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06 情報屋 氷見ひまり



 全国的な三月のイメージとすれば、季節は春。そして桜咲く穏やかな気候の中で繰り広げられる別れと出会いの季節である。

 しかし、長野の三月は地味に微妙な季節であり、桜は芽吹くか芽吹かないかの瀬戸際であり、人々がカラフルな春物衣料に袖を通さない終冬の時期。未だにストーブやこたつが残された力を出し切りながら人々に暖を与える時期である。


 だが、そんな世の中に遅れて春を待つ長野市北部の巨大な団地群において、表沙汰にはならない嫌な事件が起きる。三学期を終えた子供たちが春休みを満喫している最高潮の時期に、新聞には乗らず、地元の民放テレビ局も扱わない些細な事件、つまりは少年絡みの配慮が必要な事件が起きたのだ。


 死者こそ出なかったものの、目撃者にとっては後に引くような何とも後味の悪い出来事。それは一人の男子中学生がとある団地の脇を流れる川の土手に姿を現した事で始まる。


 東西南北を山々に囲まれた長野盆地、通称善光寺平。その長野市の北西の山々から流れ出て市街地を縦断し、一級河川「千曲川」に合流する浅川と言う川がある。

 この浅川に向かって長野市北部にある様々な小さな支流が流れ込むのだが、その川の一つである砥石川の土手にその少年はいた。旧道『北国街道』を通すために古くに作られた小さな橋のたもと、道を挟んだ反対側に春日商店が見える場所にだ。


 大人の身長の二倍ほどの高低差しかないその土手を少年は下って橋の下に。どうやらそこに何かあるらしいのか、彼はしばらくの間橋の下に留まっていたそうだ。

 今年最後の寒波と言われた低気圧が過ぎ去った、今年最後の寒々しい曇天の元、何故彼が橋の下に長時間いたのかは謎なのだが、土手に停めておいた彼の自転車が目に入ったのか、同じく中学生と思われる十人ほどの集団が現れた。


 どうやらその集団は橋の下に居る少年と知己があったのか、それぞれが自転車を停めて土手を下り橋の下へ。そこでしばらく固まって何かを話している際に、事件が起こったのであるーー



「春日商店って知ってる? そこへね、数人の男子生徒が血相を変えて飛び込んで来て、春日のおばあちゃんに警察と救急車を呼んでくれって騒いだらしいの」

「警察と救急車……ですか? 」

「そう。生徒の一人が急に石で殴りかかって来たと、頭から血を流した少年も店に運び込まれて来て、春日のおばあちゃんが通報してあげたそうよ」

「それがひまりさん唯一の三月のニュースですか。自殺の情報とか無いんですか? 」

「せっかく生徒会室まで来てくれたのにゴメンよう、この傷害事件と大雪で大渋滞のニュースくらいで、自殺の情報は入ってないよ」


 ここは善光寺に近い長野市唯一の私立制女子高校、西長野女子高等学校。そして今の会話はその生徒会室で行われていた。

 眠気と戦った午前の授業が終わり、生徒が教室や食堂で笑顔とかしましい会話に花を咲かせる時間帯に、都住姫子は生徒会室を訪ね、目的の人物と昼食を取りながら会話を重ねていたのである。


 姫子のお目当ての人物、生徒会役員の氷見ひまり十七歳。生徒会書記の役目を努めながら新聞部の部長も兼ねている言わば情報屋、姫子のアンテナ係と言っても良い人物。姫子の一つ歳上の先輩で今年三年生なのだが、互いに実家が近く幼稚園、小学校、中学校、そしてこの西長野女子高校でも顔を合わせる仲良しなのだ。


 ーー地元北長野で、三月に起きた事件はないか? ーー


 例のメモにあった情報、【北長野中学2年2組、四月に入って合計四名の男子生徒が自殺した事件。その前段階として春休みに男子生徒が一人自殺。この団地内で大人が一人自殺している】ーーこの前段階についての情報を集めようと生徒会室に赴き、忙しいひまりと一緒に昼食を取っていたのだが、芳しい収穫はどうやら無かったようである。


「四月に入ってからのウワサは私にも聞こえては来てるけど、三月に大人と子供が自殺してる情報は一切入ってないのだよ」


 購買で購入した甘い菓子パンをかじりながら、紙パックのイチゴ牛乳でそれを胃に流し込み、先日行われた役員総会の議事録をまとめるひまりは、更に姫子の質問に丁寧に答えるマルチな才能を披露しているのだが、何を思ったか一度ペンを下ろして姫子を見詰めた。


「ねえ姫ちゃん。多分姫ちゃんが追い始めたって事は“お祓い”の分野が関係してるからだと思うけど、自殺案件ってよほどの事じゃなきゃ情報に乗らないのよ」


 自分の手のひらに収まるほどの小さなお弁当箱を前に、ゆっくりゆっくり食べ続けていた姫子は、ひまりのその解説が重要だと感じたのか、ピタリと箸を止めて視線をひまりに合わせる。


