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第87話・魔虫の蜂蜜の値段


 ルキニーが用意してくれた部屋で紅茶を飲みながら、ルーリアたちは今後について話をする。

 セフェルにはミルクが出された。


「お父さん。ヨングさんに頼んだ材料って、いくらくらいしたんですか?」

「そんなこと、お前は気にしなくてもいい」


 少しでもお金の話を出そうとすると、ガインはいつもこんな調子だ。

 ルーリアはむぅっと頬を膨らませる。


「じゃあ、これだけ教えてください。ウチの蜂蜜って、いくらくらいするんですか?」


 ずっと気になっていたことを思いきって聞いてみた。

 魔虫の蜂蜜が高級品なのだと知ってから何となく聞くのが怖くなっていたけど、今なら良い機会だと思う。


「まず、ルーリアは金を見たことはあるのか?」

「いいえ、ないです」


 ユヒムが目配せすると、ルキニーが紙の束と金属の束を持ってきてテーブルの上に並べていく。


「これがこの世界で流通している金だ。紙の方を紙幣、金属の方をコインと呼んでいる」

「……しへい、と、コイン」


 ユヒムが束ねてあった物をばらし、ルーリアの前に置く。紙幣は長方形の紙で、コインは平たい円形の金属だ。


 ……これがお金。


 紙幣には虹色のインクで数字と綺麗な景色や動物の絵が描かれており、コインにも一枚ずつ植物の模様と数字が入っている。

 驚くことに、同じ金額の物が寸分の狂いもなく、全く同じ形をしていた。ここまで精密にそろえるなんて調合では不可能だ。恐らく同じことを繰り返せるという機械で作っているのだろう。


「この世界の通貨単位は『エン』だ。これは神が決めたことだから、この世界のどこの国に行っても変わらない。それは分かるか?」

「はい。前にアーシェンさんから教えてもらいました」


 一緒に眺めていたフェルドラルはコインの模様を見て、「単位は共通、現存した動物の名前も共通。植物だけが形も名前も変異したようですね。やはり特性を加えたのが原因でしょうか。厄介な……」と、謎の言葉を呟いていた。


「数字は大丈夫だったな。(けた)はどうだ?」

「ある程度でしたら。大きな数字を使うことがなかったから自信はありませんけど」


 ガインは一種類ずつ、数字の小さい順に金を並べた。コインが六種、紙幣が三種だ。


「こっちから、1、10、100、500、千、5千、1万、10万。一番大きな金額は100万になる」

「千と5千と1万だけが紙幣なんですね。どうして全部コインにしなかったんでしょう?」

「お金は発行も管理も全てが神様の管轄なんだ。だから、どうしてこういった物になったのかは、神様にしか分からないと思うよ」


 ちなみに紙幣は火をつけても決して燃えず、破れることもないそうだ。

 ルーリアが手にしたコインを真剣に見ている裏で、ガインとユヒムは困った顔を持ち寄り、聞こえないように声を潜める。


「……ガイン様。いきなり蜂蜜の値段だけ教えても、ルーリアちゃんにはその価値が伝わらないと思うんですが。どうしますか? 一般的な金銭感覚の話とかもしますか?」

「……うぅむ」


 こそこそ話す二人にフェルドラルが加わる。


「そこは姫様の性格をお忘れなく。下手に値を伝えてしまえば、それを気にかけ、蜂蜜を口にされなくなると思いますわ」

「……っ! ユヒムに任せた」

「えっ、オレですか!?」


 ガインはユヒムに押しつけ、早々に逃げた。

 魔虫の蜂蜜を使って菓子作りしていたことを前に注意しているから、余計に言い辛いらしい。

 ここは父親が言うべきだろう、と文句を言いたそうにしているユヒムから目を逸らしている。


「あの、どうかしたんですか?」

「姫様がお知りになられたいのは蜂蜜の値段だけですか?」

「はい。他の物の値段を聞いても、たぶんわたしには分からないと思いますから」


 何やら覚悟を決めた顔で、ユヒムが魔虫の蜂蜜の瓶をテーブルの上に置く。ルーリアの部屋にも置いてある、銀色のフタに蜂型の飾りが付いた商品用の瓶だ。六角形で縦に細長く、内容量は400グラム。


