閑話3・くゆる焔―後
謁見は最初に女王の発言がなければ、誰も声を出すことは出来ない。なのに、グリムレーリオはしばらくの間ひと言も発せず、押し黙ったままだった。
『…………気に食わぬ』
長い沈黙の末、不満たっぷりの声が響く。
「女王陛下、ご機嫌麗しゅうございます」
すぐさま重い空気を一蹴するように、ヨングが明るく挨拶をした。さすが女王と付き合いが長いだけのことはある。空気を読む気は全くないらしい。
『ヨング、其方の耳は飾りか? なんじゃそのトカゲ姿は。クレイドル、妾の前では素であれと常に申しているであろう』
どうやら女王はクレイドルがトカゲ姿でいたことにご立腹のようだ。ヨングとパケルスが『言う通りにしろ』と、無言で訴えてくる。
……面倒だ。
クレイドルは仕方なく変身の指輪を外した。
『やはり、いつ見てもクレイドルは麗しいの。妾は其方のその姿を見るのが何より楽しみなのじゃ。だのに、なぜ隠すのじゃ。その容姿、夕日のような髪と紅き瞳は、まこと美しき色じゃというに』
うっとりとした熱視線を向け、グリムレーリオはとろけるような笑みを浮かべる。その様子に、クレイドルはわずかに頬を引きつらせた。
「ひゃひゃ、隊長殿は女子を狂わせる魔性をお持ちですからねぇ。常に人型であれば国が傾きますよ、陛下」
…………はぁ。
心の中でため息をつく。
まるで見世物にでもなった気分だ。
上機嫌になった女王を見て取り、パケルスはそそくさと今回の報告を始めた。
「陛下、あの魔虫の蜂蜜屋は魔族の可能性が高いようですぞ」
『なにっ、魔族じゃと? ヨング。其方、今までそれを見抜けなかったのか?』
グリムレーリオは惚けた顔を一瞬で引きしめ、責めるような声を投げかけた。
しかし、ヨングはシワひとつ動じない。
すぐにいつも通りの商い口調を返した。
「陛下、それはあくまで可能性の範囲でございます。必ずしも魔族とは言いきれぬようでございますよ」
『そうなのか。魔虫の蜂蜜屋が魔族……。そうなると、ちと話がややこしくなるの。クレイドル、其方はどうじゃ? 魔族である其方の方が、そこなジジとババより詳しいであろう?』
見た目だけで判別できるほど、魔族は単純な種族ではない。グリムレーリオの言葉は、特別任務のことを聞いているのだとクレイドルは受け取った。
「オレには魔虫の蜂蜜屋が魔族かどうかは分からなかった。ただ、蜂蜜屋の娘が魔族のように見えたのは確かだ。もう一つの任務にも関係していると思う。それから考えれば、父親も魔族だと思うのが自然だという話だ」
『なるほどのう、あれに娘が関わっておったか』
自分の持つ情報と照らし合わせるように、ふむふむと女王は頷く。
「ああ、娘から強く気配を感じた。……それと、蜂蜜屋の娘は次の春からダイアランの学園に通うつもりでいるらしい」
クレイドルの言葉に女王は細い眉を寄せる。
『学園じゃと? あの、神が気まぐれに興したという学び舎のことか?』
「そうだ。滞在していた商人の屋敷では、そこの試験を受けるための勉強をしているようだった」
『……なんとも。娘が学び舎に通うのか』
自分の予定になかったことを告げられたように呟く女王を、クレイドルは意外だと思った。
女王は常に先のことを知っていて、決まった動きをする盤上の駒を眺めているだけだと思っていたのだが、そうでもないようだ。
まだ見ぬ何かに期待するかのように、好奇心に満ちた目で楽しそうに微笑んでいる。
「……もし気になるのなら、蜂蜜屋の娘の監視を続けてもいいが……」
自分も気になっているクレイドルは、気付けばそんなことを口にしていた。
もし魔王にしか従わないとされる邪竜を任せられているのなら、ルーリアは魔族領でそれなりの地位にいるということになる。
だったらそれを利用すれば、故郷を少しでも早く魔鳥たちの手から取り戻すことが出来るかも知れない。そんな打算が働いた。
『ほう、其方が自ら動くと申すは珍しいの。その娘が気に入ったのか?』
ハラリと開いた扇で口元を隠し、グリムレーリオはからかうように目を細める。
「相手は子供だ。妙な勘繰りは止めてもらいたい」
