第9話 不思議なツミとトレード交渉
5月9日。
今日は登下校中に珍しい鳥を見た。「ピューヒョロロー」とトビの鳴き声が青空に響いていたのだが、飛んでいたのはツミだったのだ。
ひと目見て珍しいと喜んだ征司に対して、カナは「セイちゃん、あれはたぶんトビだよ!」と言った。
「でもあの顔と羽はツミだったと思う」
「遠くてよく見えなかったじゃない。トビの声だよ、きっとトビだよ」
ちょうど山から出て来たところの山の警備狸ロボット『ポコポコさん』を捕まえて、判断をゆだねた。ポコポコさんはリアルタイムの渡り鳥の分布を調べてくれて、先ほど上空を通った鳥はやはりツミだったと分かる。そしてカナには「セイちゃんすごい。タカっぽい見た目なのに、ツミって鳥だってわかったんだ」とすごく感心されたのだ。
夕食時、その話を父にした。
「トビの声が出せるなんて凄いツミだったんだなぁ」
カナと違って、ツミを褒めた父の言葉が印象的だった。
勉強と寝る準備を済ませてログインした。アーリーアクセス2日目である。
昨日和泉と話して、今日はソロ用のコンテンツのメインクエストを他国に行けるようになるところまでお互い進めることに決めていた。
思いがけず、プレイヤーから『彫金秘伝書』を買ってしまったツカサだったが、肝心の彫金ギルドは開拓都市国家グランドスルトにある。他国なのでひとまず、メインクエストを進めることにしたのだ。
一応今の状態でも他国に行くことは出来る。ただその場合、国境の関所が通れないので迂回して山の中を進み、密入国という形になるそうだ。それはそれで特殊なクエストが発生するそうだが、正規のクエストルートではないのでやめておく。
ツカサは教会の自室のベッドで目を覚ました。
木枠の窓からは淡い陽の光が差し込んでいて、部屋のほこりが舞っているのが見える。石壁から漂うひんやりとした温度と少しのかび臭さ、現実世界と錯覚しそうなリアリティがあった。
ただ、視界の四隅に配置されている地図や文字ログ、クエストジャーナルなどのシステム的な表示が、これがバーチャルなゲーム世界だと常に訴えてくる。
(朝、昼、晩。太陽が上がって沈むサイクルはあるけど、このゲームの世界の日付自体はメインクエストが進まないと停止してるから、クエストを放置してゲームキャラクターを待ちぼうけさせても大丈夫)
公式サイト『プラネット イントルーダー・オンライン』に書かれた説明を思い出しながら、ベッドの2段目を見上げる。
そこには変わらず寝息を立てているゲームキャラクターのルビーがいた。ツカサが何日も別のクエストをしていたって、ルビーの中では1日も経っていないのである。
(それに普通に食事は出来ないんだっけ)
昔、海外で餓死者や栄養失調の入院患者が出て以降、バーチャル内で空腹を満たせる食事については厳しく規制されている。いくら事前に注意をしても、ゲームの中で食べたから現実では食べないという人間がそれなりに出て亡くなったため社会問題になったのだ。現代社会の教科書に載っているほどの話なのである。
『プラネット イントルーダー・オリジン』世界にも生産職業に調理師があり、料理を食べられるのだが、匂いはあっても食事は食べる動作をすれば食べたことになり消える仕様だそうで、リアルな食事自体はない。
ならば調理師の料理は何かというと、一時的に戦闘の力を上げたり、採集や生産のスキルの効果を上げたりするバフ付与を目的としたものである。
人気はほどほどにある職業だが、美味しそうな匂いをかがされ続け、ログアウトしてご飯を食べたくなると話題で「拷問系生産職」と揶揄されてもいるらしい。
料理は消耗品。需要は常にあり、生産職業の中では比較的簡単に稼ぎやすいと攻略サイトに載っていた。
このゲーム内の食事――調理師を調べた時から、あまり見ないように目をそらしていたのだが、チラチラと視界に入る、不人気生産職業の項目に何というか……彫金師が名を連ねているようなのだ。
嫌な予感がしながらも、思い切って壁の黒板のマーケットボードに触れる。マーケットに出品していた『カジュコウモリの羽』と『果樹林のハーブ』は全て売れていた。合計350Gの儲けで地味に嬉しい。それから『秘伝書』を検索する。
(ああ……やっぱり)
『彫金秘伝書』は、20Gと格安の値段で出品されていて肩を落とした。押し切られてトレードしてしまったが、これからはマーケットで値段を確認してからトレードしようと思う。
(『秘伝書』の高さは人気順なのかな。『裁縫秘伝書』が1番高くて200万G、次が『木工秘伝書』と『鍛冶秘伝書』で150万G。金額の桁が全然違う)
生産職業には、スキルで物を作るだけでなく、ミニゲームという工程があるのだとか。
更にミニゲームをパーフェクトでクリアして作ったHQの物には特殊効果がつけられるらしい。
人気がある生産職業はミニゲームが簡単なのだそうだ。逆に不人気の生産職業はミニゲームが難しいと『ネクロアイギス古書店主の地下書棚』ブログで書かれていた。
(難しくても彫金はやってみたいな。神鳥獣のリング装備、NQでいいから手作りしたい。……あ! メール来て――あれ? 36通も)
1通は雨月からだ。ツカサへの返信だった。
『差出人:雨月
件名:無題
内容:杖はツカサさんにあげたものだから人に譲っても構わない。
だが譲る場合は、無料やアイテムでの交換はしないでくれ。
武器には正規の相場がある。最低300万G以上でトレードを』
ツカサは目を点にして、茫然と雨月のメールを見つめた。
(さ……さんびゃくまん……!?)
