第90話・守るための魔術具
神のレシピの課題発表前日。
魔物の墓場と化した隣の部屋を見る前のルーリアは、いつも通りの朝を迎えていた。
フェルドラルとセフェルはまだ眠っている。
その日は起きると、すでにメイドのセイラが部屋に控えていた。セイラはユヒムの屋敷の中に三人いる、ルーリア付きのメイドの内の一人だ。
サラリとした金髪を後ろで編み上げ、鋭さのある灰色の瞳をしており、口数の少ない仕事に忠実な人物で、歳は20代前半といったところだろうか。
「おはようございます、ルーリア様。本日は朝食後に、若旦那様がこちらの部屋へいらっしゃるそうです。浴室の準備が整っておりますので、まずはこちらへどうぞ」
「あの、セイラさ」
「セイラとお呼びください」
「……セイラ、魔法があるからお風呂はいらないと」
「それはなりません」
言葉を被せて遮るセイラは、自分の仕事を奪うなとでも言うような鋭い視線を向けてくる。
フェルドラルはセイラのことを融通の利かない騎士だと言っていた。確かにメイド服より騎士服の方が似合いそうな話し方と性格をしていると思う。使用人というよりは、与えられた任務を確実にこなそうとする軍人のようだ。
お風呂を断るのは無理そうだから、諦めてセイラの後に付いて浴室へ向かう。
「ユヒムさんは何の用でしょう?」
同じ階にある浴室で身体を洗われながらセイラに問いかけると、ルーリアの頼んだ品が届いたから、その確認に来るのだと告げられた。
もう届いているなんて。さすがケテルナ商会、仕事が早い。
材料が届いたのなら、すぐに魔術具の作製を始めたい。この後のことを考えながら、ルーリアは花びらの浮かぶ浴槽でゆっくり温まった。
ちゃんと身体が温まるまで浴槽から出ることは許さない、というセイラはかなり真面目で気難しい。
今でこそ大人しくしているルーリアだが、人前で服を脱ぐことも、風呂に入るということも知らなかったから、初めて浴室に入れられた時は大騒ぎしたものだった。
そして浴槽から出ると、寝台でのマッサージが待っている。正直に言うと、ルーリアはこれも苦手だった。どうにもくすぐったい。
強いて良いところを挙げるなら、マッサージオイルが良い香りだということくらいだ。
フィゼーレが薦める様々な香料からルーリアが選んだのは、甘い香りに優しい花の香りが足された物だった。
それらが終わって、やっと着替えとなる。
髪も綺麗に整えられ、本体はツヤツヤと輝いているが、精神的には一日が終わったくらいにぐったりと疲れている。
風呂はいつまで経っても慣れそうになかった。
部屋に戻るとメイドは交代。
セイラと同じ歳くらいのラミアが薄茶色のポニーテールを揺らし、緑色の瞳をルーリアに向けた。
「お帰りなさいませ、ルーリア様。今日は木の実と果物をふんだんに使った焼き立てのパンをお持ちしました。お好みでバターもどうぞ」
「わぁっ、良い香り……」
ルーリアが肉類を食べられないと知ったラミアは、屋敷の料理長と話をして、野菜や果物中心の朝食をいつも届けてくれている。
ラミアもルーリア付きのメイドで、とても人懐っこい性格をしている。
「この黄色いスープは?」
「それはスティンプという野菜を煮崩して漉した物です。ほんのり甘くてお薦めですよ。フェルドラル様とセフェルちゃんの分はこちらに置いておきますね」
食べることが大好きと言うだけあって、ラミアが持ってきてくれる食事はどれも美味しい。
焼き立てのパンは外側がカリカリと香ばしく、中はふんわりと柔らかい。バターをたっぷり塗ると、木の実との相性は抜群だった。
ルーリアは食べるのがゆっくりで少食な方だけど、あっという間にペロッと食べ切ってしまう。
「フェルドラル様が起きられたら、アチェットと交代しますね」