「これの値段だけど……」


 そう言いながらユヒムがチラッと視線を向けると、フェルドラルは冷えた目で微笑んだ。

『余計なことを言ったらどうなるか、分かっていますね?』そんな幻聴が聞こえた気がして、ユヒムは腹部をそっと押さえる。


 ……胃が痛い。


「ユヒムさん、お腹が痛いんですか? 大丈夫ですか? 蜂蜜食べますか?」

「だ、大丈夫だよ、ルーリアちゃん。えっと……この蜂蜜なんだけど、一瓶でいくらくらいだと思う?」


 なぜか分からないが、ユヒムの顔色が悪い。

 ガインが話を代わろうとする素振りを見せないことから、出来るだけ早く済ませてあげようと思ったものの、ルーリアには値段の判断材料となる物が何も思い浮かばない。


「あ、あの、何かヒントをください。何でもいいので、基準になるような物の値段を一つ教えてもらえませんか?」

「……基準」


 これまた難題だと思ったユヒムだったが、木を隠すなら森の中、と棚にあった一本の酒瓶を手に取った。


「……これで行くか」


 それはルーリアが家で何度か見たことのある酒だった。主にエルシアが好んで飲んでいた気がする。


 だいぶ前のことになるが、ガインたちが夜に酒を飲んだ、次の日の朝。店のテーブルに、この酒の空き瓶が何本も並んでいたのを見た覚えがある。

 確か、まだ家に何本か残っていたはずだ。


「これが、この酒の値段だよ」


 半ばヤケになっているユヒムは、半笑いの顔でその酒瓶の横にコインを置いた。

 100万のコインが二枚と10万のコインが五枚。


「えっと、250万エンですね」


 子供の手習いのようにルーリアが足した金額を口にすると、初めて酒の値段を知ったガインは目を見開いてユヒムを凝視した。

 仕返しとばかりに、今度はユヒムがガインから顔を逸らす。


 そんな二人はさておき、ルーリアは蜂蜜の瓶と酒の瓶を見比べた。この酒の量で250万エンだから……と、単純に重さで金額を考えてみる。


「……これくらいですか?」


 コインを並べてユヒムを見る。


「140万か。ちょっと多いかな。この蜂蜜の瓶は……これくらい」


 ユヒムは三枚、コインを減らした。


「一瓶20万エンですか。お酒よりも魔虫の蜂蜜の方がずっと安いんですね。シャルティエがすごく高いって言って脅かしてくるから、ずっと不安だったんです。安心しました」


 ホッとしてルーリアが微笑むと、三人は微妙な顔となった。

 ガインが「どうするんだ、これ?」と脇腹を小突くが、ユヒムは胃の辺りを押さえ、「知りませんよ」と薄笑いする。今さらライル麦の粉が1キロで300エンもしないなんて言える訳がない。


「ま、まぁ、蜂蜜の値段はそんなもんだ。もういいな?」

「え? あ、はい……?」


 取り上げるように無理やり話を終わらせ、ガインは本題を切り出す。


「じゃあ、次だ。まじないのもう一つの結果だが、課題発表には俺も一緒に付いて行くつもりだ」

「祭りの当日は、とにかく人出が多いです。その日は用心して、ガイン様にも人族に変身してもらおうと考えています。こちらを使ってください」


 ユヒムは腕輪型の魔術具を一つ、ガインに差し出した。


「大勢の前に出るのは極力避けたいところだが、今回は仕方がない。余計な揉め事を避けるためにも、人族のふりをした方が無難だろう。ルーリアは特に、だ」

「ヨングさんから調合の材料が届いたら、それを作って身に着ければいいんですよね?」

「そうだ」


 フェルドラルはルーリアの護衛として供をすることになり、セフェルは屋敷で留守番となった。


「そういえば、前にシャルティエが一緒に行こうって誘ってくれましたけど……さすがに難しいですよね?」

「……いや、いいんじゃないか。俺たちだけでいるより、子供が多い方が目立たなくなるかも知れん」

「えっ、いいんですか! じゃあ、明日シャルティエが来た時にそう伝えますね」


 友達と一緒に知らない街を歩く。

 考えただけで、今からドキドキする。


「祭りの話はざっと聞いたが、俺もそこまでの人出を経験したことはない。ルーリアは絶対に俺たちの側から離れないように」

「はい」

「姫様がはぐれたりなさらぬよう、当日はわたくしが手を繋がせていただきますわ」


 ひどい。完全に小さな子供扱いだ。

 だけど、知らない場所で道に迷わない自信はないから黙っておく。


「あの、お父さん。もし仮にわたしが学園の試験を受けたとして、その後はどうなるんでしょう?」

「その後?」


 試験を受けて、それから……。


「もし……もしも、ですよ。わたしが課題を無事にこなすことが出来たとして、その後は入園するだけでいいんでしょうか? それとも、卒園するまで通う必要があるんでしょうか?」


 外の世界に一人で行くのは怖い。

 そんな不安をにじませた顔で、ルーリアはガインを見つめた。


「……そうだな。セフェルのまじないには、その後のことまでは出ていなかったな。俺としては、せっかくルーリアが頑張るんだから、何も問題がなければ、そのまま通わせてやりたいと思っている。……しかし、エルシアがどう思うか……」

「……はい」


 本来であれば、ルーリアがここにいるはずもなかった話だ。あれだけ強固な結界を張っているエルシアが外の世界に出ることを簡単に認めるとは思えなかった。


「まぁ、それより今は課題とやらを見に行くことを考える方が先だな」

「……そう、ですね」


 まずは三日後の祭りと神の課題発表だ。

 ひとまず、それを無事に乗り切らねば。



 ◇◇◇◇



 もうそろそろ日が暮れる時間らしい。

 フェルドラルとセフェルを連れて自分の部屋に戻ったルーリアは、水魔法で身体を洗い、着替えてベッドに寝転がる。


 ガインはもう少しユヒムと話をしてから帰ると言っていた。大切な話と言いながらエルシアの好きな酒の瓶を手にしていたから、ユヒムは困った顔をしていたけど。一緒に飲んだりするのだろうか? 羨ましい。


 セフェルはしっぽをパタパタさせ、ベッドの隅で丸くなって眠っている。

 フェルドラルはルーリアが眠るまで、椅子に座って本を読んだり酒を飲んだりと自由にしていた。


 ルーリアは目を閉じ、今日聞いた蜂蜜の値段と倉庫にあるタルを思い浮かべる。


 一タルで、だいたい250キロある。

 販売用の蜂蜜は一瓶が400グラムだから、その625倍だ。一瓶が20万エンだから、一タルだと1億2500万エン。


 ………………ん? 億?


「あれ? もしかして、けっこう大きな金額なんじゃ……?」


 何か恐ろしい勘違いをしているような気がするけど、ガインから特に注意されることもなかったため、そこから先は深く考えないことにした。



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