誰も並ばない乗り場

作者: ばんがい

俺は今年就職したばかり。地元から離れてひとり暮らしをしている。

仕事も土地も慣れないことが多くて大変だけど、それなりに楽しくやってる。

ただ一つのことを除いて……。



「ようおはよう。朝から疲れてんなぁ」

「おはようございます田中さん。いやーもう大変っすよ」

「まだ慣れない?満員電車」


そう、通勤時の満員電車ってのに俺はどうしても慣れる事ができなかった。学生時代もほとんど電車なんて使ってこなかったので、この初体験にはとにかく参っている。


「まぁみんな最初はそんなもんだ。そのうち慣れるよ」

「そうは言っても、毎日あれはキツイですよ。電車のサイズに対して、あの人数はどう考えても無理があるでしょ。始発が近いから元々乗ってる人はそれほど多くないはずなのに、乗り込む人が多すぎですよ。」

「……乗り込む人なのはお前もそうだけどな」


俺のいつもの愚痴を先輩の田中さんは苦笑しながら聞いている。


「そんなに嫌なら、お前も車買えばいいのに。楽で良いぞー。」

「新入社員にそんな金ありませんよ。ただでさえ越してきたばかりで苦しいのに」

「ふーん大変だね」


田中さんは今年から車で通勤を始めたらしい。

机の上に置いてある車のキーが反射でキラリと光っている。


「……そういえば田中さんってうちの近所住んでましたよね?」

「ん?あぁ、確かにそうかもな。俺も電車通勤の時はお前と同じ駅から通ってたし。」

「……朝だけでも送ってもらうとか、無理っすか?」

「無理に決まってるだろ!嫌だよ。二人で毎日通勤なんて」

「そこを何とか!ねっ、お願いしますよ」

「無理無理」

「そこをなんとか!」

「無理なものは無理だって」

「あぁー、やっぱ無理かぁ」


俺が頭を抱えて悶えているのを笑って見ていた田中さんが、そういえばと呟いた。


「お前さ、いつも駅のホームってどの辺に並んでる?」

「どの辺って……、別に決めてませんよ。大体真ん中くらいじゃないですか」

「だったら明日会社に来るときは電車の先頭側、一番端っこに並んでみろよ。」

「えー?そんなに変わります?」


確かに多少は効果がありそうだが、毎日の混雑があんな状態だ。正直このアドバイスは疑わしい。


「まぁ普通なら変わらんが、あそこの駅はちょっと特別でな。モノは試しで一回やってみろ。間違えんなよ。先頭側だからな。」


そう言って田中さんは話しを打ち切った。どうせ明日電車に乗ることは変わらないんだし、まぁ試してみても良いか。



次の日、先輩からのアドバイスに従った俺は、ホームの一番端っこへと向かった。

ホームの先頭は屋根が切れている。まぁ雨の日とかは並ぶ人少なそうだけど……。残念ながら今日は晴れ、日差しが直接当たって暑い。やっぱりこれは田中さんにダマされたかもな。

まぁ、会社についた時の話題が1つできたと思っておくか。そんなことを考えながら俺は駅のホーム先頭で電車が来るのを待っていた。


……変だな、いつもなら後ろにできる電車を待つ列が今日は全然できない。周囲を見回すと他の場所ではいつも通りに行列ができている。もしかして間違えた場所に並んでる?

停車位置は、……間違ってないよな。


*ギュッ*


考え事をしていると突然何かに腕をつかまれた。

ギョッとして横を向くとそこには小さな女の子が一人で立っていた。

幼稚園くらいか?いつからいたんだろう?