『くくく、隠さずとも良い。其方の選ぶ相手が誰であろうと、あの魔鳥の鳥女でなければ妾は良いのじゃ。まぁもっとも、美しい其方を手放すのは些か惜しい気もするがの』
良いと言いつつも、グリムレーリオは台詞の後半に流し目を加えた。
「オレは騎士として仕えてはいるが、貴女のものになった覚えはない」
『フフ、そうであったな。我が国は其方が故郷を取り戻すまでの止まり木であった。……ついでに妾を羽虫と呼ばわる、あの性悪な鳥女を追い落とすことが出来れば、妾はそれで良いのじゃ』
そう言ってグリムレーリオは、幼い容姿に似合わぬ艶やかな笑みを浮かべた。
妖精の女王と魔鳥の女王の間には、何やら深い因縁がありそうだ。
「任務であれば、オレに断る理由はない。世話になっている分は働いて返すつもりだ」
何も持たなかった自分を拾ってくれたのは女王だ。少なくとも恩は感じている。
『ならばクレイドルよ。引き続き其方には、蜂蜜屋の娘の監視を命じる。もし娘に良からぬ動きがあれば、其方の判断で対処するように。手に負えぬ時はパケルスを通して騎士団に報告せよ』
「承知した」
凛とした声で女王らしく下知したかと思うと、グリムレーリオはふっと目元を緩めた。
『……で、実際のところはどうなのじゃ? 可愛らしい娘なのであろう? やることさえやっておれば、それ以外は口説こうが利用しようが其方の好きにして良いぞ』
「……人聞きの悪い言い方は止めてもらいたい」
図星を突かれたクレイドルは心の中で冷や汗を掻いた。利用しようとしていることを見抜かれている。やはり女王の前で油断は禁物だ。
「それと、監視をするなら変身の魔術具の手配を頼みたい。オレの手持ちの魔術具では難しい」
『それは構わぬ。ヨングよ、其方に任せるぞ』
「ええ、かしこまりました。他にも必要な物はこちらで手配いたしましょう」
「頼む」
人族の国に詳しいヨングが用意してくれるなら、任せておいて大丈夫だろう。騎士団から予算が出ると分かったヨングに、いらない物まで押しつけられないよう注意だけはしなければいけないが。
「任務にはいつから就けばいい?」
『そうじゃな。冬に動くは不都合が多かろう。娘が学び舎に通う春からで良い』
「分かった」
そうと決まれば、自分は次の春に向けて準備をするだけだ。
クレイドルはその日から、騎士団でより一層、身体を鍛えるようになった。
それから少し経った、冬のある日。
「クレイドル。お前、ちっと顔付きが変わったか?」
パケルスの呼び止める声は硬く、その表情もどことなく険しい。
「……別に。オレはいつも通りだが」
「お前、まさか本気であの嬢ちゃんを利用するつもりじゃなかろうな」
「パケルス、これはオレたち魔族の問題だ。余計な口は挟まないでもらいたい」
クレイドルはパケルスに目も合わせず、そのまま部屋を出て行こうとした。
「余計な世話を焼くつもりはないが、クレイドル、これだけは言っておく。不義理なことだけはするな。そこを越えちまえば、取り返しのつかないことになるぞ。そういったものは、いずれ必ず自分に返ってくることになるんだからな」
分かっている、感情を押し殺したような声で返し、火蜥蜴姿のクレイドルは店を出て雑踏にまぎれた。
クレイドルの故郷を襲った魔鳥の女王、エミルファントの軍勢は数も多く、ひと筋縄ではいかない。だからと言って、ルーリアを当てにするのは筋違いもいいところだろう。
だが、6年だ。
日々、届けられるのは悪い知らせばかり。
中には故郷に帰ることを諦める者たちも出てきた。焦りを通り越して、藁にも縋りたい気持ちにさせるには十分な月日が過ぎたと言えるだろう。
必ず故郷と妹を取り戻す。
そのためには手段を選んでなどいられなかった。
例えルーリアが恩人だったとしても、故郷のために利用できるのであれば迷わずに使うつもりでいる。
ダイアランで再会したばかりの時は、ルーリアをただの子供だと思っていた。だから自分に出来ることがあるのなら助けてやりたいと、そう思ったこともあった。
だが落ち着いてよく考えてみれば、人族ではないのだから、見た目が幼いだけで自分より年上なのかも知れないと気付いた。
自責の念はある。葛藤もある。
だが、悩んでいる余裕はない。
……次にルーリアに会った時、オレはどんな顔をしているだろう。