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第32話「『冬峠祭り』-2」

「何が……」

「おっと」

 動揺し、ジョッキを手から落とすと同時にその場で尻餅をつきそうになったネリーを、私は後ろから優しく受け止め抱きかかえる。


「ソフィ……ア……みんなが……」

「大丈夫よネリー。貴女と私のジョッキには毒なんて無粋な物は入っていないから」

「ど……く……?」

「そう、毒」

 目の前の状況に頭が付いて行かず、目の焦点が定まっていないネリーの顔を、私は上から覗きこむように見つめる。

 そして、耳元で優しく囁くような声でもって語りかける。


「勿論ただの毒じゃないわ。甘くて香ばしくて、一度口に含めば二度三度と飲み込まずにはいられない、けれどほんの僅かな量でも飲み込んでしまえば、心の臓が止まり、二度と目覚める事のない猛毒」

 そうして私がネリーに語りかけている間にも、毒を飲んだ『サーチアの宿』の客達の顔色は悪くなり、全身の穴から液体を垂れ流しつつ、永遠の眠りに就いて行く。


「どう……して……?」

「どうして?」

 ネリーが私に問いかけてくる。

 このどうしては、どうしてこの毒について私が知っているのかを問いかけているのでは無く、どうして私がそんな毒を客とおかみさんに盛ったのかを問うものだろう。

 けれど敢えて、私は前者のどうしてについて答える。


「そんなの私が祝いの酒樽にこの毒を仕込んだからに決まっているじゃない。でも、これだけの事をした価値が有ったわね。だってネリーのこんな表情が見られたんだもの」

「!?」

 ネリーの表情が歪む。

 状況に頭が付いて行っていなかった状態から、目の前に居る私の事をまるで理解できないというような表情に。


「離し……」

「駄目よネリー。今ここで離したら、貴女は何処かに行ってしまうじゃない」

 ネリーが私から逃げるべく、四肢をつんのめろうとする。

 が、武器も魔法も特別な技術も持たないヒトが、私に抱きかかえられた状態から逃げられる程、私の身体の力は弱くない。


「誰か!誰かぁ!」

「無駄よネリー。今外は宿一つに構っていられるような状況じゃないもの」

 助けを呼ぶべく、ネリーが叫び声を上げる。

 だが、それに反応する者はいない。


「火事だあぁぁ!北の丘が!『大地の探究者』の拠点が激しく燃えているぞおおぉぉ!」

「そこだけじゃない!そこら中から火の手が上がっているぞ!」

「妖魔だ!妖魔が空から火を落としてきやがった!」

 それどころか、ネリーの叫び声を上回る大きさの声がそこら中から響き渡り、それらはやがて喧騒へ、そしてパニックを起こした人々の悲鳴と慟哭へと変化していき、それに伴う形で激しくヒトが駆けまわる様な音が街全体から鳴り響くようになっていく。


「なに……が……」

「説明してあげるわ」

 私は再び状況に思考が追いつかなくなってしまったネリーの為に、耳元で囁く形で優しく説明をしてあげる。


「私の仲間が北の丘……『大地の探究者』の拠点に火を付けたの。予め私が仕掛けておいた、油のたっぷり染み込んだ麻縄や、燃えやすい枯れ木なんかを巻き込みながらね」

「……」

「そして、それに合わせて、街中に空から火の付いた松明を沢山落としたの。勿論、北から乾いた風が吹く事を計算に入れて、この宿には延焼が及ばないように考えた上で……ね」

「どうして……むぐっ!?」

 私はネリーの唇を奪い、続きの言葉を無理やり奪い取る。


「っつ」

「ふふっ、可愛い。でもね、ネリー。私の仕込みはこれで終わりじゃないの。ほらっ、聞こえてきたでしょ」

「えっ……?」

 ネリーは全身全霊の力を込めて私の事を突き飛ばし、無理やり唇を離す。

 ああ可愛い。

 そして美味しい。

 けれど私はそれらの事柄を表情には出さず、ネリーに耳を澄ますように言う。


「妖魔だ!大量の妖魔があぁぁ……ギャバ!?」

「イヤアアァァ!?」

「逃げろ!逃げるんだああぁぁ!!」

「「「ーーーーーーーーーーー!!」」」

「っつ!?」

 そうして聞こえてきたのは多くの人々が火とはまた違う脅威から逃げ惑う声と、無数の妖魔の叫び声。

 その叫び声に、ネリーは信じられないような物を見るような目で私の事を見つめてくる。


「アレが私の仲間たちの声。西の森の中に潜ませておいて、夕暮れと同時に街の中に突撃し、暴れるように言い含めておいたの。ふふふっ、流石の衛視さんたちと傭兵たちも、数百の妖魔に一度に襲われたらどうしようもないわよね」

「ソフィアは……」

「ましてや、今日は『冬峠祭り』でどちらかと言えば気が緩んでいて、しかも夕暮れと同時に大規模な火災が起き始めた。これでまともに対応できたら、そっちの方が驚きだわ」

「ソフィアは一体何者なの……」

「ん?私?」

 ネリーの瞳は恐怖に震え、絶望と無力感に打ちひしがれていた。

 それはつまり、既に彼女が真実に辿り着いている事を示していると言っても良かった。

 けれど彼女は私に問いかけた。

 ならば、私も彼女に教えてあげるとしよう。


「私はソフィア。変わり者の蛇の妖魔(ラミア)。一目見た時から貴女に……ネリーに惹き付けられて、少しでも貴女の事を美味しく食べたいと思ってしまった妖魔」

「……」

 ネリーは既に全身を震わせ、声も発せないような状態になっている。

 今の私の言葉で、どうして私がこんな事をしたのかと言う答えに辿り着いてしまったが故に。

 けれど、どうせなら、最後まではっきりと私の口で告げるべきだろう。


「そう、ネリー。貴女の事を少しでも美味しく食べる為に、出来る限り多くの負の感情とそれらの負の感情の上でなお感じてしまうような快楽を貴女に味わってもらうために、私はマダレム・ダーイを滅ぼし、そこに住む人間を殺すの」

「あ……あ……」

 店の外からは徐々にヒトが発する音に混じって、妖魔たちが食事とその下ごしらえを楽しむ音が聞こえ始めて来ている。

 それと共に、この先自分に待ち受けている運命を理解したがために、ネリーの目が潤み始める。


「さあネリー。じっくりと、たっぷりと、時間をかけて、一つになりましょうか」

「い……」

 そして私はネリーの唇を自分の唇で抑え込むと、その場に押し倒した。

カーニバルダヨ

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