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第82話「堕落都市-12」

今回は人によっては嫌悪感を抱く表現がありますので、苦手だな嫌だなと感じられたら、ブラウザバックされることをお勧めいたします。

 一方その頃、地下にフローライトの監禁されている部屋があるドーラムの屋敷。


「あら、トーコ様。どうされましたか?」

 そのフローライトの居る部屋へと繋がる隠し階段が設置されているアブレアの部屋で、トーコは粗末な造りのベッドに腰掛けていた。


「レアたんにちょっと質問があったから待ってたの。あ、フロりんならさっき寝たところだから大丈夫だよ。アタシもソフィアんの言いつけどおり、部屋の外には出てないし」

「ソフィア様が言う部屋と言うのはこの部屋では無く、フローライト様の居る部屋な気もしますが……質問と言うのは?」

 アブレアは手に持った盆を備え付けのチェストの上に置くと、トーコの視界の正面に入るように椅子を動かし、座る。


「この屋敷の厨房ってアタシが入り込んでも大丈夫?」

「駄目ですね。厨房の中はごく限られた人……ドーラムに信頼されている人間しか入れないようになっていますから」

「そっかー……」

 アブレアの言葉にトーコがこの上なく残念そうな表情を浮かべつつ、ベッドに倒れ込む。


「となるとレアたんも入れてもらえない感じ?」

「ええ、厨房どころか、食材の搬入口や倉庫にも近づく事は許されていません。これは許可がない人間全員がそうですね」

「うへー、面倒くさいねぇ」

 ただ、ドーラムが屋敷の厨房に信頼できる人間しか入れないのは、彼の表と裏、どちらの顔を見ても当然の判断ではあった。

 なにせドーラムは表向きの顔はマダレム・エーネミに七人しか居ない長であり、裏向きの顔もフローライトの祖父が首領を努めていたころから『闇の刃』で活動している重役の魔法使いである。

 継戦派として後ろ暗い事を数多く行っている事を度外視しても、食事に毒物を混ぜられることを警戒し、対抗策を講じる事は当然だと言えた。


「それで何故そのような質問を?」

「いやさ、フロりんもレアたんもマトモな食事を貰っていないみたいじゃない。だからアタシが厨房に忍び込んで何か簡単な料理でも作ってあげようかなって」

 トーコの視線がチェストの上に乗せられた盆の方に向く。

 盆の上に載っているのは、一人分としてみれば多めであっても、二人分としてみれば僅かな量のパンとスープだけで、屋敷の華やかさや他の侍女たちの肌艶の良さから鑑みれば、明らかに質が劣っている食事だと言えた。

 勿論、屋敷の外で飢えに苦しんでいる状態にあるような住民たちが食べている物からすれば、遥かに良い食事であるのかもしれない。

 だがそれでも、自分は妖魔である以前に料理人であると言う意識を有しているトーコにとっては、承服しかねる内容の食事ではあった。


「それは……お気持ちだけはありがたく貰っておきますね。ですが、私は大丈夫です。十年前からずっと続いている事ですから」

「ずっと……ね」

 しかし、トーコの申し出をアブレアは断ると、全体の三分の一程度の量のスープとパンだけを別の皿にとって、食べ始める。

 そして、その時僅かに見えたアブレアの服の下に、幾つもの傷がある事をトーコは見つけてしまう。


「もしかしなくても、いじめられているとかそんな感じ?」

「……。近くは有りますね。ただ、当然の扱いではあるんですよ」

「当然……ね」

「ええ、多くの侍女が十人で一部屋を使うような環境で、私は狭くとも一人部屋を与えられている。そして食事の量も見た目には多く与えられています」

「ん?フロりんの事を知っているヒトはどれぐらい居るの?」

「ドーラムとその側近、つまりは執事長や厨房に出入りすることを許されている程の人物ぐらいですね」

「そっか……だからこんな扱いなんだね」

「ええ、ドーラムが私に与えた仕事に支障を来たすような怪我や遅れでも与えない限りは、私には何をしても構わないし、どう使っても構わないと言うのが、この屋敷……いえ、ドーラムに関わっている者たちの間では、暗黙の了解になっています」

 トーコの視線は悲しみの感情を多量に含むようになっていた。

 だが、そんなトーコの視線をアブレアは気にする様子も無く、淡々と自分の置かれている現状を語って見せる。


「それじゃあアタシたちがこの部屋に出入りしても見咎められないのは……」

「ええ、そう言う事情があるからです。尤も、何をしても私が大した反応を見せないせいで、二、三年前からはめったに訪れる人は居なくなりましたけど」

「ふうん……そうなんだ……」

 顔に僅かな笑みを浮かべながら話すアブレアの声には、悲しみや怒りと言った負の感情は含まれていなかった。

 そして、その事こそがトーコにとっては最も悲しく感じられた。

 アブレアはフローライトの事以外は自分自身も含めてどうでもよくなっていて、自分の処遇に対して怒りや悲しみの感情を抱くと言った事を、忘れてしまっていると言う事実を悲しく感じたのだった。

 と同時に、そう感じたからこそトーコは一つの質問をアブレアに対してしたくなった。


「ねえ、レアたんはフロりんの願いが叶って、ソフィアんとの契約が果たされたらどうするつもりなの?」

「フローライト様の願いが叶い、ソフィア様との契約が履行されたら……ですか」

 それは主であるフローライトが死んだ後、アブレアはどうするのかと問う事に等しかった。


「そうですね。フローライト様が居なくなったなら、私ももう生きている必要はありませんし、ここで黙って朽ち果てるのを待つだけでしょうか」

 対するアブレアの答えは、自ら命を絶つと言うに等しい言葉だった。


「そっか……うん、分かった。そう言う事なら、アタシちょっとフロりんと交渉してくるね」

「交渉……ですか?」

「うん、アタシはまだ今回の仕事の報酬を言ってなかったからね。フロりんに言ってくる」

「その、何を貰うつもりですか?フローライト様自身はソフィア様が貰うと仰っていますし、本についてもシェルナーシュ様が貰うと仰っていましたから、既にあの部屋には碌な物が……」

「レアたんを生きたまま貰って、バラして、調理して、食べてあげる。どうせ捨てる命だって言うなら、別に良いでしょ?」

「!?」

 その言葉に自分自身でも気づかない程に微かな怒りを覚えつつ、隠し扉を開けたトーコは、アブレアを貰う交渉をするべく、フローライトの下へと向かう。

 自分自身でも何故こんな行動をしているのかを理解出来ないままに。

首領付きの侍女の見た目が悪いわけないんだよなぁ……なお、アブレアはだいたい二十歳前後です。

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