第79話・一目惚れより気になる話
ひと通り拭き終わり、他にも飛んでいないか確認していると、シャルティエが調理場の片隅に目を向けた。
「……ねぇ、ルーリア。ついでだから、ずっと気になってたこと聞いてもいい?」
「? はい、どうぞ」
「あの人は、あそこで何をしてるの?」
シャルティエの視線の先にいたのは、フェルドラルだ。メイド姿でグラスを傾け、のんびり酒を楽しんでいる。
真っ昼間から飲んだくれているメイド。
シャルティエじゃなくても気になって当然だと思う。自由すぎるにも程がある。
「……お酒を、飲んでいますね」
目を逸らして答えるルーリアに、シャルティエはきゅっと眉を寄せた。
「あの人はルーリア付きの使用人なんでしょ? なのに、こんな明るい時間から仕事もしないでお酒を飲んでるなんて、おかしくない?」
「え、えーと、あはは……」
これには棒読みの笑いしか返せなかった。
見なかったことには……してもらえないようだ。
「あの、実はあの人は使用人ではないんです」
「えっ、そうなの? ガインさんは使用人だって言ってなかった?」
「あれは……たぶん、説明するのが面倒くさかったんだと思います。……んー、何でしょう? あえて言うなら護衛、でしょうか?」
メイド姿の護衛。かなり怖い。
自分だったら雇いたいとは思わない。
シャルティエの方をチラッと見ると、同じことを考えているのが分かった。ちょっと引いた目で、こっちを見ている。
「あの、断っておきますけど、わたしの趣味ではありませんから」
「……えっ。じゃあ……ガインさんの……?」
人族の商人には、お気に入りの護衛を側に置く者が多い。そう考えているようなシャルティエにルーリアは慌てた。
「お父さんがそんなことを言ったら、わたしが全力で止めますよ。あれはフェルドラルの趣味です。……確認しますか?」
タルト作りを中断してルーリアたちが側に行くと、フェルドラルはグラスを置いて不思議そうに首を傾けた。
「どうされました、姫様?」
顔色も声も、いつもと何も変わらないフェルドラルは、酒を飲んでいても酔っているようには見えない。
「あのっ、その服装って、あなたの趣味なんですか?」
シャルティエは思いきって尋ねた。
「いいえ」
フェルドラルはゆっくり立ち上がると、シャルティエを見下ろして楽しそうに口の端を上げる。
「これは神の趣味です」
──っ!
ルーリアは思わず天井を仰いだ。
一番厄介な答えが返ってきた。
「…………ル、ルーリア。この人、危ない人だよ……」
でしょうね。心の中で同意する。
シャルティエは怯えるような、怖いものを目にした顔になっていた。このまま放っておく訳にもいかないから、ルーリアは仕方なく無難そうな説明を探した。
「シャルティエ。信じられないかも知れませんが、フェルドラルは神様にお会いしたことがあるそうです。その時に人に仕える職業として、メイドのことを聞いたそうですよ」
「……え、神様に……?」
神から話を聞いたからといって、何でメイドの恰好をしているのかと聞かれたら、もう『フェルドラルだから』としか答えようがない。
「……神様にメイドの恰好をするように言われたんですか?」
そんな神がいたら嫌すぎる。
余計なことは言わないでくださいね、とフェルドラルに目で訴えたけど、気付いてくれただろうか。
「わたくしは他人に言われたからといって、己を変えるようなことはありません。この姿なら、姫様のお傍に控えるのに便利だと思っただけですわ」
神を他人って。なんて罰当たりな。
そのメイド姿が問題なのに。
分かってやっているとしか思えない。
「フェルドラルさんは、ルーリアの護衛なんですか?」
「護衛?」
フッと、フェルドラルが鼻で笑う。
「そんな薄っぺらい関係ではございませんわ。わたくしと姫様は一心同体なのです。お傍でお守りするのはもちろん、寝食も共にしております。昨晩も一緒に抱き合って寝──」
やめてぇぇぇ……っ!
ルーリアは慌ててフェルドラルの口を塞いだ。
「……っシャ、シャルティエ? 違うんですよ。これには訳が……」
シャルティエの方から何の反応もないから不安になり、そーっと振り返る。
「…………へぇ」
くぅっ! シャルティエの視線が痛い!
