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第88話・優しい忠告


 次の日、ルーリアの部屋にヨングから送られてきた調合の材料とレシピが届く。

 ミルクのように瓶詰めされた透明な液体と、小さめの箱が一つ。

 すぐに作製して身に着けるように言われているため、ルーリアはさっそくレシピに目を通していった。


 作製するアイテム名は、ドーウェンの耳飾り。

 強い魔力を持つ種族が人族に変身するために使う装飾品で、ルーリアが身に着けている腕輪より希少な物になるらしい。鑑定系のスキルなどで見ても、普通の人族にしか見えなくなるそうだ。

 ただしヨングが言っていたように、身に着ける本人が作製しないと、その効果は表れないという。


 ルーリアは小箱を開け、可愛いらしい材料を見下ろした。瓶詰めの液体は、マッカの月光水というらしい。

 他は、ファエスの糸、ドーウェンの雨、ヴォルスの羽根、ヨトリの四つ葉……と、どれも初めて見る物ばかりだ。


 マッカの月光水は、緑の月の日の夜に一定期間、月光を浴びせ続けた真水のことをそう呼ぶらしい。

 ファエスは清らかな山に棲む蜘蛛の名前。

 ドーウェンの雨は虹のかかった空から降った雨を結晶化させた物で、ヴォルスは魔族領の氷の山に棲む鷲に似た魔物の鳥の名前。

 ヨトリの四つ葉は、サンキシュにだけ芽吹くヨトリという植物の新芽の中から探し出した、とても珍しい物だそうだ。普通は小さい二つ葉であるらしい。今回使うのは、その中でもさらに夏至の日に摘んだという特別な物なのだとか。


 材料に添えてあった説明書きを読んだだけで気後れしそうになる。どう考えても簡単に手に入る物ではないだろう。


 届けられた材料は、調合一回分。

 予備はないから失敗は出来ない。


 は~~……。緊張する。深呼吸、深呼吸。


 ルーリアはレシピを見ながら慎重に調合を始めることにした。


 まず、平たい皿にマッカの月光水を注ぐ。

 そこへ70センチくらいに切ったファエスの糸を浸し、自分の魔力を流していく。月光水と魔力を吸ったファエスの糸が鋼のような硬さになったら、次へ。

 見ると、糸の先端が針のように鋭くなっていた。


「指を刺さないように気をつけながら、と」


 ヴォルスの羽根、ヨトリの四つ葉の順でファエスの糸を通していく。通すというよりは、針に突き刺すといった感じだろうか。

 しっかりと通ったのを確認して、糸の端と端を指で摘まむ。そして左右から同じ量ずつ、魔力を慎重に流していく。ヨングの説明では、ここが一番難しいと書いてあった。


 焦らず、慎重に……慎重に……。


 右と左。指先から流した魔力が、ちょうど真ん中辺りでぶつかる。すると、ファエスの糸がクルクルとねじれ、羽根と四つ葉を包んでいった。


「……小さな(まゆ)みたい」


 そのまま魔力を流し続けると、摘まんでいる指先に、銀色の小さな羽根の形をした部品が出来上がった。大きさは小指の爪ほどだ。

 その羽根とドーウェンの雨の結晶を重ね、ファエスの糸を通す。結晶は指で触った時は宝石のように硬かったのに、糸を通す時は液体に針を刺すように手応えがなかった。


 最後の仕上げは、紙に描いた魔法陣の上での作業となる。出来上がった部品を紙の上に置き、両手をつく。ゆっくり魔力を流していくと、薄く光り始めた魔法陣がキラキラと輝きを増していった。

