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閑話3・くゆる焔―前


 紅い大トカゲが服を着て街路を歩く。

 つい1時間ほど前にダイアランから戻ってきたばかりの火蜥蜴(サラマンダー)、クレイアことクレイドルはサンキシュの石畳を足早に進んでいた。

 向かう先はヨングの店だ。


「邪魔するぞ」


 客を装って声をかけ、薬の匂いとかすかな香が漂う薄暗い店内へと入る。


「ひゃひゃ、邪魔するなら帰っとくれ」


 小気味好く返ってくる軽口を聞き流し、クレイドルは店奥にある小さな扉をくぐり、その中へと入った。小人には大きいのかも知れないが、この姿には窮屈な扉だ。

 部屋の中にはすでに先客がいて、クレイドルの姿を目に入れるなり、すぐに声が飛んできた。


「ギリギリだぞ、クレイドル。もうすぐ陛下との約束の時間だってのに、何やってたんだ?」

「済まない。私兵団に頼まれていた物を届けに行っていた」


 椅子に座っているパケルスの前のテーブルには、今回の任務で使用した大量の魔石が綺麗に並べられている。暇だったのか、ご丁寧に大きさ順で色分けまでされていた。

 これだけの魔石を使ったというのに、あの広いケテルの屋敷では、ありきたりな魔術具の魔力供給だけで終わってしまっている。


 一介の人族の商人が、どれだけの魔術具を保有しているというのか。

 少しでも変わった物があれば、そこから様々な繋がりが推測できたのだが、残念ながらその片鱗すら見ることは敵わなかった。


「女王への報告って言っても、パケルスがいれば十分なんじゃないのか? オレなんかいてもいなくても関係ないだろ」


 パケルスの向かいの席に座り、クレイドルは部屋の奥にある通信用の鏡を見た。今は深い沼底のような色をしている。


 今回の任務のリーダーはパケルスだ。

 結果を報告するだけなら一人でも出来るだろうに、と小さくため息をつく。


「おいおい、冗談は止めてくれ。お前がいなけりゃ、あの陛下のことだ。いったい何を言い出すことやら……」

「大袈裟だな」


 女王が自分に執心しているという話は、何度となくパケルスから聞いていた。

 だから余計に顔を合わせたくないのだが、とパケルスを睨むが、それとこれとは話が別だと返される。正直に言えば、面倒くさい。


 女王のことより自分にとっては私兵団の方が大事だ。いなくても構わない報告より、私兵団からの頼まれ事を優先するのは当然だろう。

 今回手に入れた通信用の魔術具で、団員たちはハロルドとの連絡が取りやすくなるはずだ。


 さすが大都会と言うべきか、ダイアグラムの街では何でも売っていた。あそこで手に入らない物はないのではないだろうか。

 山里で育ったクレイドルは、サンキシュの街でも十分に都会だと思っていた。

 だが、ダイアグラムの街は別格だった。

 四、五階建ての建物がそこら中に建ち並び、それが一般人向けの貸し住居だというのだから驚くしかない。


「ひゃひゃ、わざわざ人族の街までお疲れでしたねぇ、隊長殿」


 そう声をかけながら、店主のヨングが部屋に入ってきた。これで今回の任務に関わった者が全員そろったことになる。と言っても、三人だけだが。


 魔虫の蜂蜜屋と付き合いが長いヨングは今回の仲介役だった。

 まぁ、仲介とは言っても向こうは何も知らない訳だから、一方的なものにはなるが。


 クレイドルにとって、今回の任務は大きな驚きの連続だった。その中でもルーリアとの再会は、女王が裏で糸を引いているとしか思えなかった。


 女王は自分に何をさせようとしているのか。

 なぜ自分たちのことを知っているのか。

 どこまで先を読んでいるのだろう。

 今回の任務は本当に邪竜の存在を確認させるためだけのものだったのだろうか。


 一度考え出してしまうと、女王が何もかも知っているような錯覚さえ起こしそうになる。

 まるで手の平の上で(もてあそ)ばれているようだ。


 もしや女王の恩恵は、夢や未来、願望といった形のないものなのだろうか?

