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第44話「マダレム・シーヤ-5」

「さてと、今日はもう部屋に上がらせてもらうわ。服も乾かさないといけないし」

「そう言えば、胸の前で酒樽を押し潰していたな。替えの服は要るか?」

「要らないわ。一晩放っておけば乾くし、替えの服も持っているから」

「そうか」

 その後、マスターからマダレム・シーヤ周辺の状況や地理についても幾らか教えてもらったところで、私は荷物を持って席を立つ。


「朝食は何時頃までに来れば大丈夫?」

「陽が真上に登るような時間じゃなければ、多少は出してやる。暖かいの欲しければ、早めに起きる事をお勧めするがな」

「分かったわ」

 そして、明日の朝の御飯について聞いたところで、私は渡された鍵の番号通りの部屋へと向かう。


「うん、いい感じ」

 さて、私の部屋は?

 小さなベッドが一つと、通りに面した窓が一つだけ取り付けられており、ドアについている鍵を閉めてしまえば誰も入っては来れないようになっていた。

 うん、私の注文通りの部屋だ。


「窓から屋根の上に登ることも可能そうだし……早速行きますか」

 部屋の鍵をかけた私は革鎧と服を脱ぐと、胸の部分に詰め込んでおいた私本来の衣服を取り出し、身に着けていく。

 で、最後にフードを目深に被ると、ハルバードを背中に背負い、窓の木枠に片足をかける。


「さあて、美味しそうな子は居るかしら?」

 そして私は窓から宿の屋根の上へと登ると、夜のマダレム・シーヤへと繰り出す。

 目的はヒトを食べる事。

 それも出来れば美味しそうな子をだ。


「ふふっ、楽しみ」

 私は舌なめずりをしながら、今晩の獲物を探し始めた。



■■■■■



 同時刻、マダレム・シーヤ共有井戸。


「ぷはぁ」

「あー、すっきりした……」

 そこでは複数人の男が、頭から冷水を被っていた。

 勿論、春に入ったと言っても、まだ夜の空気は冷たい。

 だがそれでも、我先にと男たちは冷水を被り、頭を冷やしていた。


「いやぁ、とんでもなかったな」

「まったくだ」

 何故彼らはそんな事をするのか。


「人は見かけによらないとはよく言ったものだよな」

「うんうん、まさかあんなにあっさりと酒樽を割って見せるとは、思わなかった」

 それは酒に酔った頭を冷やし、正常な状態に戻すと言う意味もあった。

 が、それ以上に酔った勢いのままに不名誉な行為を働こうとした自分たちを諌めると言うの方が彼らの中では大きかった。


「まあ、何かしらの種は有ったんだろうけどな」

「それは……まあそうだろ。流石に素の腕力だけでアレをやれたら、ヒトじゃない」

 そう、彼らは先程『クランカの宿』の中でソフィアに声をかけ、目の前で酒樽を絞め壊すと言うソフィアのパフォーマンスに顔を青くして逃げた男たちだった。


「ま、種が有ったとしても、俺たちはそれを見抜けなかった。それだけで、俺たちは自分たちよりも彼女の方が強いと認めるべきだ」

「だなー」

「ああ、その通りだ」

「うんうん」

 彼らは冷水を浴び続け、酔いが完全に冷めた所で、先程の自分たちの醜態を素直に認め、頷き合う。

 自分たちの非を素直に認められる。

 それは傭兵と言う稼業の中においても、美徳と言うべき点だった。

 ただ彼らは気づいていなかった。


「とりあえず明日の朝にでも詫びを入れに行くか」

「そうだな。それがいい」

 自分たちの周囲の空気が異様に乾燥し始めている事に。

 井戸の水でしっかりと濡れたはずの髪と服が異様な早さで乾き始めている事に。


「で、出来れば仲間にも誘いたいなーなんて」

「それは止めとけ。昨日の今日じゃ邪推しかされない」

 彼らは気づいていなかった。


「だよなー」

 建物の陰から自分たちに向けて手のような物を伸ばしている事に。

 その人影が獲物を前に舌なめずりする獣のような笑顔を浮かべていた事に。


「しかし、妙に喉が……!?」

「どうし……!?」

「何が……!?」

「ぐっ……!?」

 男たちがその場に倒れていく。

 そして、倒れてもなお男たちの身体は乾いていき、やがて干物のように全身の水分が抜け落ちてしまう。


「ん、しばらく分の食料を確保」

 そうして四人の男がまるで枯れ木のようになったところで、その人影は乾いた地面に水で濡れた足跡を残しつつ建物の陰から出て来て、男たちの死体を袋の中に収めていく。


「さて、小生の寝床に帰るか」

 やがて全員の死体を袋の中に収めた所で人影は去る。

 そう、彼らは知らなかった。

 脅威とはどれほどの美徳を有している物にも、唐突に訪れるのだと言う事を。



■■■■■



 更に同時刻、マダレム・シーヤ北西部住宅街。


「んー……微妙だなぁ……」

 その家の中では一人の少女が椅子に座り、何かの肉を食べていた。


「やっぱり間違えたっぽいかなぁ……」

 ただ、その肉は調理と言うものが一切されておらず、完全に生のままであり、これだけでも少女の異常さが良く伺える光景だった。

 だが、少女の周囲に広がる光景に比べれば、生の肉を食べている程度は大した異常ではないだろう。


「血抜きって難しいなぁ……どうやったら上手くいくんだろう?」

 なにせ少女の周囲には、この家本来の住人だったであろう家族たちの身体が縄にくくられ、吊るされていたのだから。

 しかし、これだけでも十分に異常な光景であったが、それ以上に異常な点が家族の死体にはあった。


「んー、死んで直ぐじゃなくて、生きたままの方が良さそうではあるんだよねぇ。今度試してみようかな」

 その家族の死体には、それぞれ一つずつ体を深く抉るような切り傷があると同時に、まるで切り取られ、分解されたかのように身体の一部が欠けていたのである。

 そう、それこそ屠殺場で解体される獣のようにだ。


「おい!さっきからドタドタと五月蠅いぞ!」

「こんな夜中に一体何をしているんだ!」

「と、いけないいけない。ヒトが集まってきちゃった」

 と、ここで家の外から人々が集まってくる音が聞こえてくる。

 その音を聞いた少女は家の二階へ、そこから更に窓へと駆け出す。


「「「っつ!?」」」

 そして、家の中へと人々が踏む込み、目の前に広がる凄惨な光景に絶句している間に、少女は尋常ならざる脚力でもって家から離れ、夜のマダレム・シーヤへと消え去っていく。


「ちゃんと隠れなきゃね」

 そうして十分に距離を取ったところで、少女は腰に挿した鉈の血を舌で拭い、衣服も血で汚れていないものに着替えると、何事も無かったかのようにヒトの集団に紛れ込む。

 己の異常性を完璧に掻き消して。

さて何者でしょうな?

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