぎて行くのだが、菊池には良く見える、夕闇の暗がりなのにはっきりと分かる。
その影が動きを見せるか見せないかをじっと注視しながら、汗ばむ手で上着をまさぐり、取り出したスマートフォンを無造作に耳にあてる。
「もしもし……もしもし? 」
『もしもし、お母さんだけど。今ね、警察が来てるの。早く帰って来れる? 』
「警察? 何で警察が家に来るんだよ? 俺何にも悪い事やってねえよ! 」
『別に晶ちゃんに理由があって来たとかじゃなくて、亡くなったお友達とのSNS交流で話を聞かせて欲しいって』
仲間うちで緊急の話題になり、自殺の兆候として多数書き込まれていた“死神”について問いただしたいのか、それとも警察はイジメについて気が付いたのか……。
いずれにしても、今の菊池晶馬にとってあまり気持ちの良い話題ではないし、死神に対して警察が積極的に助けに入って貰えるとは思えない。
「煩わしい」ーーそれが菊池を支配する心境の全てなのだが、この時致命的なミスを犯してしまう。
人混みを挟んで対峙していた死神から、目を離してしまったのだ。
「ちっ、見失なった! くそ、どこに行った! 」
『ちょっと、どうしたの晶ちゃん! 何騒いでるの? どこにいるの? 』
心配した母親も通話の向こうで騒ぎ始めたのだが、晶馬にしてみればそれどころではない。次々と自殺して行った悪ガキ仲間が恐怖に怯えていたあの死神から、自分自身の力だけを頼りに逃げ切らねばならないのだから。
「うるせえな、もうすぐ帰るから! 」
『晶ちゃん、どこにいるの? お母さん迎えに行くから……』
スマートフォンと耳の隙間からも漏れて来る母の叫びが、商店街を行き来する買い物客にも聞こえて来そうな勢いで響く。
必死になって死神の姿を探しているのに、あまりにも母親の声がうるさく、通話を終了させようかと耳から離した時、、、そのスマートフォンから聞こえて来る別の音に気付く。母親の呼ぶ声にどよんと覆い被さるように、奇怪な音が聞こえて来たのだ。
ーーぎいい……ぶしゅるるる! たすけて……ごるああわああっ! ぎいやああああ! ーー
車で旅行している際、ラジオサーチで遠くの地域のラジオ局の放送を拾った時のような、幾重にもフィルターをかけられたかのような酷くくもった音。
何か人による生の言葉でありながらも、それでいて機械的な音源も感じさせる、別の世界からの通信のような音。
キョロキョロと周囲の様子を探っていた菊池は、その奇怪な音が何かしらの意味を持つ事に気付いたのか、額から冷たい汗を大量に滴らせながら、恐れおののきつつ再びスマートフォンを耳にあてる。
『……ょぐもワタシのこどもを……よくもダイジなわだじのこども! ……ゆるざないゆるざない……ごろす……おまえ……ギィヤアアアア! 』
全身が落雷に打たれたかのように、バチンと身体を震わせ、菊池晶馬は血相を変えて走り出した。
肩に下げていたカバンと手に持っていたスマートフォンをその場に落として駆け出すあたり、相当の恐怖を覚えていた事が想像出来る。まさしく恐慌だ。
そして残念ながら、彼がその日帰宅する事は無かった。
心配した母親が警察に捜索を依頼したのだが、来た道を戻るように駆け出した彼が姿を見せるのは二週間後の事。
長野市の北側を囲む山々の一つへ入った送電線管理会社の社員たちが、送電線鉄塔で首を吊っている菊池晶馬の遺体を発見したのである。