前編 住み込み運転手のアンドロイド・メマ
町の自動車販売ディーラーに、蘆名征司は両親に連れられてやって来ていた。
征司が初めて訪れた自動車の販売店は、清潔感のある広い建物で、天井の高さは学校の体育館を思い起こさせた。
両親は接客してくれる店員と話し込んでいる。少し離れた位置で店内に展示されている車をぼんやりと眺めた。この中から自動運転自動車を購入するそうだが、夢のように実感がないままだ。
征司が受験をするということで、いよいよ郵便局のマイクロバスではなく、自由な時間に町に移動出来る車を購入しようという話が持ち上がった。元々、農業用のトラック以外にプライベート用の車の購入は何度か考えては立ち消えになっていたそうなので、良い機会だと両親は乗り気である。
町には他にも何軒か自動車販売店があるのだが、他の店には足を運んでおらず、この最初の店での即決購入を両親は決めていた。
原因は2日ほど前のこと。
北條カナの父親が蘆名家に手土産を持って顔を出したのだ。都会に里帰りしていた際のお土産を持ってきたという体裁だったが、今までそんなことをしたことはなく、近所付き合いの希薄なこの山村では珍しい出来事だった。
そしてその手間ついでにと、玄関で腰を下ろしてしゃべり始めたカナの父の愚痴に、本命はこちらだったのだなと征司の父は得心がいく。
「蘆名さんが車を買うって話を聞いて、うちもそろそろね、買おうと思ったわけだよ。
ところがだ。私が行った車屋なんて、私に話しかけても来ないんだ。なのに後から店に入ってきた若い身なりの良さげな子には話しかけたんだよ! 普段店に来ないような客が来ててさ、『あの格好では金もないから買わないだろう』って話しかけてもこないなんて見る目が無さ過ぎて嫌になるよ。買うから普段来ない場所にいるんだ! って話だろう? 無礼だし、あれで営業が務まるのが信じられないね」
「北條さん、一体どんな格好で行ったんですか」
「そりゃ、いつもの野良仕事の格好だ。長靴を引っかけてさ」
膝を叩いてひょうひょうとした返答をするカナの父に、征司の父は苦笑した。
「北條さんも人が悪いね」
「人の見た目で態度変える輩が嫌いでね。腹が立ったからその店では買わずに目の前の別の店で購入したよ! とにかくあの店じゃ、蘆名さんも買わない方がいい」
「営業妨害じゃないですか」
「いや本当にあの販売員、見る目がないんだよ。私を無視して接客した若い子は試乗だけして買わなかったしねぇ。小汚いおっさんの方がお金あるってわからないんだもの」
思い出し笑いをしながら肩をすくめたカナの父は、いくぶんすっきりしたようで腰を上げた。
「私が車を買った店の接客は良かったからオススメだ。何より、入店してきた猫のAIロボットにも屈んで話しかけていたからさ」
「それは随分と丁寧ですね」
「印象良いだろう? 猫の方は、直ぐにモニターを出して飼い主に代わっていたよ。どうもお使いで話を聞きに来ていたようだった」
カナの父がくれたお土産は、大きなパン――クグロフだった。征司の母が「実家のお土産……?」とクグロフを切り分けながら、しきりに首を傾げていたのが印象的だった。
そんなことがあったので、カナの父に薦められた店に征司達は来ている。ここまでの道中はカナの家の車を借りた。
「運転手のアンドロイドもご入り用ですか?」
「ええ。いくら安全とされていても息子の命を預けるものなので、自動運転だけに頼り切るのはもしものトラブルが起こった際に怖いですから」
「アンドロイドは出向リリースもございますよ。アンドロイドに過失があった場合、責任は弊社となります。月々の利用料とメンテナンス費用をお支払いというものでして、保険料込みで――」
「いえ、購入します。隣に併設されているのはアンドロイドの販売店でしょうか?」
「はい、当社加盟店のロボットショップです。型落ちや中古型なども取り扱っております。どうぞ、ご案内致します」
「征司」
「うん」
父に呼ばれて、征司は両親の傍に戻った。