女の子はこっちの動揺など全く気にしていないように俺の腕をつかんだままだ。何故か視線は俺の方ではなく、じっと線路の方を見続けている。


「どうしたのお嬢ちゃん?」

「一人じゃ電車に乗れないの。一緒に乗って」


そう言って俺の腕を更に強くギュッと握ってきた。突然のことに驚いたが、彼女の話した内容に思わず口元が緩む。あぁ、わかるな、こういうの。俺も初めて一人で電車に乗る時はなんだか不安になったもんな。

いいよ一緒に乗ろう。そう言おうとした直前にホームのスピーカーから電車が来ることを知らせる放送が流れた。


【まもなく電車が通過します。黄色い線の内側までお下がりください】


……急に飛び出したりはしないだろうけど、ちょっと怖いかな


「ねぇお嬢ちゃん、電車が来るみたいだから一歩後ろに下がろうか。」

「一緒に乗って一緒に乗って」

「次に来るのは通過する電車だから乗れないよ。」

「一緒に乗って一緒に乗って」


何度声をかけても、女の子は線路のほうを眺めたままで俺の言葉には一切反応してくれない。壊れたスピーカーのように一緒に乗ってと何度も呟くだけだ。


【まもなく電車が通過します。黄色い線の内側まで……】


通過する電車が見え始めた。もうすぐ目の前を通過する。

それに合わせるように握ってくる女の子の手の力がドンドン強くなっていった。


「痛っ!」


もはや大人の力すら超えている。万力でしめあげるようにギリギリと、小さな女の子の指が俺の腕に食い込んでいった。さすがに、ここまでくれば俺でもわかる。この子は何かおかしい。ここに誰も並んでこなかったのって、この子が理由じゃないのか!?


「イッショニイッショニイッショニ……」

「離してっ!離せって!!」


俺は力いっぱい手を振りまわして、なんとか女の子の手を振りほどこうとしが、どうしても外れない。

電車はもうホームに入ってくる。通過する電車がスピードを緩めるわけはなく、まるで自分に向かって猛スピードで向かってくるようだ。

もうだめだ!

俺は思わず体を固くしてギュッと目をつぶった。電車の振動が足下を揺らし、電車に引っ張られるような強い風が顔に吹きつけた。

……しかし、それだけだ。それ以上はいつまでたっても何も起こらない。

恐る恐る目を開いてみると電車はもう通過していた。さっきまでいた少女の姿も消えている。

夢か?いやそうじゃない。掴まれた腕がまだ痛む。さっきのあれが何かは分からないが、これ以上ここに並んでいたくはなかった。

別の列から乗った電車はいつもと同じでぎゅうぎゅう詰めだったが、そんないつも通りが俺の気持ちを落ち着かせてくれた。

とにかく、会社に着いたら先輩に話を聞こう。



「よう、おはよう。例のやつ試してみたか?」

「田中さん!?」

「落ち着けよ、まるで幽霊にでも会ったみたいな顔してんぞ」

「まるで、じゃなくて本当に会ったんですよ!」

「ハハハ」

「笑い事じゃないですよ、田中さん、アレの事を知ってたんでしょ」

「まぁ一回落ち着けよ。俺だって詳しく知ってるわけじゃないんだ。深呼吸、深呼吸」


興奮している俺をなだめてくる田中さんにちょっとイラつきながら、それでも一度大きな深呼吸をしてみせた。その様子を見て田中さんは笑いながら、ようやく事情を話し始めた。


「ずっと前にあの場所で女の子が事故にあったらしい。ホームの端で待ってた女の子は転んだのか、それとも誰かに押されたのか。とにかく走ってくる電車にぶつかって、そんでそのまま亡くなったんだそうだ。それ以来あそこのホームから先頭の車両に乗ろうとすると女の子が腕をつかんでくるんだって。一緒に乗ってーって言いながらな。」


幽霊ってのは一人じゃ動けないもんなのかねーと、何でもないことのように田中さんはしれっとそんな事を語ってみせた。


「いやいや、知ってたならあんな事を勧めないでくださいよ!」

「ハハハハ。でも空いてただろ?」

「イヤイヤ。空いてたとかそういう事じゃなくて、俺もうちょっとで殺されるとこだったんですよ!」

「殺されるって、大げさだなぁ。」

「なんでそんなに、のん気な事が言えるんですか!?」

「だって去年車を買うまでは俺だって電車通勤だったんだぜ。ホラ」

「!」


そう言って腕まくりをしてみせた田中さんの腕には手の形をした赤黒いあざがはっきりと残されていた。間違いなく、今朝俺が会った少女に付けられたものだろう。


「ほらな?握ってくるだけでなんにも起こらないんだって。それに何があっても満員電車よりはマシだろ?」