第73話「堕落都市-3」
「強い……幻覚作用?」
トーコは訳が分からないと言った様子で首を傾げる。
それを見た私は革袋を袋の中にしまうと、再びゆっくり歩き始める。
「その辺りの記憶は曖昧だから、具体的にどういう幻覚を見るのかは私にも分からないわ。ただ、どうにもその幻覚に伴って、基本的には心地よい酩酊感、幸福感、満足感、全能感、その他諸々を服用者は味わうらしいの」
「へー、ちょっと気になるかも」
「止めておきなさい。基本的にはと言ったでしょう。場合によってはこの世の物とは思えない恐ろしい何かを味わう場合だってあるのよ」
「う、それは確かに嫌かも」
私の言葉にトーコは凄く嫌そうな声を漏らすが……正直に言わせてもらうのなら、一発目でそう言う嫌な幻覚を見た方がジャヨケに限ってはまだ良いかもしれない。
「それにね。所詮は薬なのよ。どれほどの多幸感を感じた所でそれは一時的な物。効き目が切れれば……今まで味わっていた良い気分以上の脱力感、虚脱感、絶望感と言ったありとあらゆる負の感覚が押し寄せて来る事になるわ」
「うげっ」
「おまけにそう言った負の感覚から逃れるために、ジャヨケを知っている者は以前よりも量を増やした上で服用するの。効き目が切れた後にもっと大きな絶望感を味わう事になるのも理解できずに……ね」
「……」
「そして最後に行き着くのが、さっきから時々見かけるブツブツと何事かを呟くだけになってしまったヒトたち。彼らはもう相当な量のジャヨケなしではマトモに活動する事も出来ないし、そんな量のジャヨケを取り込めば……良くて廃人ね」
「ううっ……」
私の言葉に再びトーコが泣きそうな雰囲気を放ち始める。
まあ、ヒトとしての感覚や知識に乏しいトーコには、どうしてヒトがこんな薬を使いたがるのかは理解できない事柄ではあるのだろう。
ただ、ジャヨケとしての使い方も、マカクソウとしての“正しい”使い方も知っている私としては、間違った使い方を広めた何者かへの怒りと、その何者かに踊らされている愚者への哀れみを感じる。
うん、とりあえず、トーコの為にも一応正しい使い方を教えておこうか。
「一応、正しい……と言うか、良い使い方もあるのよ」
「そうなの……?」
「ええ、後少しだけ自信があれば、目の前の難題を超えられる。そういう人に対して、ごく少量を本人には教えずに与えるの。そうすればジャヨケの効果によって背中を押された人間は、目の前の難題を超える事が出来る。そして一度超えられれば、大抵のヒトはもうそれは自分に出来る事だと認識し、次からはこんな物は必要としなくなるわ」
「副作用も本人にジャヨケの事を教えてないから大丈夫って事?」
「ええ、本人的には無茶をした結果の疲れとしか感じ取れないでしょうね」
そう、マカクソウも本来はヒトの助けになる薬なのだ。
「要は使い方の問題なのよ。ジャヨケの場合はその使い方が難しいと言うだけの話」
「そ、そうなんだね……」
尤も、だからこそマダレム・エーネミにおける正しい使い方……後少しで魔法が使えるようになる者に与えると言う使い方では無く、誤った使い方を広めた者に対して怒りを覚えるのだが。
ヒトの繁殖効率を下げ、味をクソな物にしてくれたという意味でだが。
とりあえず誤った使い方を広めたヒトを見つけたら、その時は全身全霊一切の出し惜しみなく殺させてもらうとしよう。
どうせ、この都市の有力者の誰かだろうしね。
「ちなみにだけど」
「何?ソフィアん」
「私たち妖魔はこの手の毒に対してかなり強い耐性を持っているから、普通のヒト十人ぐらいが一発で廃人になるような量のジャヨケを呑み込んでも、胃の中の物全てを吐き出したくなるような不快感に襲われるだけでしょうね」
「それはそれで十分過ぎるぐらいに嫌なんだけど!?」
なお、妖魔と言うのは基本的にヒトよりも頑丈で、特に胃腸関係の強さはヒトとは比べ物にならないため、ジャヨケ廃人を食ったところで一昼夜吐き気を催し続ける程度で済むだろう。
トーコの言うとおり、それはそれで拷問に近い物ではあるが。
後それともう一つ。
「それに所詮は薬の作る幻覚。至高の果実たるネリーの味は勿論の事、その身から湧き立つ芳香だけでも私を十二分に興奮させてくれるフローライトの味を想像したら……ああん、どっちが上かだなんて考えるまでもないわ」
所詮ジャヨケの幻覚によって作り出されるのは自分の中にあるものをより合わせて作っただけの紛い物。
本物が与える快楽には決して勝てないのだ。
そう、燃え盛るマダレム・ダーイの中で味わい尽くしたネリーが与えてくれた快楽のように、これから暗い暗い闇の中でフローライトがくれるであろう幸福のような、本物には決して勝てないのだ。
「ソフィアん!?落ち着いて!?なんか廃人のヒトたちよりもよっぽどヤバい感じになってるから落ち着いて!?」
「落ち着いて?十分落ち着いているわ。ただネリーと過ごしたあの一時の事を思い出したらそれだけで、エクスタシーを感じて……」
だから、その事をトーコに伝えるべく私が熱弁を振るおうとしたら……
「ああもう……そぉい!」
「ぐふうっ!?」
私の目にも止まらないスピードでもって踏み込んだトーコが、私の腹を右の拳で殴りつけてきた。
そして私の意識はそこで途絶える事になったのだった。
スイッチ一つでこれだよ
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