隣のロボットショップも人生で初めて足を踏み入れる店で、征司はドキドキする。ペットショップのようにガラス越しにロボットが並んでいる光景を想像していたのだが、棚の上にロボットの箱、そして値札がつけられていて家電量販店の陳列に近かった。ロボットの姿が見られるのは見本の何体かだけだ。
犬や猫などのペットと同じで飼い主が保健所に登録するように、AIロボットやアンドロイドも人間が保護者として登録をしなければならない。
自給自足で自立している山村のロボット家族達も、地主の持ち物として登録されているそうだ。地主のロボット達は必ず『○○サン』『○○さん』という名前を持っているのでわかりやすい。
昔は登録不要で所有出来ていたが、犯罪に使われたり、人に危害や不利益を与えるロボットが問題になって今の形になったらしい。
「征司。どんなロボットがいい?」
「えっ、僕? でも、よくわからないから……何でもいいよ」
ロボットショップの店員の視線が両親からこちらに向くのが気になって、遠慮がちに応えた。とても高価な買い物なのだから、両親の納得するアンドロイドで良いと征司は思っている。
棚を眺めていると、視線を感じた。
気になって振り向けば、ロングの茶髪の女性と目が合う。暗い緑色のトレーナーに黒いパンツ、そして汚れたスニーカー。店員ではないようなので、他のお客だろう。
ジッと見つめ合う間が続く。
(こういう時は、えっと……こう)
征司は頭の中で和泉を思い出しながら、軽く微笑んで会釈をした。それから自然な感じで視線を逸らす。
(あんまり見るのは失礼だし)
VRMMO『プラネット イントルーダー・オリジン』を始めて、見知らぬ人と接することに少し慣れてきた実感がある。前ほど、戸惑ったり悩んだりすることもなく、落ち着いて反応出来る自分がいた。
何より、怖いという気持ちが先に出てこなくなっている。必要以上におびえる気持ちも湧かなくて、そんなことが小さな自信になった。
すると、先ほどの女性がスススッと横歩きで征司に近寄ってくる。予想外の積極的な行動に驚いて、さすがに身体をすくませた。
彼女は征司の傍に立つと、顔はこちらに向けずに横目でチラチラと征司を見つつコソコソと呟く。
『……お強いですね、そのTシャツ』
「え?」
『オオワシ、好きなんです? それともVRメーカーが好きですか?』
征司は自分が着ているTシャツを見下ろす。リアルな大鷲がプリントアウトされたTシャツは、里見滋とカナ、宮本サンと一緒に買いに行ったVRマナ・トルマリンのコラボTシャツだ。
「鳥が……好きで」
『丁度良いです。吾は渡り鳥です。買いませんか?』
「われ」
(え! アンドロイド!?)
『ワレワレ皆TO・RI☆』
「え……あの……」
鳥のゴリ押し主張に征司が呆気に取られていると、ロボットショップの店員がこちらに気付いて「あっ! コラ!」と慌てて咎める声を上げた。
征司に頭を下げてから、女性の背中を押して店外に出るように促す。
「すみません、お客様。……ほら、君も。もう帰ってくれ!」
『帰る場所はありませんのでお構いなく』
「いや、そう堂々と居座られても困るんだって。いくら中古を扱うと言ってもリコールのあった機種は買い取れないって何度も説明したじゃないか」
『リコールは事実無根です。自主リコールが事実です。キョウダイの所業を気に病んだ同ナンバリング型が自ら工場に戻っただけです』
「その話だけで十分取り扱いたくないんだってわかってくれよ。こっちも面倒ごとは困るんだから」
『そこの若様、助けて下さい。この方に生命を脅かされています』
「やめてくれやめてくれ! お客様に絡まないでくれ! こっちは商売を脅かされてるぞっ」
店外に出されたアンドロイドの女性は、悲しそうな顔でガラス越しに征司を見つめ続ける。とても気になって困った。
父と母は顔を見合わせ、男性店員に尋ねる。
「あのアンドロイドは……?」
「持ち主の登録がない野良アンドロイドのようなんです。どこからかやって来て、自分を買い取って売って欲しいと言うんですよ」
「持ち主がいないなんてあり得るんですか? 起動した人間がいると思うのですが」
