前へ次へ
4/11

04 人知れず進みつつあるもの



 腕や背筋をピンと伸ばしてバス停に向かう都住姫子は、まるで近衛兵や儀仗兵の交代式での様を見るように真剣そのもの。

 父の話とは、彼女にとってそれだけ重大な内容であったのだが、今度こそ失敗しないと言う「気負い」が見え隠れして硬くなっているのも事実。

 まだ十六歳の色気より食い気……若さが全面に出ている姫子であった。


 そんな彼女がバス停にたどり着き、長野駅行きのバスに乗り込むのと同じ時間帯

 長野市北部団地群にあるとある団地、比較的新しい団地の一角にあるとある家では、通学しようともしない中学生の少年が、自室に籠りながらベッドの上に横たわり、布団にくるまりながらブルブルと身体を震わせている。


「秀ちゃん、秀ちゃん! 」


 階下から聞こえて来るのは母の声

 自分の部屋から出ようともせず学校に行く支度すら始めない息子を、責めるような怒声ではない。むしろ息子を気遣うような呼び声であり、息子がなぜ起きて来ないのかについての事情を、知り尽くしたかのような声だ。


「秀ちゃん、お母さんこれで会社に行くから、無理しないで休んでるのよ! 夕方には本家のお爺ちゃんが、“刈田さん”に相談に行ってくれるからね」


 それじゃ行って来るから……その言葉を最後に母は出掛けたのだが、少年はそれに応える事もせず布団に入ったきり。寝ている訳でもないのに頭まですっぽりとくるまり、カーテンから差し込む陽の光を拒否しているかの様子。


 だが、もちろんその少年は眠くて布団に入っているのではない。怠惰な私生活を経て夜型人間になってしまった結果、朝起きて学校に通う事が酷く苦痛で、様々な言い訳を駆使して義務教育から逃げ回っているのではない。

 彼は自分の身に起きた恐怖体験に日々悩まされており、外出する勇気さえ消し飛んだ今となっては、布団の中で状況が変わる事を、ただただ震えながら待つほかに無い。……そこまで追い詰められていたのである。


 各家庭から徐々に通勤用の車が動き出し、一般道に向けて団地内を駆けて行く音が聞こえる。近所の子供が玄関先で行ってきますと元気な声を上げる。

 スズメが群れを成して電線に並び、チュンチュンとさえずり続ける平日の朝、何処にでもあるありふれた日常の朝の光景からはみ出したように、布団に潜り込んだままだった少年は、突如雷に打たれたかのように身体をビクリと震わせ布団を蹴飛ばし起き上がる。

 どうやら傍らに置いていたスマートフォンが振動したらしいのだが、その驚きようは異常なほど。神経がまいるような、過剰且つ過敏な時間が続いている。


「……何だ遼からかよ。クソッ」


 驚いて損した……そんな表情を露骨に浮かべながら、少年はスマートフォンを手にしてトップページの通知連絡に毒づきながら、SNSのトークページを開けた。


 (ヒデ大丈夫か? )


 ありがちな男子中学生の他愛も無い会話が羅列された最下段に、相手からのふわふわした内容の新規コメントが表示されている。それは相手の具体的な“何か”を指摘して心配する内容ではなく、挨拶がてら相手の様子と出方を伺うような、恐る恐る腫れ物に触るような挨拶だ。

 ヒデと呼ばれた少年は、それに対して当たり障りの無い社交辞令の返事を送る事無く、ズバリの内容の返事を書き込む……既にそれが二人の間で周知の事実であるかのように。


 (ダメだよ俺も死神を見ちゃった。もう学校休む)


 ヒデのこのコメントに酷く共感を覚えたのか、「遼」はさっそくヒデのコメントを既読表示させて自分の思うところをズラズラと書き並べる。


 (俺もだ、俺も見た。昨日の夜塾帰りにアイツを見た。電柱の横に立ってたんだ。どうしよう! 俺はアイツに殺されるのかな! )


 (家の中では見たの? )