 一度強く光った後、魔法陣の光が消える。

 そこには涙型の結晶が揺れる、銀細工のような羽根の耳飾りが片方だけ出来上がっていた。


「っはぁぁぁ~~~。出来たぁ~……」


 止めていた息を大きく吐き出す。

 どうにか無事に出来たみたいでホッとした……のも束の間、残っている材料が目に映る。


「……あ」


 そうだった。耳飾りはもう片方もあるんだった。

 ルーリアは同じ作業を繰り返し、ドーウェンの耳飾りを完成させた。



「……わぁ。キラキラしてて綺麗」


 指で摘まんで見ると、ドーウェンの耳飾りの結晶は虹色の光を煌めくように宿している。

 小さく揺れる銀色の羽根も可愛いらしい。


 ルーリアはさっそく腕輪を外し、耳飾りを着けてみることにした。

 耳たぶに近付けるだけで吸いつくように貼りつく。普通の装飾品と違い、外れて落ちる心配はいらないようだった。


「ふふっ」


 思わず笑みがこぼれる。

 耳飾りを着けたのなんて初めてだ。

 着飾っているようで、ちょっと恥ずかしいような、こそばゆいような。顔を左右に振ると、雨粒のような結晶が視界の端で煌めいた。


 そんなルーリアの様子をベッドの上で見ていたセフェルが、不思議そうに首を傾げる。


「にゃ!? 姫様が人族になった?」

「えっ?……今まで何に見えていたんですか、わたしは?」


 ひとまず調合は成功したらしい。



 今日はこれからシャルティエが来る予定だ。

 先に調理場の準備をしておこうと考えたルーリアは、フェルドラルとセフェルを連れ、一階へ向かうために部屋を出る。


 通路を歩いている途中、ルキニーと一緒にいた魔力屋の二人とすれ違うことになった。


「こんにちは。パケルスさん、クレイアさん」

「おう、どうも」

「ああ」


 軽く挨拶をして通り過ぎようとしたルーリアだったが、「ちょっといいか?」と、クレイアに呼び止められる。


「……あの、えっと……?」

「話がある。時間を取らせるつもりはない」


 フェルドラルたちも一緒で構わないと言うので、「それなら……」と返事をする。


 いったい何の話だろう?

 ルキニーが空いている部屋へ案内してくれて、そこで話をすることになった。


「……あの、お話って何でしょう?」


 ルーリアが緊張した顔で尋ねると、クレイアは大きな口を薄く開く。


「まぁ、そう身構えなくてもいい。大した話じゃない。オレもパケルスも昨日初めて会った訳だが、魔虫の蜂蜜屋は良くも悪くも有名だ。それは知っているか?」

「……えっ」


 良くも悪くも?……また噂?


 クレイアの質問の意味が分からない。

 そんな顔をルーリアが向けると、「外のことはあまり知らないようだな」と、クレイアは呟いた。


「オレが何を言いたいかっていうとだな、人族の中には魔虫の蜂蜜屋を良く思っていないヤツも少なくないって話だ」

「良く、思っていない……?」


 その言葉を聞いた瞬間、ルーリアは心の中がザワリとした。


 ……どうして。


 その言葉がにじみ出ている顔のルーリアに、淡々とした声のクレイアは話を続ける。


「お前の父親だが、あれは危険すぎる」

「!? お父さんが……危険!?」


 ルーリアは思わず立ち上がりかけるが、隣にいたフェルドラルがそれを止めた。


「随分な物言いですね。それを姫様に伝える意図は?」

「単なる忠告とお節介だ。オレは味方ではないが、魔虫の蜂蜜屋のことは嫌いじゃない」


 フェルドラルが向ける鋭い視線をクレイアは手を振って軽くいなす。


「……お父さんが……どうして危険なんですか?」

「生き方がな、馬鹿正直すぎるんだ。あれでは敵を増やしてしまう」

「……生き方が?」


 正直に生きることの何がいけないというのか。

 ルーリアには、その言葉の意味が分からなかった。


「お前の父親は、真面目に生きているヤツの目には良い人物に映るだろう。……だが、世の中には人助けや綺麗事を正面から嫌うヤツもいる。それは分かるか?」

「……はい。認めたくはありませんが……」


 悪い人はいる。それは事実だ。

 ルーリアがこくりと頷くと、クレイアも軽く頷く。


「例えばだが、お前の父親から付き合いを断られた者。大した技術もないのに、それでも有り難がられていた医者や薬師。人を見下してきた金持ちやその取り巻き。そういった連中には、お前の父親は邪魔な存在なんだ」


