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第76話・森とは違う時間の流れ


 朝になって目を覚ますと、フェルドラルがいつものように隣で眠っていた。


 ぬくぬくな毛布に、ふかふかの布団。

 すぐに起きようかと思ったけど、起きたところで何もやることがない。


 ……もうちょっとだけ眠っていよう。


 ルーリアは身体を小さく丸め、そのまま寝直すことにした。



 しばらくすると、「ふぁっ!?」という変な声が聞こえ、ルーリアは驚いて目を覚ます。


「……何、今の?」


 まだ眠い目をこすって顔を上げると、目を見張って固まっているフェルドラルがぼんやりと映る。


「……フェルドラル?」

「ひ、姫様。な、何をされていらっしゃるのですか?」

「……何って、眠っていますけど?」


 珍しく慌てた声のフェルドラルの視線の先を見れば、ルーリアはフェルドラルの服をしっかりと掴み、身体をピッタリとくっ付けて眠っていた。


「……あ」


 このクセのことはガインから聞いたことがある。「眠っている時にしがみ付くからエルシアが困っていた」「寝ている間にいなくなってしまうエルシアを無意識の内に離さないようにしているのだろう」と。


「ごめんなさい。お母様と眠る時のクセで、つい……」


 パッと手を離したけれど、フェルドラルは放心したように動かない。


「……フェルドラル? どうしました?」


 そっと声をかけると、ベッドの上で座り直したフェルドラルは、指先を綺麗にそろえて両手をつき、額を手の甲の上に乗せた。


「朝からご褒美をありがとうございます」


 土下座をするように深々と頭を下げ、なぜか礼を口にする。


「……あの、何をしているんですか?」

「わたくしはこれまで、これほど大切に扱っていただいたことがございません。大抵は壁に飾られたり、立てかけられたりしておりましたので。…………エルシアには、放り投げられたり、踏まれたりもしましたが」


 最後だけ声に怨みがこもっていた気がしたけど、フェルドラルはとても嬉しそうに話した。


「んふ。姫様にご寝所で朝まで離さず大切にかかえていただけるなんて……夢のようですわ」


 人が聞いたら勘違いしそうな台詞を、うっとりと語るのは止めてもらいたい。それにこれは本当にただのクセだから、そんなに喜ばれると、ちょっとだけ申し訳ない気持ちになる。


「……あの、フェルドラルが人の姿でしたら、さすがにお母様もそんなひどいことはしなかったと思いますよ?」


 弓であっても、エルシアが放り投げたり踏んだりする姿は想像できないが。


「そうでしょうか? エルシアのわたくしを見る目は、とても冷たいものでしたが」


 フェルドラルはすっかりエルシア不信になっていた。冷たい目のエルシアも、やはりルーリアには想像がつかない。


「お母様が家に戻り次第、結界を直してもらうそうですから、フェルドラルもそう遠くない内に会うことになると思います。……わたしは、フェルドラルにもお母様と仲良くして欲しいと思っているんですけど」


 もしかすると言葉を交わしたことがないから、互いに誤解があるのかも知れない。


「わたくしは……姫様のお許しがいただけるのであれば、一度本気でエルシアと正対してみたいと思っておりますわ」


 本気で正対?

 ちゃんと話し合いたいという意味だろうか。


「分かりました。次にお母様に会った時に、そうお願いしてみます」

「……んふ。ぜひ、お願いいたしますわ」


 そう言ってフェルドラルはルーリアの見ていないところで笑みを深めた。


「ああ、そういえば。姫様がお目覚めになられたら連絡が欲しいとアーシェンから言われていました」

「アーシェンさんが? いったい何でしょう?」

「姫様のお着替えが済みましたら、呼んで参りますわ」


 いつもなら一人で着替えられるけど、ダイアランの服はどう着るのが正解なのか分からない物が多い。ルーリアは仕方なく、フェルドラルに手伝ってもらった。


 今日は昨日と違い、フリル付きのシャツと短いスカートだ。スカートは長い物ならエルシアが穿()いているところを見たことはあるが、こんな短い物まであるとは知らなかった。

 軽くて動きやすいけど、ヒラヒラしていて下から下着が丸見えになる。動く時は気をつけるようにと、フェルドラルから三回も同じことを注意された。


 そんなに油断できない服って何なんだろう?