大きな金額に驚く。やはり稀少なものだったのだ。だから街中でも声をかけられたのだろう。
他に35通も来ていたメールは、名前も知らないプレイヤーからだった。全ての内容が『明星杖』を譲って欲しいというもので、サアッと血の気が失せる。
(どうしたらいいんだろう、これ……。大事になってる)
その中に以前謝罪のメールをくれたSkyダークの名前があることに気付いた。
『差出人:Skyダーク
件名:星魔法士の武器について
内容:星魔法士の明星杖を持っていると聞いたので連絡した。
フレンドの「からし」というプレイヤーが
その武器が欲しいので交渉したいそうだ。
断るにしても連絡して欲しい』
(Skyダークさん。会うのは少し怖いけど、パーティー募集板の使い方を教えてくれた人だから、きっとフレンドも真面目な人だろうし。前に迷惑をかけたんだ。Skyダークさんが仲介している人に譲ろうかな……?)
他のメールには断りの返信をして、Skyダークに了承のメールを送った。
すると即座にメールが返ってきて、『今日でも明日でも、とにかく今からいつでもOKらしい。そちらが指定した場所で早めに交渉したいそうだ』と急いでる風にも受け取れる内容だったため、直ぐに会うことにした。
教会前で待ち合わせる。
見知らぬプレイヤーとこれから話をすることになると思うと、かなり緊張してドキドキした。
やって来たのは黄色ネームの『からし』という人物だけだった。腕には鱗、トカゲの尻尾。中東風の衣装を着た砂人女性のからしは、最初から平身低頭の姿勢で開口一番詫びの言葉を告げてくる。
「ごめんね、ごめんね。いやぁ、手間かけさせちゃってホント申し訳ない」
「初めまして、こんばんは」
「うおっと、そうだった。初めまして、どうもどうも」
「あの、Skyダークさんは」
「あー、あいつクエストで離脱出来ないってさ。悪いね、自分だけで。『明星杖』だけど5M――いや、5.2Mでどうだろうか!」
「え?」
単語がよくわからず、ツカサはからしを不思議そうに見上げる。からしは何故か「うんうん」と納得顔で頷いた。
「分かった、代わりの杖もつけよう!」
《「からし」から「520万G」と「古ファレノプシス杖」のトレード申請を受けました。承認しますか?》
「え!?」
「時価だからね、今は上げられてもここまでの値段。ここからまだ馬鹿みたいに下がるかもだし、上がるかもだし? まぁ、時間にはかえられない。これで手をうって欲しいなってか、ホント頼みます! 譲って下さい!」
がばっと頭を下げられて、ツカサは慌てて承認をした。
「はっ、はい。どうぞ」
「うわーっ、ホントありがとう!」
両手を取られて握手され、更にびっくりする。握られた手とからしの顔を交互に何度も見た。
「え……!? ええっ!?」
「あ、ごめんごめん。PVP勢と接触するのは初めて? NPCよろしく他のプレイヤーに接触出来ちゃうんだよねぇ。軽く触れられる程度だけど。アッ!? セクハラ通報はしないで下さいお願いします調子に乗りましたすみませんです!」
ぱっと手を放すからしの勢いに引きずられるまま、こくりと頷く。
「とにかく助かった! この杖が手に入らなさすぎて引退しそうなのが身内にいて困ってたんだ」
「ご家族で遊んでるんですか?」
「いやいや、同じ傭兵団のメンツって意味ね。ガチ身内ってわけじゃないから! んじゃあ、マジでありがとう!!」
「こちらこそ、Skyダークさんにはお世話になりました」
手を振って、笑顔でからしが走り去っていく。
ツカサも手を振り返しながら見送っていると、運営のアナウンスのブラウザが目の前に表示された。
《アップデート情報。NPC好感度システムの可視化のお知らせ。
《NPC友好度一覧表》をメニューに追加しました。
これまで不可視であったNPCの好感度が確認出来るようになります。
どうぞ「プラネット イントルーダー」世界の住人との交流にご活用下さい》
メニュー欄には確かに《NPC友好度一覧表》なるものが増えていた。
『カフカ……(╹◡╹)
???……??
???……??
ルビー……(╹◡╹)』
(笑顔?)
見てみたが、正直よくわからなかった。とりあえず、嫌われてはいないんだろうなとは思った。