第83話・蜂蜜屋の娘と猫妖精
「どうした? 具合でも悪いのか?」
ルキニーの案内で別室に移り、魔力屋の仕事を始めたパケルスは、硬い表情で考え込んでいる火蜥蜴のクレイア──クレイドルに声をかけた。
「…………いや」
そう口にしたものの、続きの言葉が出てこない。何から考えればいいのか、クレイドルは軽く混乱していた。頭の中には疑問ばかりが浮かんでくる。
……どうしてあの時の少女がここにいるんだ!?
魔虫の蜂蜜屋だと紹介された二人は、故郷のマルクトから逃げ出すことになった6年前、たまたま迷い込んだ森で出会った不思議な親子だった。
もし少女だけだったら、他人の空似と思って見過ごしていたかも知れない。しかし、父親も一緒にいたことで、クレイドルは魔虫の蜂蜜屋があの時の親子であると確信した。
あの森から出ることが出来たのか?
なぜ、ダイアランのこの屋敷に?
どうして6年前とほとんど姿が変わっていない? まさか、あの時の親子が魔虫の蜂蜜屋だったとは。
クレイドルは当時のことを思い返し、森に入る時に着けさせられた許可証の意味を納得した。
「パケルス、ちょっと聞いてもいいか?」
「ああ、構わないが。何だ?」
作業中は騒音防止のため、この部屋で音断の魔術具を使う許可は取ってある。今は会話の内容を気にする必要もなかった。
「妖精以外で、少年や少女の姿から成長しない種族っているのか?」
「……何だ、その質問は?」
魔虫の蜂蜜屋の親子を見てから、クレイドルの様子がおかしい。それに気付いたパケルスは、この屋敷にいる間は勝手なことはするなよ、と先に釘を刺した。
「成長しないというか、姿を変える種族については、お前の方が詳しいんじゃないか? ある程度は知っているだろ」
「……魔族か」
魔族領にいる夢魔族や幻獣族は、その姿を自在に変える。6年前と全く変わらない姿の父親と、成長しているようには見えなかった少女。普通に考えるなら、人族のふりをしている魔族だと言われた方が理屈には合うだろう。
しかし魔族だとしたら、なぜここにいる?
魔虫の蜂蜜屋は昔から人族を助けてきたと聞いているから、魔族だとは考えにくい。
だが、それより。何よりも。
──なぜ、あの少女から邪竜の気配が漂っているんだ?
先日、特別任務だといって見せられた邪竜。
それと同じ感覚が少女から感じられた。
最初は何かの間違いかと思ったが、気のせいなどではないようだ。
……魔虫の蜂蜜屋の、ルーリア。
自分を何度も助けてくれた特別な存在だ。
こんな形で再会するなど思ってもいなかった。
少女には、返しても返し切れない恩がある。
困っていることがあるのなら、何をおいても手を貸してやりたいのだが……。
もし本当に邪竜と関わりがあるのだとしたら、ルーリアは魔王の側近とも呼べる存在なのだろう。自分のことなんか、とっくに忘れているだろうし、むしろ何の役にも立たないかも知れない。
けど、あんなに純粋だったルーリアに魔王の側近なんて務まるのか? この数年で変わってしまったのだろうか? そうなると、父親は魔王に仕えているということになるのだろうが、魔虫の蜂蜜屋でもある。
……ああ、くそっ。考えがまとまらない!
「クレイア。何を悩んどるのかは知らんが、今は仕事中だ。ボーッとして、しょうもないミスなんかしてくれるなよ」
「……っ。わ、分かっている。大丈夫だ」
今はとにかく、区切りのいいところまで仕事を終わらせよう。これが終わったら休憩すると言っていたから、その時にヨングから詳しい話を聞けばいい。
クレイドルは魔石を使って魔術具に魔力供給をしながら、ガインの後ろに怯えた顔で隠れたルーリアを思い出していた。
……完全に怖がられてたな。
だからといって、ここで正体を明かす訳にはいかない。
ルーリアがいつまでこの屋敷にいるのかは分からないが、クレイドルとパケルスはしばらく泊まり込むことになっている。
……その間に話す機会があればいいが。
クレイドルは改めて、魔虫の蜂蜜屋について真剣にパケルスに話を聞いた。
◇◇◇◇
一方、その頃。
ルーリアとユヒムが黙って見守る中、ヨングは神妙な面持ちでガインの返答を待っていた。
「……もし、まじないを依頼するなら対価は何だ?」
それを聞いたセフェルが嬉しそうに声を上げる。
「ボクを王様の家来にしてよ!」
「……王の家来? 何のことだ?」
するとセフェルは被っていたフードをパサリと外し、ガインには目もくれず、キラリと光る緑色の大きな瞳をルーリアに向けた。
輝くような銀色の毛並みに、耳と手足としっぽの先に濃い暗灰色のアクセント。
可愛らしい猫妖精の姿に、ルーリアは一瞬で目を奪われた。
そして、まるで何かに操られ、見えない糸にでも引かれているように、ガインの止める間もなく、ルーリアはセフェルの前に進み出る。
それは、ルーリアの意識外での出来事だった。
──えっ、なに、これ!?