 やたらとお尻がスースーするし、欠陥品としか思えない。

 恥じらいを身につけるなら最適とか、フェルドラルは訳の分からないことを言っていたけど、見せちゃダメなのに見えそうな服を着る意味って? 誰か詳しく教えて欲しい。


 フェルドラルがアーシェンを呼びに行っている間、大人しく待っているように言われたルーリアは、部屋にある椅子に腰かけ、足をぷらぷらさせながら蜂蜜を食べていた。

 しっかり眠っていても、家にいる時と比べると、やっぱり少しだけ魔力の回復が遅いように感じる。


「えーと、ドレッサー、ソファー、クッション。これはワンピース。それとコート。これは……何でしたっけ?」


 名前を覚えながら、フィゼーレが用意してくれた物を眺める。本で読んで名前を知っていても、イメージと実物が違ったりするから大変だ。

 クッションと枕なんて違いが分からない。

 部屋の中の花の香りの正体は、ポプリという花びらを乾燥させた物だった。


「何ででしょう? 生花より良い香り……」


 そんなことをしている内に、フェルドラルがアーシェンを連れて戻ってくる。


「おはよう、ルーリアちゃん。よく眠れた?」

「おはようございます。はい、ぐっすりです。ついさっきまで眠っていました」

「そう。それは良かったわ」


 アーシェンは手に大きな紙袋を持っていた。

 そこから小さな瓶を一つ取り出し、ルーリアに手渡す。


「これ、お土産」

「えっ。あ、ありがとうございます?」


 家にいないのに、お土産をもらってしまった。

 もらってもいいのだろうか?

 瓶の中には、ひと口大に切って乾燥させた果物が何種類も入っている。


「わぁっ。いろんな色で綺麗」

「それはドライフルーツっていうの。ルーリアちゃんなら好きかなって思って。蜂蜜にも合うのよ」


 紙袋からいくつかの紙束を取り出し、アーシェンはテーブルの上に置いていく。


「それは何ですか?」

「今日はルーリアちゃんにいろいろ選んでもらおうと思って」

「……選ぶ?」


 広げた紙の一枚一枚には、いろんな色や模様が描かれていた。


「……これは何の模様なんですか?」

「ふふっ、今は内緒。今日はルーリアちゃんの好みを調べたいの」

「わたしの好み、ですか?」


 その言葉に反応したフェルドラルがテーブルの上の紙を覗き込む。


「アーシェン、わたくしも見ることにします。構いませんね?」

「え、ええ。どうぞ」


 フェルドラルは隣に立ち、どれがルーリアの好みなのか興味津々といった顔だ。


「これとこれだったら、どっち?」

「こっちです」


 アーシェンが次々と見せてくる紙の中から、自分が好きだと思った色や模様を選んでいく。

 紙はたくさんあったけど、そんなに時間はかからなかった。アーシェンが言うには、好みがはっきりしているらしい。


 緑や水色、白や茶。金と銀。花などの植物や羽根といった模様。自然にある物が多いそうだ。


「うん、だいたい分かったわ」

「これって何を選んだのでしょうか?」


 内緒と言われると余計に気になってしまう。


「例えばだけど、これから服を用意する時なんかでも、好みを知っておいた方が選びやすいのよ。ルーリアちゃんも好きな色や模様の方が嬉しいでしょ?」

「……それは、そうですね。好きな色だと嬉しいです。自分で選ぶことなんて今までありませんでしたから。……そう言われると、フェルドラルって、わたしの好きなものがギュッと詰まった感じなんですね」


 白地に金色で描かれた植物に似た繊細な模様。

 羽根を(かたど)った造形。深い森色の魔石。


「弓の時に眺めていて思ったんですけど、綺麗ですよね。わたしは好きですよ、フェルドラルの色や模様が。とても美しいと思います」

「…………姫様……」


 褒められ慣れていないのか、それとも照れているのか。そう言って笑顔を向けるルーリアに、フェルドラルはどう反応したらいいのか迷っている様子だった。


「飾らない褒め言葉って、魔術具の武器にも通用するのね。……覚えておきましょ」


 ぽそっと小さく呟き、アーシェンは席を立つ。


「ごめんね、ルーリアちゃん。本当はゆっくりしたかったんだけど、ちょっと他にも用事があって」

「あ、いえ。忙しいのに来てもらってありがとうございます」

「また美味しいお菓子を見つけたら、お土産に持ってくるわね」


 どうやらアーシェンは忙しい合間を縫って来てくれていたらしい。

 もしかしたら起きるまで、ずっと待たせてしまっていたのかも知れない。もしそうだとしたら、二度寝なんかしている場合じゃなかった。


「おはようございます、ルーリア様」

「お、おはようございます、フィゼーレさん」


 アーシェンが部屋から出て行くと、今度は入れ替わるようにフィゼーレが訪ねてきた。


 ……あれ?


 ひょっとして何もすることがないと思っていたのは自分だけだったのだろうか。


 時間を気にしない、のんびりとした生活に慣れきっていたルーリアは、次々と用件が舞い込むダイアランの生活に戸惑いを隠せないでいた。



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