第77話・自分の言葉を考える
「今日の午後になりますが、ルーリア様にお会いしたいとシャルティエさんから連絡がございました」
挨拶を済ませ、フィゼーレは部屋に来た用件をルーリアに伝える。
「シャルティエから?」
どうしたのだろう? 昨日、言い忘れたことでもあったのだろうか?
「お話を伺いましたら、シャルティエさんはルーリア様とご一緒に、お菓子作りをされたいそうです」
「えっ、お菓子作り?」
ガインの言いつけでルーリアが屋敷から出られないことを知ったシャルティエが、お菓子作りの材料をそろえて会いに行きたいと言ってくれているらしい。
「必要な物はこちらでそろえるとお伝えしたのですが、今回はどうしてもお持ちになられたい食材があるそうでして……。どうなさいますか?」
「シャルティエとお菓子作り、してみたいです!」
断る理由なんてどこにもない。
返事は考えるまでもなかった。
誰かと一緒にお菓子作りが出来るなんて、夢のようだ。嬉しくて自然と頬が緩んでいく。
何を作るのだろう?
得意だと言っていた焼き菓子だろうか?
椅子に座ったルーリアがそわそわしていると、フィゼーレはくすくすと笑った。
「ルーリア様は本当に素直な方ですのね。調理場の準備はお任せください。とても楽しみにされていると、シャルティエさんにもお伝えしておきますね」
フィゼーレが部屋から出て行くのを見送り、ルーリアはベッドに座っているフェルドラルに尋ねた。
「わたしって、そんなに分かりやすいですか?」
「姫様のそのご様子を分かりにくいと言うのでしたら、その者には目がないのだと、わたくしは判断いたしますわ」
「……むぅ」
き、気をつけよう。
「それよりも姫様、気がつかれましたか?」
「……え?」
「今度から注意深く人の言葉を聞かれるのではなかったのですか?」
フェルドラルの呆れた顔にハッとする。
「え? い、今の会話の中に何かありましたか?」
頭の中はすでに、お菓子作りのことでいっぱいだった。というか、その決心をフェルドラルに話した覚えはないのだけど?
「フィゼーレは今、シャルティエのことを何と呼んでいましたか?」
「シャルティエのこと? えっと、確か……シャルティエさん?」
ルーリアのキョトンとした顔に、フェルドラルは小さくため息をつく。
「昨日と今日でフィゼーレとシャルティエの関係が変わっております。それに合わせ、呼び方も変わっているのです。姫様が変えられたのですから、そこは気付かれた方が宜しいかと思いますわ」
「……え、わたしが変えたんですか?」
昨日のフィゼーレを必死に思い出す。
商談前と、商談中。フィゼーレがシャルティエをどう呼んでいたか。
「あ! 昨日はシャルティエ様、でした」
やっと違いに気付いたルーリアに、フェルドラルは言葉を付け足す。
「些細なことでも変化に気付くということは、身を守る上で大切なことですわ。姫様はもう少し注意深くなられた方が宜しいかと思います。シャルティエの持ち込みについても、フィゼーレが先に確認するとは思いますが、何を持ってくるかくらいはお尋ねになられた方が宜しいかと。……それから、先ほどからチラチラと見えていますが」
じっ……と、フェルドラルが一点を見つめる。
「……?」
その視線の向く先に自分も目を向け、ルーリアは一瞬で顔が真っ赤に染まった。
バッと音を立ててスカートのすそを押さえると、フェルドラルは爽やかな黒い笑顔を浮かべる。
「んふ。もし男の前で同じことをされましたら、見た者の目をわたくしが潰しますので、そのおつもりで」
……ひいぃッ!?
それからルーリアは少しだけスカートのすそを気にするようになった。
◇◇◇◇
午前中、ルーリアはフィゼーレの案内で屋敷の女主人であるエイダに挨拶をした。
温和で優しそうなエイダは、ユヒムたちの母親でもある。今は夫であるギーゼに代わり、屋敷の中をまとめているそうだ。
次に、執事のルキニーから部屋の清掃など、身の周りの世話をするメイドたちの紹介を受ける。
知らぬ間に、ルーリア付きとなるメイドの選抜にフェルドラルが参加していたらしい。
てっきり若い女の子を選んだのかと思いきや、三人とも成人した女性だった。
「この者たちでしたら、そこそこ動けるようですので、何かあっても簡単には死なないでしょう。周りにいても問題ないかと思いますわ」
と、フェルドラルは上から目線で気になることを言ってくれる。いったい、このメイドたちに何が起こってどうなるというのか。
午後となり、大きな紙袋を抱えたシャルティエが屋敷を訪ねてきた。
「昨日、アーシェンさんたちからルーリアはお菓子作りが好きだって聞いたから、一緒に作ってみたくなったの。フィゼーレさんに手紙を送ったら、大丈夫だって返事をもらったから、さっそく来ちゃった」
「また来てもらえて、とても嬉しいです。……でも、その、材料をそろえたりとか、大変だったんじゃないですか? わたしが屋敷から出られないせいで、シャルティエにばかり気を遣わせてしまって……。すみません」
紙袋を重たそうに調理台に載せるシャルティエを目にして、ルーリアは無性に申し訳ない気持ちになった。
自分よりずっと年下のシャルティエが材料を用意してくれたというのに、自分は部屋で待っていただけで何もしていない。調理場の手配や道具の準備だって、フィゼーレが全部してくれて。