 クレイアは例えばと言いながら、その存在を具体的に上げていく。ルーリアは膝の上に置いた手を、ぎゅっと強く握った。


「…………どうしてですか? お父さんは人を助けているだけなのに……」


 それ以上は言葉を続けられず、涙を堪えて唇を噛んだ。悔しいような、やり切れない思いが込み上げてくる。


「これはオレからの忠告だが……」


 そう前置いたクレイアはルーリアに真剣な目を向けた。


「人族ばかりに肩入れするな。深く関わるな。相手を丸ごと信用するな。利用されてもいいと思っているのかも知れないが、人族は狡猾だ。いつか足をすくわれて裏切られるぞ」


 クレイアの目に自分たちはどう映っているのだろう? その言葉は暗に、ガインを人族ではないと言っているように聞こえた。


「……クレイアさんは人族が嫌いなんですか?」

「いや。オレはただ、良いヤツが嫌な思いをするのを黙って見ていたくないだけだ。ヨングから聞いた話では、お前の父親は良いヤツらしいからな」


 火蜥蜴(サラマンダー)の表情はよく分からないが、クレイアの声と雰囲気はどことなく柔らかい。自分たちへの気遣いが感じられる言葉に、ルーリアの表情も少しだけ和らいだ。


「クレイアさんにそう思ってもらえて嬉しいです。……でもたぶん、この話をしても、お父さんの生き方は変わらないと思います」


 クレイアはため息混じりに「だろうな」と呟いた。


「だからお前に声をかけた。昨日の今日で難易度の高い魔術具をあっさり作って見せたんだ。材料さえあれば、他の物も作れるんだろ?」


 クレイアの視線はルーリアの耳に向けられている。虹の雫のような結晶がきらりと煌めいた。


「……自信はありませんが」


 そう言って伏せようとした視線のその先に、クレイアは一枚の紙を差し出した。

 そこには細かい文字で、調合のレシピがびっしりと手書きされている。


「…………え……」


 慌てて顔を上げたが、ルーリアと視線を合わせないようにクレイアは顔を逸らした。


「……あの、これは……?」


 レシピの紙とクレイアを見比べ、ルーリアは戸惑った顔をする。それを見て、ニヤリとしたパケルスはクレイアをひじで小突いた。


「それはな、こいつが昨日の夜に書いたもんだ。火蜥蜴(サラマンダー)族のレシピだとさ。貴重だぞ。もらっとけ、もらっとけ」

「えぇっ!」


 火蜥蜴(サラマンダー)の……他種族のレシピ。


 ルーリアはエルフのレシピを初めて見せてもらった時、種族別に持つレシピは基本的に門外不出であるとエルシアから聞かされていた。

 つまりこのレシピは、その種族の大切な宝とも呼べる代物だということだ。


「……火蜥蜴(サラマンダー)の、レシピ」


 それが今、自分の手の中にある。


「なんだ、クレイア。お前、照れとるのか?」

「…………うるさい」


 パケルスにからかわれて顔を逸らすクレイアをルーリアはじっと見つめた。

 自分の手にあるのは、種族の宝のレシピというだけではない。ガインを認めて心配してくれたクレイアの気持ちが込められている、とても大切な物だ。


 どうして会ったばかりのクレイアさんが、ここまで……。


 ただでさえ貴重なレシピなのに、時間をかけて書かれた物だと分かる細かい文字を見ていたら、ルーリアは抑えようとしても勝手に溢れてくる涙を止められなくなっていた。


「なっ、おい! 泣くほどのことじゃないだろ!?」

「おいおい、クレイア。女の子を泣かしちまうなんざ、男としてどーなんだ、この野郎」


 止めどなくこぼれる涙を拭うルーリアを、セフェルが心配そうに見上げる。


「姫様、痛い? 痛いの?」


 ルーリアは涙顔のままセフェルを撫でた。


「……いいえ。わたしは嬉しいんです」


 そう言って笑うルーリアに目を瞬かせ、セフェルはよく分からない、と首を傾ける。


「クレイアさん。忠告と、貴重なレシピをこんなにたくさん書いていただいてありがとうございます」


 火蜥蜴(サラマンダー)のレシピを胸に抱き、ルーリアは深く頭を下げた。

 その姿にクレイアは黄色い目を細める。


「気にするな。オレは前に魔虫の蜂蜜屋に助けられたことがある。それを返しただけだ」

「えっ」


 それは……前に魔虫の蜂蜜を使ったことがあるという意味だろうか?


「姫様、そろそろ参りませんと」

「……あ、はい」


 もう少し話をしていたかったが、間もなくシャルティエが来る時間だ。

 ルーリアは部屋を出るまで何度もクレイアに感謝の気持ちを伝え、後ろ髪を引かれるような思いで調理場へ向かった。



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