 妖精は自分の恩恵に関わるものを何よりも大切にする。女王が自分に執着する理由はそこにあるのかも知れないと、クレイドルは考えた。


「それで、どうだったんですか? 魔虫の蜂蜜屋は?」


 ヨングの声で、意識を小人の二人に向ける。

 最初に言い渡された任務は、魔虫の蜂蜜屋を見ることにあった。

 どんな人物で何を考え、何をしようとしているのか。それの調査だ。


「魔虫の蜂蜜屋は元は騎士だったのか? 身のこなしがそんな感じだった。それと、話を聞く限りでは魔族だと思うんだが、ただ、それにしては人族に寄り過ぎているのが気になる」

「ガハハ、違いねぇ。ワシも魔族だとは思うが、今どき珍しいくらいのお人好しだからな」


 パケルスがダイアランで聞き込んだところ、秋から流行っていた病に対し、魔虫の蜂蜜屋が陰で動いていたことは割と有名な話だったらしい。

 高価な魔虫の蜂蜜を、病人に無償で配っていたという。その話を聞いた時のヨングの顔は何とも言えないものだった。


「結局、魔虫の蜂蜜屋本人とは直接話すことが出来なかった。あの人族の商人がずっと側にいたからな。代わりと言ってはなんだが、娘の方とは少しだけ話せたが……」


 その娘、ルーリアの方が、まさかの特別任務の大当たりだった。

 どうしてルーリアから邪竜の気配がしたのかは不明だが、関わりがあるのは確かだろう。

 あの時、ヨングが口にしていた呪いという言葉も気にかかっている。


「おや珍しい。隊長殿がその姿で小さい子に話しかけるなんてねぇ。また泣かせたんじゃなきゃ上々ですよ」


 ヨングが茶化すように目元のシワを深めると、その話に乗ったパケルスもニヤリと口で弧を描く。


「それがな、泣かせたんだよ。この色男は」

「……余計なことは言わなくていい」

「おやまぁ。何かなさったんで?」


 ヨングの知りたがりとパケルスの喋りたがりはそろうと厄介だ。面倒事から逃げるように、二人の会話が適当に落ち着くまで、クレイドルはその様子を黙って眺めることにした。


「……へえぇ。あのお嬢さんに火蜥蜴(サラマンダー)のレシピを。しかも無償で」

「な、意外だろ?」


 ヨングは何とも言えない顔でクレイドルを見ていた。お人好しがここにもいたよ、とでも言いたげな顔だ。

 パケルスはクレイドルがルーリアに渡したレシピの話を、人助けをして悪人に狙われている魔虫の蜂蜜屋を助けしようと、陰から手を差し伸べる心優しい火蜥蜴(サラマンダー)、という美談に変えていた。勘弁して欲しい。