「んー……。ルーリアはまず、その話し方を変えた方がいいかもね。気を遣ってるのはルーリアの方じゃない」
調理台に材料を並べながら、自分が思っていたよりも子供らしくない反応を返すルーリアの様子を、シャルティエはじっと観察する。
その視線に気付かないルーリアは、そういえば少し前にキイカからも話し方が変だと言われていたことを思い出していた。
「あの、わたしの話し方はそんなにおかしいんでしょうか?」
「うーん、何ていうか。気持ちを押し隠して人との距離を取ってる、みたいな? 例えるなら、目に見えない壁があるような」
「……壁、ですか」
そう言われると、心当たりがない訳でもない。
「わたしは人と話す機会がほとんどなかったので、お母様の話し方の影響を強く受けています。……その、お母様は他の人を寄せつけないようにしているところがありますので……」
「……その呼び方。お母さんじゃなくて、お母様なの? ガインさんのことは、お父さんって呼んでるのに? どうして?」
眉を寄せたシャルティエの強い口調に、怒らせるようなことを言ってしまったのかとルーリアは慌てた。
「それは、お母様の方が立場が上になるから、そう呼ぶようにってお父さんに言われていて……」
「ルーリアの中ではどうなの? ガインさんの方がお母さんよりも下だと思っているの?」
昨日の会話だけで、シャルティエはガインの誠実さに好感を持っている。ガインが自ら望んだことであっても、友達が自分の父親を貶めるようなことを言うのは見逃せなかった。
「…………わたしの、中……」
「私はルーリアが本気でガインさんをお母さんよりも下に見ているなんて思っていないよ。けど、何も知らない人がそれを聞いたら、そうは思ってくれないと思う。下手をすると、ルーリアよりガインさんの方が立場が下に見られちゃうかも知れないんだよ?」
「お父さんが、わたしよりも下に……」
そんなつもりは全然ない。何よりルーリア自身が嫌だ。でも、言われてみればその通りだとも思った。
「ルーリアはその呼び方、今まで疑問に思わなかったの?」
「いえ、あの……思ったことは、あります。けど、お父さんにそうするように言われたら、それを守ることしか頭になくて……」
「それってもう、ルーリア自身がお母さんよりガインさんの方が下だって認めているようなものなんだけど?」
「…………それは……」
気付けば、シャルティエは怒っているというよりも心配しているような顔をしていた。
「……商人はね、お互いの呼び方を間違えると、それだけで信頼関係を失くすことだってあるの。ルーリアがこれから誰かと取引をすることがあるのなら、『人に言われたから』じゃ通用しなくなると思うよ。自分で考えて、自分で決めなきゃ」
強い意志のこもったシャルティエの紫色の瞳に、自信のない顔のルーリアが映る。
「商人に限った話じゃないけど、ルーリアが自分で考えて自分の言葉で伝えなきゃ。じゃないと、人に信用してもらうのは難しいよ?」
「……わたしの言葉で、ですか」
そんなこと、考えたこともなかった。
自分の考えだけで物事を決める場面なんて、今までなかったから。
「ルーリアの中では、お父さんもお母さんも同じくらい大切なんでしょ? だったらそれを言葉に出さなくちゃ。じゃないと他の人には伝わらないよ?」
「……そう、ですね。その通りだと思います」
暗い顔で考え込むルーリアに、シャルティエは声を和らげた。
「ルーリアはもっと自分の言葉を探した方がいいと思うよ。いきなりは難しいかも知れないけど、私はルーリアの言葉を聞いて、ルーリアと話がしたいんだから」
シャルティエはそう言って、話し方や言葉選びの大切さを教えてくれた。今までは自分のことをよく知っている人だけが周りにいたから、それでも通じただけなのだと。
けど、自分のことをよく知らない他の人と話す時は、それではダメなのだ。
相手の視線や仕草から気持ちを読むことはあっても、それ以上に口から出る言葉を人は判断の材料とする。だから、その言葉の中に込められた思いを感じ取ることが出来なければ、人は決して信用してくれないのだ、と。
シャルティエは今まで誰も教えてくれなかったことを、『友達だから』のひと言で、自分の言葉で話して聞かせてくれた。
ルーリアの直した方がいいところや気付かなければいけないことなど、面と向かって言いにくいことを自然に話してくれる。
友達がどういうものなのか、ルーリアはシャルティエを見て、緩やかに感じ始めていた。
「まぁ、だからと言って急に話し方が変わっても怖いんだけどね」
「……そ、そうだ、ね」
シャルティエの真似をしようとして、ルーリアがぎこちなく笑う。
「うん、ひどくなってる」
「そんな、ひどいっ」
ルーリアたちは顔を見合わせて笑った。
「ところで、今日は何を作るんですか?」
「……ふっふっふ、よくぞ聞いてくれました」
シャルティエは不敵な笑みを浮かべる。
一つの箱を手元に寄せ、そのフタを勿体ぶりながら開けると、中には見たことのない黄色い果物が入っていた。
「!!……こ、この香りは!?」
ルーリアが驚いた顔で目を見開く。
シャルティエはニヤリと、さらに笑みを深めた。
「さすがに気付いた?」
「気付かないはずがないです! だって、これは魔王の──」
「…………魔王?」
心の声をそのまま漏らしそうになり、ルーリアは慌てて口を噤んだ。
間違いない。これは、黄色い魔王の香り!