「あ、今日はこの後、部屋にこもるかも知れませんから、掃除はいらないと伝えてもらえますか?」
「あら、そうなんですか。かしこまりました」
主に部屋の掃除をしてくれているメイドのアチェットとは、あまり話をしたことがない。
茶髪を三つ編みにした赤い瞳の物静かな人で、歳はセイラたちより少し上だと思う。
「わたしが昨日頼んだ物って、どこに置かれているんでしょう?」
「それなら隣の部屋ですよ」
「え、隣?」
いったい、いつの間に? でも、それならユヒムが来る前に先に見ておこう。そう思って隣の部屋を覗いたルーリアは、魔物の墓場と化した有様にピシッと固まった。
「おはよう、ルーリアちゃん。これの説明を聞いてもいいかな? フェルドラルさんからは急ぎだと聞いたんだけど……」
そしてユヒムに声をかけられ、今に至る。
「それで、いったい何を始めるつもりなんだい? 呪いの儀式、とか言わないよね?」
……ですよね。
部屋の中を見てしまった後では、ルーリアもそう思わずにはいられなかった。
小型とは言え、竜種の骨。火色の皮、針みたいな毛皮。大きな爪と角。他にも魔物の骨や、木の皮を干した物。乾燥させた植物、木の実。何かの粉、砂、紅い油など。
そのままでも十分、悪魔を召喚してしまえそうなアイテムばかりが並んでいた。と言っても、悪魔は架空の存在だけど。
出来れば見なかったことにしたいところだが、ルーリアには迷っている時間も怖がっている時間もなかった。何としても魔術具の作製を明日の課題発表に間に合わせなければ。
そう思い、作り笑いを顔に貼りつける。
「あの、材料の見た目は怖いですけど、作るのはお守りです。変なことには使いませんから、安心してください」
「お守り? まぁ、それならいいけど。とりあえず、これがここにある物のリストだよ」
残念ながら全部はそろわなかったけど、とユヒムは悔しそうな顔をしながらリストを渡してくれる。短い時間でこれだけそろえば、十分にすごいと思うのだけど。
これからしばらくは調合で自分の部屋にこもるため、場合によっては今日はシャルティエに会えないかも知れない。
今はとにかくお守り作りを優先させたい。
調合中にシャルティエが訪ねてきた場合について、ユヒムに伝言を頼んでおいた。
まだ少し心配そうな顔をしていたが、ひと通りの確認が終わると、ユヒムは「無理はしないように」と言い残して部屋を出て行く。
……よし、すぐに始めよう。
ルーリアはレシピとリストを見比べ、必要な材料を部屋の中から探していった。
ひいぃっ、骨っ! 皮っ!
自分の部屋へ材料を運ぶためには手で持たなければいけないのだが、ザラッとした手触りがする度に全身に鳥肌が立つ。乾いた皮膚というか、鱗のような感触が特に気持ち悪い。
「…………姫様?」
悲鳴を堪えて材料を運んでいると、ちょうど起きたばかりのフェルドラルと目が合った。
「人族の次は魔族にでもなられるおつもりですか?」
「違いますっ! クレイアさんからもらったレシピのお守りを作るんですよ」
テーブルの上に骨を置き、すぐに部屋を出て行くルーリアを見て、フェルドラルはセフェルを叩き起こす。
「セフェル、起きなさい。仕事ですよ。姫様のお手伝いをなさい」
「にゃにゃ! はいっ」
フェルドラルの声で飛び起きたセフェルは、すぐにルーリアの後をちょこちょこと追いかけた。
「姫様、せっかく契約を交わしたのです、セフェルにも仕事をお与えください」
「えっ、セフェルに手伝ってもらえるんですか?」
「はい。妖精は元々、アトリエの助手をさせるために神が創ったのですから」
「アトリエ? それって何ですか?」
「アトリエは物を作る場所の総称みたいなものですわ。簡単に言えば工房でしょうか」
なんと。神が工房を持っているとは驚きだ。
どこにあるのだろう?
やっぱり天上界だろうか?