「……何だ、その話は。パケルス、もう少しマシな言い方はないのか」


 トカゲ姿で分かりにくいだろうが、クレイドルはウンザリとした顔をパケルスに向けた。


「ガハハ、そう言うな色男。誰が見たって、そう見えていたわい。少なくとも、あの嬢ちゃんはそう思って泣いちまったんだからな」

「勘違いするな。あれは前に受けた恩を返しただけだ」

「へぇー。そうかい、そうかい」


 何が嬉しいのか、パケルスは不貞腐れた顔のクレイドルを微笑ましいものを見るように眺めてくる。ものすごく居心地が悪い。

 特別任務の報告がなければ、さっさと部屋を出て行くところだ。


 ……それにしても。


 自分が受けた特別任務のことを、パケルスとヨングはどこまで知っているのか。

 全く知らないということはないだろうが、妖精の騎士団や女王の近くにいる者は知っていると思っていいのだろうか。


 邪竜が当代の魔王の元に現れたという話は、まだ聞いたことがない。まだ誕生していないのか、それとも育てている最中なのか、それも分からない。

 魔王が邪竜を従えるのは魔族なら誰でも知っていることだ。だが、それがいつどうやって、という過程までは一般的には知られていない。当然クレイドルも知るはずがなかった。


 だから、魔虫の蜂蜜屋の娘であるルーリアから邪竜の気配がした時は、思考が停止するほど驚いてしまったのだ。

 ドーウェンの耳飾りを着ける前、ルーリアからは間違いなく邪竜の気配がしていた。


 ……やはり魔族なのだろうか。


 なぜ、どうしてと繰り返し考えてみても、行き着く先は同じだった。性格はどうであれ、ルーリアは魔族だと考えるのが自然だ。


 ルーリアに火蜥蜴(サラマンダー)のレシピを渡したのは恩返しの意味もあるが、あの父親に何かあるのはまずいと思ったからでもあった。

 それほどまでに、あの親子は周りに対して無防備だった。


 もし本当に邪竜と関わりがあるのなら、あの状態で父親に危険が及べば、ルーリアは最悪な厄災の種となってしまうかも知れない。

 あの頃と変わらずに純粋な気持ちのままでいるのなら、人の悪意には耐えられないだろう。

 そして、純粋な気持ちは反転しやすい。

 渡したレシピは、それを防ぐための手段だ。

 ヨングは難易度が高いと言っていたが、ルーリアならきっと簡単に作り上げるだろう。


「それで、今回の収穫はいかがでしたか?」


 片眼鏡に手をかけ、ヨングが細めた視線をクレイドルに向ける。女王との謁見を前に、三人の意見をまとめたいようだ。


「豊作すぎてオレには判断が難しい。あの三人はいったい何者なんだ?」


 三人。魔虫の蜂蜜屋の親子とメイドのことだ。

 今回は初見を装い、ルーリアたちと過去に会ったことは黙っておくことにした。


「おう、それよ。あの親子だけでも分からんのに。何だ、あの別嬪(べっぴん)な姉ちゃんは? 精霊か? ワシには何も分からんかったぞ」


 黒い髪に黒い瞳で、見た目がルーリアに似ていたメイド。クレイドルも精霊に近いものを感じはしたが、それとは別に心当たりもあった。

 今は亡き故郷で、よく似た存在を見たことがあったからだ。

 しかし、そのことをパケルスたちに伝えるつもりはない。自分が妖精の国にいるのは一時的なことだ。話す必要のないことは黙っていた方がいい。


「ヨングの見立てでは、娘は魔族のようだったんだろう? 屋敷の娘の部屋を探ってみたが、素性が分かるような物は何もなかった」


 人の荷物を探るのは気が引けたが、仕事であれば選り好みはしていられない。クレイドルはルーリアの部屋に二度ほど忍び込んでいた。

 そしてその時、机の上で学園の入学申し込み書を目にしたのだが、どうやらルーリアは菓子学科を目指しているらしい。


 ……本気だろうか?


 ケテルの屋敷にいる間、調理場にいる姿は何度か見かけた。だが、魔族が人族の国で勉強するなど、聞いたことがない。


 ……本当に魔族なのだろうか?


 しかし、邪竜の存在がある。


「あの嬢ちゃんが魔族だってんなら、きっとその父親とメイドも魔族なんだろうな」

「……さてねぇ。付き合いはそれなりに長いけど、そうは見えなかったんだけどねぇ」


 ヨングは魔族ではないと思っているようだが、ルーリアが魔属性に近い魔力である以上、他に例えようがなかった。

 ひとまずは、三人とも魔族であると考えるのが妥当だろう。


 クレイドルとしては、あの親子が魔族だろうとそうでなかろうと関係ない思いもある。

 もし本当に邪竜との関わりがルーリアにあるのなら、その力を借りる……もっと卑怯な言い方をすれば、上手く利用できないかと考えてしまっていた。


 その時、通信の魔術具である大鏡が淡い光を放ち、鏡面に人影を映し出す。


「陛下だ」


 パケルスの声を合図に、クレイドルたちは鏡の前に跪いた。



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