第74話「堕落都市-4」
時は少々遡り、ソフィアとトーコの二人がマダレム・エーネミへと調査に向かうべく、フローライトの居る部屋から出ていってからしばらく経った頃。
「まったく、何故小生が石積みなどしなければいけないのだ」
「頑張ってね。シェルナーシュ」
小さなカンテラ一つしか灯りが無い部屋の中で、シェルナーシュは一人地下水路に通じる穴の前で、穴を埋める様に石を積み上げていた。
何故こんな事をシェルナーシュがしているのか。
「この穴を開けたのはソフィアの奴だと言うのに」
「でもそのソフィアが貴方にしか出来ないと言ったんでしょ」
それは、万が一地下水路に降りてきたヒトが居て、そのヒトにフローライトとシェルナーシュたちが見つかる事が無いように、ソフィアがこの部屋に開けた大穴を塞ぐためだった。
勿論、本来ならば穴を開けた張本人であるソフィアが塞ぐべきであろうし、ソフィア自身も本心ではそれを望んでいた。
「小生の手札を一枚晒す事になるのを承知の上でな」
が、シェルナーシュの使える魔法を把握していたソフィアは、自分でやるよりもシェルナーシュがやった方が効率が良いと判断し、この場をシェルナーシュに任せたのだった。
「まったく、これでアイツ等が自分の仕事を果たしていなかったら、杖で殴るぐらいでは済まさんぞ」
やがて壁の残骸である石と、アブレアが修理用の素材として持ってきた木材で壁の穴を埋めたシェルナーシュは、壁の穴に向けて自身の杖の先端を向ける。
「……」
シェルナーシュの中にある力の塊から、小さな力が削り出され、小さな力はシェルナーシュの腕、手を経由し、杖の先端へと向かう。
そこから杖の先端に辿り着いた力は目の細かい網のように形を変え、杖の先端から放出されると、シェルナーシュの目の前に積み上げられた石と木の塊に絡み付いていく。
そして、杖の先端から放出された力は周囲の空間に滞留している自身と似た力を取り込むと、僅かずつその範囲を広げていき、やがて石と木の塊を覆い尽くすようになる。
「あらすごい」
勿論これらはシェルナーシュの感覚が捉えている情報でしかなく、現実に見えている光景ではない。
が、フローライトはまるでその光景が見えているかのように、精神統一を図っているシェルナーシュには聞こえない声量でもってそう呟く。
「接着」
そうしてシェルナーシュがその魔法の名を呟きながら、杖を軽く振った時だった。
石と木の塊を覆っていた力は糊のように強い粘性を持った液体へと一瞬変化すると、液体に触れている部分にある物質を僅かに溶かし、融合させた上で、跡形もなく消失。
そして、その後に残っていたのは繋ぎ目も無く木と石が混ざり合わさった奇妙な姿の壁だった。
「これで良し。と」
「これはまた便利な魔法ね」
「ふん」
シェルナーシュ第三の魔法、接着。
それは二つの固体が接触し合っている場所に対してのみ効果を発揮する魔法であり、その効果は両者の表面上を僅かに溶かして液状化させた上で混ぜ合わせ、その後両者が混ざりあった状態のままで再度固体に戻す事によって、二つの物体をくっつけると言うものである。
「その言葉ならソフィアにも言われた」
「あらそうなの」
その用途は今回のように破片同士をくっつけて補修すると言うだけでなく、敵対者の足と地面の間に発動することによって動きを阻害したり、ただ壁に掛けただけの梯子に安定性を持たせるなど、発想次第で無数の使い道を持つ魔法である。
なお、二つの物体をくっつけた時点で魔法自体は終わっている為、くっつけたもの同士を安全に引き剥がすためにはそれ専用の魔法が必要になる……が、現状シェルナーシュはそのような魔法を使えないため、シェルナーシュ自身は乾燥と酸性化に比べて多少使いづらいと言う判断をこの魔法に下している。
「まあいい、これで今小生がやるべき仕事は終わった」
シェルナーシュは杖で数度壁を叩き、しっかりと固まっている事を確認すると、部屋唯一の光源であるランタンを持って、本棚の前へと移動する。
「小生はここで本を読ませてもらうからあまり騒ぐなよ」
「分かったわ」
そして適当に一冊の本を本棚から取り出すと、近くの壁に背を預けて本を読み始める。
「……」
「……」
ペらり、ぺらりと本のページをめくる音だけが部屋の中に響く。
「ねぇ、シェルナーシュ。一ついいかしら?」
「なんだ?」
シェルナーシュが本を読み始めてからしばらく時間が経った頃。
唐突にフローライトがシェルナーシュに声をかける。
「シェルナーシュはどうして私の依頼の対価として、この部屋と『闇の刃』が所有している本を求めたの?」
「どうしてそんな事を聞く?そんなのは小生の勝手だろう?」
「だって普通の妖魔ならソフィアのようにヒトを求める筈よ」
「……」
フローライトの言葉にシェルナーシュはどう応えるべきかを悩む。
ここでフローライトの機嫌を損ねるのは、何かと都合が悪いからだ。
「小生にとってヒトは命を繋ぐのに最低限必要な数だけ食べられればそれで十分な程度の物でしかない。小生にとっては、こういう本から知識を得た方が、沢山のヒトを食べれる事よりも価値がある。ただそれだけの話だ」
そうしてしばらく悩んだ結果として、シェルナーシュは素直に答える事にした。
「ふうん、字を読む練習中なのに」
「なっ!?」
「だって、きちんと揃っているのに、二巻の次に五巻を読むなんておかしいもの」
「ぐっ……」
尤も、素直に語った結果として、フローライトに好感を持たれると共に、多少の恥を晒す事にもなったのだが。
「ま、まあいい、折角だ。小生からも貴様に聞きたい事が有る」
ただ、ここで怯んでも、そのままただでは転ばないのがシェルナーシュと言う妖魔であるのだが。
「何かしら?」
そして、シェルナーシュの放った質問は……
「何故貴様は魔石も無しに魔法が使える?」
「へぇ……」
フローライトの関心を引くのに十分な質問だった。
シェルナーシュの所有魔法三種、これで全部出ました。
乾燥、酸性化、接着の三つになります。