「……ルーリアは女の人が好きなの?」
「わたしにそんな趣味はありません!!」
即答した。
これは間を空けてはいけない質問だ。
「じゃあ、どんな人が好きなの?」
ジトッとした目で見てくるシャルティエに、どう答えれば誤解が解けるのか、ルーリアは必死に考えた。
誤魔化そうとしても、シャルティエにはすぐにバレるだろう。ならば、ここは正直に答えた方が正解な気がする!
「わ、わたしは……その、お父さんみたいな、強くて優しい人が……す、すす、好き、です。……わ、わたしを守ってくれるような、そんな人が、いいです……っ」
っあぁあー! 消えたいっっ!!
羞恥に悶えながら顔を真っ赤にして答えると、シャルティエは満足してくれたようだった。
「うんうん、そっか。ルーリアがノーマルで安心したよ。分かるよー。ガインさん、良い人だもんね。誠実だし。ルーリアを溺愛してるところなんかも、見てると家族思いなんだって伝わってくるし。もしルーリアのお父さんじゃなかったら、私も真剣に考えてたくらいだよ」
っえ!?…………な、何をっ!?
「ユヒムさんはガインさんと違って裏の顔とか持ってそうだけど、そこもいいよねー。表では爽やかな実業家だけど、影では……って感じで。アーシェンさんとの噂があるから、寄ってくる人は少ないらしいけど、それでも格好良いから人気あるんだよ、ユヒムさん。……あの二人って、付き合ってるよね?」
どうやらシャルティエは恋愛話が好きなようだ。話し出すと止まらない。
「あ、それはわたしも気になっています。少し前に本人に聞いたら、恋人同士ではないって、はっきり言われましたけど。……でも、その時のユヒムさん、少し寂しそうな顔をしていたんですよね」
「……うーん、もしかして振られた、とか?」
「それだと一緒にいるのは辛くないですか? 今でも二人で行商をしてますし……」
「そうだよねぇ……」
そんな風に話に花を咲かせていると、フェルドラルから咳払いが入った。
「姫様。人の話より、ご自分の一目惚れした相手を見て差し上げたらどうですか?」
そう言ってフェルドラルが目を向けた先には、放置された作りかけの魔王が寂しそうに置いてあった。
「……あ」
ルーリアとシャルティエは、そそくさと調理台に戻り、黙々とシュファルセックのタルトを仕上げていったのだった。
じゃん、完成です!
あれから冷やして出来上がったタルトが、堂々と目の前に並んでいる。今回は大きなタルトを3個作った。
その内の一つをナイフで切り分け、お茶をする部屋へと運ぶ。残りの二つは、ユヒムとアーシェンの分だ。冷蔵庫に入れておこう。
今は二人とも外出していていないそうだから、帰ってきたら渡してもらえるようフィゼーレに頼んでおいた。ルーリア付きのメイドの三人にも、おすそ分けしてある。
タルトを作る前に声をかけておいたフィゼーレと、今から四人でお茶をする予定だ。
シュファルセックのタルトを見たフィゼーレは、とても嬉しそうな声を上げてくれた。
「まぁ、これをお二人だけで? お店で販売されている物と全く同じですのね」
それを聞いたシャルティエは得意そうに胸を張る。
「そうよ、私とルーリアで作ったの。途中……いろいろあったけど、味は保証するわ。それに一緒なのは当たり前じゃない。私がこのタルトの生みの親なんだから」
「えっ、シャルティエが……? お店で職人さんが作っているんじゃないんですか?」
それって、どういうことだろう?
「お店で売られてるのはウチの職人が作った物だけど、元々このタルトを考え出したのは私なの」
「えぇっ!? シャルティエがこのタルトを考えたんですか? シャルティエのお父さんではなくて?」
驚くルーリアに、シャルティエは誇らしげに笑って見せる。
「お父さんが最初に作ったのは、神様のレシピのタルトなの。そこからいろんな果物で試して種類を増やしていって。その中で、このシュファルセックのタルトを考えたのは私だった、という訳」
「神様のレシピ……の、タルト……?」
いまいちピンと来ない話に、ルーリアは小首を傾げた。