 (塾の帰りで見ただけだけど、何で? )


 (いや、俺は昨日の夜廊下に立ってるの見た。もう自分の部屋しか安心出来る場所がない)


 このヒデ (秀)と遼との会話は陰惨なキーワードが並ぶ、おどろおどろしい内容に溢れており、危機的状況が目前に迫っているかのような恐慌に包まれている。中学生の少年同士が笑いと煽りを交えて進行させるようなそれでは無いのだ。


 (どうすんだよそれ? 確か死んだ須藤たちも部屋で見たって言ってたぞ)


 (だからビビってる、俺もうダメかも知れないよ。それで俺が死神にやられたら、多分次は、、、)


 (ヤメろよ! シャレになんねえよ)


 SNSのトークに夢中になる少年は、ベッドの上に座り布団を頭から被ったまま、時間を忘れたかのようにスマートフォンを操作し続ける。自分の身に起きた事、そしてトーク先の友人に起きた事それはそれとして、共通認識として言っておかなければならない事があるのだ。


 (いいか遼、どんな事があっても林の話だけは絶対誰にも話すなよ)


 (分かってるよ、先生は俺たちの味方だし余計な話をする積もりはない)


 (ああ。俺は死神出現は林の呪いじゃないかって思ってる。だけど林の話を出せば俺たちも責任を取らされる)


 画面に既読のマークが点灯する。

 少年は最後の望みを胸に、一握りの希望自分に言い聞かせるように続けざまにコメントを書き込む。


 (今日の夕方、本家のジイちゃんが刈田さんに相談に行ってくれる。有名な祓い師がいるらしいんだ。それまでの我慢、とにかく我慢して乗り切ろう)


 (分かったよ、どうやら順番的にはヒデの番らしいから、そっちで解決するなら俺も安心だ)


 (正直……)


 少年の書き込みはこの言葉を最後に途絶えてしまう。「正直」の後にどう続けようとしたのかは定かではないままにSNSのトークは終了してしまったのだ。

 正直もうダメだと思っていると続けようとしたのか、それとも正直さすがに今回は肝を冷やしたが何とかなりそうだと書き込みたかったのか、その時の彼の心情も今となっては謎のまま忘れ去られる事になる。

 何故なら、布団を頭から被り擬似的な閉鎖空間でSNSへの書き込みを行なっていた彼は、“正直”と書き込んだ際に部屋の物音に気付き、スマートフォンから手を離し布団を持ち上げ顔を出したのだ。


 そして彼は終わった


 ーー友人の遼とトークを重ねた際に何度か出て来たキーワード『死神』が、何と目の前に立っていたのであるーー


「あ、あああ……」


 いきなり目の前に立ち塞がる黒い影、今現在一番忌避していた絶対に見てはいけないものを目の前に、少年は腰を抜かしたまま、言葉にならない言葉を喉から絞り出して精一杯の抵抗を身体で表現する。


 その黒い影は、周波数の合わないテレビ画面を見るように、時にザザッザザッと横に画像の乱れを見せるように揺れながら、ジッと少年を見下ろしている。

 黒い影から浮き出るその顔も安定していないのか、時に少年の顔であったり時に老婆の顔であったりと目まぐるしく変わっていり。

 そしてベッドで腰砕けになっている少年が探している少年と認識したのか、目をギロリと見開きながら口を大きく開いた。


「ぐあわあ、ぶるしゅるる! おわああああっ! 」


 まるで井戸の底……地獄から地上に向かって吠えるかのような、不気味な叫び声を上げた黒い影の姿を見て、少年は目をグルンと白眼に変えて気絶してしまったのだ。



 その日の夕方、スマートフォンで連絡が取れなくなったと、慌てて仕事から帰宅して来た母は玄関を開けた瞬間に驚くべき光景を目の当たりに呆けてしまう。

 ーー二階の踊り場から紐を垂らし、一階の玄関側に向かってブランブランと揺れる、息子の首吊りの遺体と目が合ってしまったのだ。




前へ次へ目次