第92話「エーネミの裏-1」
次の日の夜。
「まったくバルトーロの奴め、もう少し頭を使ったらどうなのだ」
マダレム・エーネミの中心地にそびえるその屋敷では、頭から白髪を生やし、皮膚を皺と染みだらけにした一人の老人が腹立たしげに木製の杖で石の床を突きながら、ゆっくりと回廊を歩いていた。
老人の名はドーラム。
『闇の刃』とマダレム・エーネミの実質的なトップである。
「父上、バルトーロの愚かさは今に始まった事ではありませんし、もう少し落ち着いてください。体に障ります」
「む、むう……分かっておる。分かっておるが……」
と、ドーラムの背後に立っていた複数の男女の中から一人の男性がドーラムの隣にまで出てくると、その怒りを鎮める様に声をかけ、ドーラムもその声に素直に従うように立ち止まり、呼吸を整える。
男性の名はダーラム。
ドーラムの息子の一人であり、ダーラムの周囲に居る人々からは跡継ぎと目されている男である。
「それでも奴の『アイツが死んで清々した』と言う発言を始め、七人の長が殺された……それも自宅で事が終わるまで誰も気付かれずに暗殺されたと言う事実の重大さを理解していない発言の数々には、老人の老いた頭にはどうしても腹立たしくての……」
「お気持ちは分かりますが、落ち着いてください。ここで腹を立てていても仕方がありません」
「まあ、そうじゃがの」
やがてドーラムとダーラムの二人は一つの明かりも点いていない部屋の中に入り、それに合わせてそれまで二人に付き従っていた侍従たちはその場から立ち去っていく。
「ふぅ……息子よ。今回の件、お主はどう思う?」
暗い部屋の中でも二人は暗さを意に介した様子も見せずに会話を続ける。
それはこの二人が暗視の魔法を用いているからではあるが、それぞれがごく自然な動作でもって自分に暗視の魔法をかける事が出来るのは、二人が『闇の刃』の魔法使いとして実に優れている事を示す証拠でもあった。
「ギギラス殺害現場に残されていた証拠と、表に出ているギギラスの交友関係だけを鑑みるのであるならば、バルトーロの手の者が犯人と言う事になるでしょう。ギギラスの命を奪った鉄剣がバルトーロの配下たちが使っているものである事は明確な事実で有りますし、両者の仲が悪いのも周知の事実です」
「聞くところによればバルトーロ自身も部下の事を褒め称えていたそうだな」
「ええ。尤も、自分の仕事だと名乗り出た人間が多過ぎて、誰に褒賞を与えればいいのか分からないと言うくだらない悩み事も抱えていたようですが」
「くだらない……か」
「くだらないでしょう。事実は全く別の物なはずですから」
「ほう……どうしてそう思う?」
ダーラムはこの場には居ないバルトーロに向けて侮蔑の感情を向けつつ自分の考えを述べ、ドーラムは息子の成長を確かめるような意図を込めた瞳を向けつつ、ダーラムの話に耳を傾けていた。
「はっきり言って、今回の事件はバルトーロの手の者がやったにしては手際が良すぎます。それにそもそもとして、暗殺と言う手法自体バルトーロの好む手ではありません」
「では仮にバルトーロがギギラスを殺すとするならば、どういう手を取ったと思う?」
「集められるだけの人員を集めて屋敷の正面から押し入り、自分たちの被害を気にせず相手を押し潰す。そう言う手法を取ったでしょうね」
「ふむ。手際が良すぎると言うのは?」
「そのままの意味です。この件の犯人たちは、わざとその姿を晒すまでは誰にも何も気取らせなかった。こんな事は、私の手の者の中からでも、選りすぐりの精鋭を集めたとしても一筋縄ではいかないでしょう」
「ほう……お前にそう言わせるか」
「そう言う他ありません。それほどまでにギギラスを暗殺した者たちの実力は優れています」
ダーラムはギギラスを殺害した犯人……つまりはソフィアたちに対して嫉妬の感情を向けつつも、その実力を素直に認め、正体は分からないが、油断は決して出来ない相手であると認識していた。
そしてそれは、父であるドーラムも同じだった。
「だが確かにそうだな。こいつらは少なく見ても『獣の牙』の精鋭連中と同程度の身体能力は持っている。間違っても甘く見て良い相手ではないだろう」
「父上は犯人たちの正体をどう考えますか?」
「『獣の牙』の精鋭……と言うのが一番単純な見方をした場合だが、実際の所は分からんな。それこそ東の方でマダレム・ダーイとか言う都市を滅ぼしたらしい知恵ある妖魔。奴らが犯人であっても、おかしくはないぐらいに手掛かりがないし、連中の目的も見えん」
「妖魔……ですか」
「まあ、流石に妖魔は無いか。だが誰が犯人であってもおかしくはない。この件の犯人を探り出すのであるならば、それぐらいの心意気で探すべきだろう」
「心得ました。父上」
ドーラム親子は、ギギラスが殺された一件をとても重く見ていた。
如何にギギラスが自分たちよりも様々な面で劣る人物で有っても、七人の長の座に着いているのに相応しいだけの備えはしていた事は知っている。
そのギギラスがあっけなく殺されたと言う事は、その犯人は自分たちの家に布いている警備すらも難なく突破し、自分たちの胸にその刃を届かせかねない。
ドーラム親子はそう考えていた。
「では父上。私は通常の仕事に支障を来たさない範囲で、今回の件の犯人について探ってみようと思います」
「うむ。屋敷の警備と城門を出入りする者に対する監視の強化は、儂の方でやっておこう。頼んだぞ。ダーラム……いや、ピータムよ」
「任せてください。父上」
そうして、これからやるべき事を定めたダーラムは、軽く一礼をしてから部屋の外に出ていく。
ただ彼らの想定には誤算があった。
それは既にソフィアが自分たちの屋敷に頻繁に出入りしており、それこそ門番が顔を見ただけで通すほどに親しくなっていたと言う事実。
そして、彼らがとある事情からひた隠しにしてきたフローライトとも接触してしまっていると言う事実だった。
だがしかし、それでもこの日からマダレム・エーネミに布かれている警備は一層の厳しさを増す事となり、次の日から少なからずソフィアたちを悩ませるようになるのも事実だった。
そしてこの日の夜は無事に明けた。
05/08誤字訂正