 ーー自殺って、新聞の社会面や地域欄にニュースとして載る? キー局の全国ニュースや地方局の地域ニュースで報じられる? 芸能人や有名人で社会的に影響力がある人が自殺すればそりゃあ世の中大騒ぎになるけど、実際のところ自殺って一番身近にある存在でありながら、一番正解に伝わって来ない種の情報なのよ。

 姫ちゃん、氏子さんたちの中で不幸があれば、何故亡くなったのかとか正確な情報は入って来るでしょ? 老衰だったとか病死だったとか。じゃあさ、氏子さんじゃなくて同じ団地や地域で喪中忌中の花輪が玄関や家の入り口に飾ってあったとして、その家に何があったか、誰が亡くなったかなんて分かる? もちろん何故亡くなったかなんて分からないでしょ。

 人の死がこれだけ身の回りにありながらも、その全容を知る事は出来ないのには、それなりの理由がある。「不審死、事故死、殺人」など、おおよそ刑法が関わって来る死以外には、つまり他者の存在が影響しない死に関しては、故人だけでなく家族への配慮やプライバシーがそこにあるから。ーーその中でも自殺って言うのは、残された家族すらも多くを語らない、正確な情報がほぼ手に入れる事は不可能な特異な死亡ケースなの。


「人は好奇心の生き物よ。一度興味を持ったらなかなかそれを忘れる事が出来ない。そしてその好奇心を満足させじと立ちはだかる壁が高ければ高いほど、人はその本質を変質させる」

「なるほど、ウワサが独り歩きしながら様々な憶測と言う名の贅肉が付いて行く……」


 姫子の返しが正解だったのか、ひまりはそう言う事よとうなづきながらニコリと微笑む。


「最近孤独死と言う言葉を良く聞くでしょ? それって死因が孤独とかって訳じゃないからね。病死、餓死、そして自殺の可能性だってある。だけどそれが明らかになった事は無いし、そもそも新聞のお悔やみ欄にも死因など記載されていない。だから自殺の話題はそれほどデリケートな話題であるのよ」



 四月の新学期が始まってまだ一カ月も経過していないのに、北長野中学の男子生徒が計五名自殺した。

 最後の一名は昨日亡くなり、親族を通じて自殺だとの報告を受けているので、全体的な情報の塊として、これらの男子生徒が何かしらの影響を受けて連鎖自殺した事は確かに思える。「火の無いところに煙は出ない」と言う理論で考えれば、連鎖自殺の噂で街が持ちきりになった事すら、その事実の補足に繋がる。

 だが、コーヒータイムで渡されたメモには、それ以前の自殺が二件あると記され、四月に入って起きた連鎖自殺よりも、この三月に起きた自殺の方がより原因や核心に近いと匂わせている。


「だけど、ひまりさんの言葉を借りれば、噂も出て来ない三月の事件は、探しようもない手詰まり案件……」


 うつむきながらぷうと頬を膨らませ塞ぎ込んでしまう姫子。

 もちろんそれは氷見ひまりが情報屋として使えない事にヘソを曲げた訳ではない。突破口を見つけ事の根源に辿り着くにはどうすれば良いか、黙々とその模索を始めていたのだ。


「姫ちゃん、多分悩んだところで答えは出ない気がするよ。逆に新しい情報から遡るように追って行った方が、核心にたどり着けると思う。これが私の結論ね」


 つるりとしたおでこと理知的なメガネが印象的なインテリガールのひまり、大げさに眉を上げる事で、これ以上この場で議論しても無意味である事を知らせる。

 姫子は姫子でそれを受け入れながらも、このひまりとの会話が自分にとってひどく有意義であった事を感慨深げに噛み締め始める。……自分が行動すべき順序が見えて来たのだ。


 “藤巻さんから貰ったメモ、それを通じて表面だけを見て判断する危険を教わった。核心を射抜かないと、表面だけを削ぐだけを繰り返す堂々巡りなのだと。そして今度はひまりさんから教わった、いきなり核心にたどり着ける訳が無い。新しい鮮度の高い情報から突き詰め始め、本質への突破口を探す”



「あっ、それと……姫ちゃん、夕方もう一度生徒会室に来なさいな。生徒会長なら何か知ってるかも知れないよ」


 ーーあっ、中之条先輩のお父さんってーー


 難しい顔、ふさぎこんだ顔、そしてハッとした驚きの顔に、希望に溢れた諦めない顔と、様々な表情に変わる姫子を楽しそうに見詰めるひまり。コロコロ変わるそれはまるで七変化のようで退屈させない。


 小中とずっと保温機能付き弁当ジャーを学校に持参して、ぎっしり詰まったお米を嬉しそうに食べてた姫ちゃんが、つい最近猫の額のような小さな弁当に変えた。

 やはりこれは“駐車場のあの人”の影響があるのだなと、姫子を夢中にさせる男がどんな男なのかと記者魂を掻き立てられるのだが、ニュース素材としてまとめるのは姫子の事件に付き合った後にしようと考えるひまり。

 天使の優しさと悪魔的発想が同居するひまり、まるで好奇心の殉教者のようでもあった。




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