「じゃあ、セフェル。これをお願いします」
「にゃい」
ルーリアから材料を受け取ると、セフェルはせっせと部屋へ運んだ。
「フェルドラルもそのアトリエで創られたんですか?」
「ええ、そうですわ」
へぇー……。すごい。
いったい、どんな所なんだろう。
「アトリエでは妖精に手伝いをさせることがあるのですが、放っておくとイタズラばかりするのです。それで神によって従属契約が創られたのですわ」
フェルドラルは神の元にいた時、そのアトリエで妖精の管理をしていたらしい。道理で妖精について詳しいはずだ。セフェルのイタズラの時に、フェルドラルの対処が早かった理由に納得がいった。
「材料はこれで全部です。あとは部屋に戻って調合します」
フェルドラルとセフェルが朝食を食べ終わったところで、テーブルの上に道具を並べていく。時間がないから、今回は二人にも手伝ってもらうつもりだ。
最初に作るお守りの名前は、パラフィストファイスの還印。
致命傷となる攻撃をしてきた相手にその攻撃をそっくり還し、同時に炎の刻印を刻み込む、とある。
主な材料は、ヒグニスカの骨、クニエマの骨、ラヒーロの皮、ヤイロアの実、バーヌマルの油、リマロの粉。
ヒグニスカは魔物である小竜の名前らしい。
隣室の真ん中にあった骨格標本がそう。
小型でも竜種だから、それなりに大きい。
体長は尾の部分まで入れたら、6、7メートルくらいはありそうだ。注文には『頭の骨』と書いておいたのだが、急ぎだったせいか、なぜか丸ごと置いてあった。使うのは目の周りだけなのに。余った部分はどうしよう。
クニエマはたぶん魔物だと思う。ラヒーロは獣だろうか。ヤイロアとバーヌマルは火属性の植物だと思う。リマロの粉は何の粉かよく分からない。とりあえず粉。
火蜥蜴のレシピは、調合というより鍛冶や木工に近かった。割と地道な手作業が多い。切る、削る、焼く、磨く、縫う、貼り合わせる。そんな工程が随所にある。
牙型に切り出したヒグニスカの骨を削って磨き、炎の刻印を彫っていく。そこに染料を流し込む、のだが……。染料はリマロの粉とヤイロアの実、それと自分の血を混ぜて作るとあった。
目の前にいるフェルドラルにバレないよう、こっそり血を混ぜるのは大変だ。
毒々しい色で彫刻部分を染めて魔力を流すと、白い骨に赤黒い刻印が罠のように固定された。とてもお守りの部品には見えない。
フェルドラルが加工していた盾型のクニエマの骨を受け取り、それにバーヌマルの油をかけて火魔法で焼く。防炎のため外側を氷魔法で囲いつつ、自分の魔力を込めながら火魔法で焼くという、とてつもなく集中力と魔力がいる作業だ。
ルーリアは額に汗をにじませ、部品を作り上げていった。
「姫様、これでいい?」
「ありがとう、セフェル。大丈夫ですよ」
ラヒーロの皮で作った革紐を受け取り、部品を繋ぎ合わせる。激しく動いても外れないように、金具部分はしっかりと固定する。
「よし、出来たぁ」
ひとまず、一つ目が完成した。
ユヒムにはお守りだと言ったけど、これは呪いの魔術具に近いのかも知れない。
レシピには、反撃されて炎の刻印を刻まれた相手がどうなるかまでは書いてなかった。
……だけど、恐らく……。
自分で作った物だから何となく分かる。
これは使い方によっては人を殺めてしまうだろう。
ルーリアは壁にある鏡を覗いた。
そこに映る自分は迷いも憂いもなく、ただまっすぐに自分を見つめている。ガインの身を守ることに、一切の躊躇いもない。
……ユヒムさん。わたしはやっぱり優しくなんてありませんよ。家族を守るためなら、どんなことでもしてしまいそうです。
ルーリアは強い眼差しをテーブルに向け、すぐに次のお守りの作製に取りかかった。