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第68話「マダレム・エーネミ-7」

「暗くて何も見えないねぇ……」

「そうだな。小生の目では何も見えん」

 水路の中には一切の明かりが存在せず、非常に暗かった。


「まあ、いざとなれば水の流れに従うか、逆らうかすれば、外には出れるみたいだけど」

「尤も、入口も出口も複数用意されているだろうから、何処に出るか分かった物ではないがな」

 これは水路の上に蓋をするかのようにマダレム・エーネミの家々が建造されている為であり、その為に外の光が見えているのは時折作られている立坑……ああいや、都市の住人からすれば井戸か。

 とにかく、外の光が見えているのは井戸部分だけであり、その井戸部分にしても上から降ってくるものを防ぐための屋根が用意されているのと、現在の時刻が夜と言う理由でもって、暗視能力を持たないものには、井戸部分に出ても明るさでは気付けないようになっていた。


「それに水の流れがあると言うが……小生にとっては歩きづらい事この上ないぞ」

「まあ、ひざ上まで水が来ているもんね」

 で、水路の広さだが、三人の中で一番背が高い私が立って歩いても大丈夫な程度には高さがあり、水量も膝上程度までと豊富である。

 うん、これだけの水量が有って、しかも常時新しい水がベノマー河から流れて来ており、しかも幾つもの水路が絡み合っているとなると、井戸に毒を投げ込んだりしても大した効果は上がらないだろう。

 ただし、基本的にヒトが立ち入ることを考慮に入れていないのか、水路の左右に通路が有ったりはしないし、水面下には色々なもの……恐らくは井戸の中に落とした木桶や、投げ込まれた人の頭蓋骨などが転がっている為、足元に注意して歩かないと中々に危険な状態になっている。


「で、ソフィア。貴様はこの暗闇でも見えているんだな」

「勿論よ」

 そんな妖魔でも探索することが億劫になりそうなマダレム・エーネミ地下水路であるが……私にとってはそこまで怯える場所では無かったりする。


「通路の壁もはっきりと見えているし、水面の位置も把握できているわ」

「ほう……」

「便利だねー」

 と言うのも、私の目は温度の違いでもって空気、壁、水面を見分ける事が出来るし、空気の流れと違いを舌で感じ取れば、どちらの方向に井戸を始めとする地上部分との繋がりを有する施設があるかも分かるからだ。


「便利ついでに、そろそろどうやって上に上がるかを小生たちに教えてもらっていいか?上にヒトが居たとは言え、今も井戸を一つ無視したようだしな」

「そうね。探しながら説明をした方がいいかもしれないわね」

 さて、私たちがマダレム・エーネミの地下水路に潜入したのは、当然マダレム・エーネミの内部に侵入するためである。

 ではどうやって地下水路からマダレム・エーネミに移動するのか。

 方法は三つほどある。


「まず一つ目はシェルナーシュの言うとおり、井戸を登る方法ね。トーコなら一回の跳躍で井戸の上まで上がれるでしょうし、シェルナーシュも壁に張り付けばゆっくりだけど登れるわ。私は……まあ、井戸なら釣瓶があるでしょうし、それを使って二人に引き上げて貰えばいいわね」

「じゃあどうしてそれをしないの?」

「家の外に置かれている井戸を登る場合、敵に見つかるリスクがかなりあるのよ。この都市だと灯りの有無で衛視の接近を気づくのも危険でしょうしね」

「ここでも暗視の魔法か……本当に厄介だな」

 方法その一、井戸を登る。

 ただしこの方法だと、少なくない確率でマダレム・エーネミの衛視に発見されると思っている。

 この方法を使うのなら、せめて個人の家の中に造られた井戸ぐらいは見つけておきたい所である。


「二つ目は地下水路管理用の施設が何処かにあるはずだから、その施設から脱出する」

「そんなのあるの?」

「あるだろう。と言うか、無いと地下水路に何かしらの異常が発生した場合、手の打ちようがない」

「ただこの方法もお勧めは出来ないわね。その施設には確実に管理人が常駐しているでしょうし」

 方法その二、専用の昇降施設からの脱出。

 ただしこの方法でも、それ相応の騒ぎは起きると思った方がいい。

 なにせ誰も居るはずのない地下水路から突然人が現れるのだ、騒ぎにならない方がおかしい。

 まあ、管理人に気づかれずに脱出出来るのであるのならば、この方法は十分に有りだろう。


「三つ目は秘密裏に造られた地下水路に降りる為の通路を探し出し、利用する事。個人的にはこれが一番のオススメね」

「へ?秘密裏?何でそれならいいの?そもそも、そんなのあるの?」

「なるほど。確かにそれならば小生たちにとっても都合がいいか」

 トーコは分かっていないようだが、シェルナーシュはどうやら私の言いたい事を理解したらしい。

 まあ、トーコの為にも、きちんと説明しておくとしよう。


「考えてみなさい。この地下水路は都市の外にまで通じているのよ。いざと言う時の脱出路として使う事だけを考えても、都市の有力者……それも自分だけは何としてでも助かりたいと考えそうなこの都市の有力者たちなら、確実に作っているわ」

「当然、そんな通路が存在することは他の有力者には秘密だろうな。仲が悪いものに位置がバレればどう利用されるか分かったものでは無い。そして、そう言う代物であるが故に、仮に小生たちが邪魔者を排除しながら通ったとしても、騒がれることはない。いや、騒げない」

「勿論、最後の生命線になるものだから、偽装は十分に施されているでしょうし、場合によっては扉じゃなくて簡単に壊せる石の壁でもって塞いでる可能性もあるけど……私の感覚は誤魔化せないわ」

「えーと……つまり?」

 トーコは未だに十分理解できていないようだが……まあ、トーコだから仕方がないか。

 これ以上は気にしても仕方がない。

 と言うわけで、私は自分の感覚が導く通りに歩き続け、やがて一枚の壁の前でとある匂いを感じ取り、立ち止まる。


「この壁の向こうに上に繋がる空間があるわ。しかもかなり美味しそうなヒトの匂いもするわね」

「ほう……一人か?」

「へぇ……一人?」

 その壁は、普通のヒト……いや、普通の妖魔には分からないだろうが、他の壁よりも厚みが薄くなっている上に、結合も緩くなっていて、大型の斧の一撃程度でもって破壊出来るように調整されているようだった。


「ええ、一人よ。まあ、相手が魔法使いの可能性もかなりあるから、油断は禁物でしょうけどね」

 うん、これならば、私のハルバードでもって地下水路側から破壊することも出来るだろう。


「じゃっ、私が壊して突入するから、一先ずは様子を見て」

「分かった」

「うん」

 私は背中のハルバードを両手で持つと、二人を私が居る場から多少離す。


「すぅ……」

 そして私は狭い水路の中で振りかぶれる限界までハルバードを振りかぶり……


「はっ!」

 狙いを付けた壁に向けて全力でハルバードを叩きつけた。

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