「大方、どこかの廃棄所から抜け出してきたアンドロイドなんでしょう。登録も処分の際に破棄されて連絡する先がわかりませんし」
「廃棄所から抜け出してくるなんて、本当にあるんですか?」
「正直なところ、私も初めて遭遇するケースですね。廃棄所に行く前に、初期化して電源を落としているはずなので……」
店員も眉を下げて困ったようにウインドウから動かない女性アンドロイドに溜め息をこぼす。
『吾は運転手も出来ます! 今、ダウンロードしました!』
その発言に「今……?」と父が怪訝な顔をした。
(われ)
征司は話し方が変わっていてなんだか目が離せない。母がそんな征司の様子に、「あの子はダメよ」とたしなめる。
すると、外からさめざめと恨めしげな声がした。
『何故……吾の至らぬポイントはどこですか』
「等身大の人型の女性だからです。うちの子はこう、よそ様よりおっとりしているけれど、思春期の年頃なのよ。異性のアンドロイドなんてダメ。この子が人に色眼鏡で見られてしまうわ」
『思春期なんです?』
「コラぁ! お客様に不躾な物言いは即刻やめるんだ!」
ついに店外に出て、敷地から追い出しにかかる店員の憤慨する様もなんのその、女性アンドロイドは薄らと微笑んでふんぞり返る。
『ご安心下さい。造形と性別にこだわりはありません。アニマルマスコットにカスタマイズも可能なのです!』
「本当に?」
父が興味深げに尋ねる。「お、お客様……」と店員は焦った表情で目を白黒させた。
「カスタマイズ可能と言ってもお客様のご負担が増えます。従来以上の初期メンテナンスに換装費用、初期化にセキュリティ対策、修理など、中古ですのに新品以上のお値段となってしまいますよ」
「構いません。ただ初期化はしないでいい。このままで――それでいいかい、征司」
「う、うん」
『なんと慈悲深き人間一家でしょうか! ありがとうございます御前様、若様……!!』
「まぁ、征一さんがそう決めたならいいですけど……」
『御母堂様……!!』
店員は良い人なのだろう。不承不承な母の態度を気にかけて、親身になって初期化や他のアンドロイドを粘って薦めてくれたが、父の「息子に少しでも色々な他人と接する機会を与えたいんです。最初から性格があるアンドロイドでいいんですよ」という頑なな断り文句に折れた。
「あなたがそんな冒険をするなんて」
「いいじゃないか。征司にはもっとたくさんのものを見せることが必要だよ」
「征司の言葉遣いに悪影響が出ないか心配よ。何だか変だもの、あのアンドロイド」
「そうかい? 滋君もあんな感じじゃないかな」
(父さん、滋さんはそんな感じじゃないよ。普通だよ)
たくさんの契約書にサインをする父の中で、里見滋こと無限わんデンの印象が征司とは違うことが判明してしまったりもした。
アンドロイドがニコニコと満面の笑みで征司に名前を告げる。
『メマです。これからお世話になります。よろしくお願いします』
「は、はい、蘆名征司です。こちらこそよろしくお願いします」
『さぁ、さて見た目は何がよろしいですか』
「え……えっと」
目の前に出されたカタログ映像の中から、征司が選んだのは――……
メマと一緒に山村へと戻ってきた。
畑や山に囲まれた馴染みの景色にほっとする。購入した新車は来週になるそうだ。
コンビニの前を通る時に、滋とカナの姿を見て征司は車から降ろしてもらった。一緒にメマもついてくる。
征司とメマの姿を目に入れた瞬間、目を輝かせてメマに突撃しに行ったカナとは対照的に、滋は盛大に顔を引きつらせた。
ずんぐりむっくりのリアル寄りの造形のシマリスが、二足歩行でスタスタと歩いて近寄ってくる。
迫り来るシマリスのメマに、滋は身構えた。
「ゆるきゃらの完成度を欲している俺がいる……」
『リス!』
「鳴いた」
滋は手招きして征司を呼ぶ。そして近寄ってきた征司に神妙に問いかけた。
「何故シマリスをチョイスしたのかね……?」
「山に馴染めそうな動物だと思ったんです」
「征司君、溶け込むのには無理がある図体だよ。あの子、貫禄あり過ぎでしょ」
シマリスの姿は、フサフサな毛並みのお腹に抱きつくカナにだけ好評を博した。