意識はあるのに身体が勝手に動いている。
その目はセフェルに向けられ、声を出すためなのか、口が勝手に息を吸い込んだ。
「わたしが、あなたの王様になります」
──なッ!?
ルーリアの意思とは関係なく、声が独りでに出てしまっていた。言ってはいけない言葉を、よりによって妖精に向かって言ってしまっている。
その言葉を聞いたセフェルは猫目を細めて笑い、嬉しそうに声を上げた。
「にゃは! 契約成立だね!」
その瞬間。ルーリアとセフェルは光の輪に囲われ、その輪が縮んで互いの首にはまり、強い光を放ったかと思うと、すぐに跡形もなく消えてしまった。
「ッうぐ……!」
強い力で首が絞まる。
ルーリアはガインに襟首を掴まれ、すぐさまセフェルから力尽くで引き離された。
「ッ! この、バカ娘が!!」
急に首が絞められ、ルーリアは涙目でむせ返る。ガインは奥歯をギリッと噛みしめ、怒りの目でセフェルを睨みつけた。
「ゲホッケホ。おと……さん。今、のは……何が?」
どうにか声を出して尋ねると、ヨングが額に手を当て深く息を吐いた。
「セフェル。お前さん、今このお嬢さんに魅了を掛けたね?」
ヨングはギロリと睨みつけるが、セフェルは知らん顔だ。
「今すぐ契約を解除しろ! 今のは無効だ!」
ガインは怒鳴り、セフェルに掴みかかろうとした──が、その時。またもルーリアは、自分の身体が勝手に動くのを感じた。
セフェルを庇うように、ガインとの間にその身体を滑り込ませる。そんなルーリアを驚きの目で見つめ、ガインは動きを止めた。
「ルーリア、お前……!?」
ルーリアの身体は左手をかざし、風魔法でガインの手足を抑える。完全に自由を奪われたガインは身動きが取れず、その場に立ち尽くす形となった。
「ッ!? なッ!?」
愕然とするガインにセフェルは目を細め、得意そうな顔で楽しげに言う。
「にゃは。知らないの? 王様は家来を守るためにいるんだよ?」
「……貴様! ふざけるなよ!!」
一喝したガインは紫雷で身を包み、縛りつける風を消そうとした。しかし、ルーリアが出した風は雷撃を受けても凪いだまま、消えずにガインを抑え続けた。
「くっ! 目を覚ませ、ルーリア!!」
その声が聞こえていても、ルーリアにはどうすることも出来ない。
「…………はー……。うるさいですよ、ガイン」
やれやれといったその声は、誰も意識していなかった壁際から聞こえてきた。
フェルドラル……!
ため息混じりにガインに近付くと、フェルドラルは縛り上げている風に手をつき、するりと吸い取る。
そして、呆気に取られているセフェルを見下ろし、その風でそのまま縛り上げた。
「にゃにゃ!? な、何で攻撃が出来る!? 何で王様は家来を守らない!?」
慌てふためいた声を出し、セフェルがフェルドラルを見上げる。フッと口の端を上げたフェルドラルは、余裕の顔でセフェルの首根っこを摘まみ上げた。
「んふ。それは、わたくしが姫様の一番だからですわ」
フェルドラルはポイッとガインに向かってセフェルを投げた。それを受け止めたガインは、ただ呆然とフェルドラルを見ている。
「差し上げますわ。エルシアにでも渡せば喜ぶのではないですか?」
そう話しながら、フェルドラルはルーリアをその深緑の瞳に映した。
「……さて、急ぎませんと」
ルーリアの瞳の中に意識の光がないことを確認したフェルドラルの手には、淡く光る大鎌が一挺、しっかりと握られている。
「おい、何をするつもりだ!?」
「フェルドラルさん!? 乱暴なことは止めてください!」
武器を手に取り、ルーリアに対峙するフェルドラルの姿を目にしたガインとユヒムは、顔色を失くして焦った声を上げる。
「……本当にうるさいですね」
フェルドラルは面倒そうに二人に向かって左手を伸ばし、風で身体を固定した。
「ああ、ガインには見せない方がいいかも知れませんね」
そう言いながらセフェルを抱えているガインを風の輪で囲い、その視界を塞ぐ。
これだけの風が出ているにも関わらず、部屋の中は窓辺にかけられたカーテンがそよぐこともなかった。
この場を支配しているのがフェルドラルであると、誰の目にも明らかだ。
「まぁ、これでいいでしょう」
邪魔をする者がいなくなったことに満足すると、フェルドラルは改めてルーリアの前に立った。
すぅっ……と、深緑色の瞳に光が宿る。
感情を持たない人形のように表情を消すと、フェルドラルは大鎌をルーリアに向けて素早く構えた。
ヒュンヒュンと風を切るような音を立て、大鎌の刃が円を描いて空を舞う。
動かない身体で、フェルドラルの描く美しい光の軌跡を見つめていると、遠くからガインとユヒムの声が聞こえた気がした。
「やめろ! 何をしているんだ!?」
「姫様、逃げてください!」
その声は風に掻き消され、ルーリアの耳には届かない。死を告げる美しい女神のようなフェルドラルをルーリアはただ見つめていた。
脳裏に二頭の鹿の姿が浮かんで消える。
フェルドラルが大きく鎌を振り被った姿を最後に、ルーリアはそっと静かに目を閉じた。