第71話・交渉と新しい挑戦
「今回のお話は、お断りいたしましょうか?」
フィゼーレからの問いかけにすぐには答えず、ガインはルーリアをじっと見つめた。
「ルーリアはどうしたい?」
商談に来ているシャルティエは、ガインではなくルーリアとの話を望んでいる。だからガインは、今回の件はルーリアに考えさせるべきだと思ったようだ。
「お父さんとフィゼーレさんの話を聞いて、魔虫の蜂蜜をお菓子作りに使うのは止めた方がいいと思いました。シャルティエさんにも、そのことを自分の言葉でちゃんと話したいと思っています」
「……そうか」
ルーリアの返事を聞き、ガインは安心した顔でフィゼーレに話を戻した。
「念のため俺も付いて行くが構わないか?」
「はい、もちろんです」
「わたくしもお供いたしますわ」
フェルドラルはともかく、結局そのまま全員でシャルティエのいる部屋へ向かうこととなった。
相手は女の子一人だ。大人を連れて、ぞろぞろと部屋へ入ってこられたら怖いのではないだろうか。ちょっとだけ心配になった。
けれど、ルキニー相手に一歩も引き下がらなかったそうだから、案外気の強い子なのかも知れない。
タルト屋のシャルティエ。
いったい、どんな子なのだろう。
部屋に着き、ルキニーが中にいたメイドと入れ替わる。商談にも手順や作法があるのだろうか。
そんなことを考えながら、フィゼーレを先頭にルーリアたちは部屋に入った。
その部屋にあるのは、洗練されたテーブルと椅子だけだった。そこへルーリアより少しだけ年上に見える幼い顔付きの少女が一人、椅子にちょこんと腰かけている。
緩く巻いたピンク色の長い髪を二つに分けて高い位置で括り、くりっとした紫色の瞳をこちらに向けている。その姿はまるで、ウサギが人の姿に変身して座っているかのようだった。とても可愛らしい。
ルーリアが想像していたよりも、シャルティエはずっと若かった。一人で商談に来たと聞いていたから、娘と言ってもてっきりキイカくらいの女性かと思っていたのに。
12、3歳くらい、もう少し上だろうか。
シャルティエはルーリアたちを目にすると、すぐにその場で立ち上がった。
小さく口を開き、何かに感動しているようにその瞳をきらきらと輝かせている。
シャルティエの対面にルーリアとガインが、そして右斜めの席には仲介としてフィゼーレが着いた。フェルドラルはルーリアたちの後ろに控えるように立っている。
「お二人にご紹介いたします。こちらがタルト専門店、セルトタージュのシャルティエ・セルト様です。シャルティエ様、申し訳ございませんが、訳あってこちらのお二人のお名前は伏せさせていただきます。お二人とも、シャルティエ様がお会いになりたいとご希望されていた方でお間違えございませんわ」
フィゼーレが互いを簡単に紹介する。
ルーリアたちの名前が伏せられ、シャルティエは一瞬だけ戸惑ったような顔を見せたが、そこは商人の娘だ。すぐににこやかな笑顔を浮かべ、用意していたと思われる挨拶の言葉を口にした。
「急な来訪にも関わらず、私の申し出に快く応じていただいて心より感謝いたします。タルト専門店、セルトタージュのオーナーの娘、シャルティエ・セルトと申します。本日は当店の品をお求めいただき、誠にありがとうございました」
……す、すごい。
大人顔負けのしっかりとした挨拶に、ルーリアは驚きを隠せなかった。
フィゼーレもそうだけど、ダイアランの商人の娘はみんなこうなのだろうか。自分も蜂蜜屋の娘なのだから、とルーリアは気を引きしめ直した。
「せっかく来てもらったのに、名も告げず申し訳ない」
感心しているルーリアの背にガインが手を添えた。商談はすでに始まっているようだ。
「ここまで強引に訪ねてきたくらいだから、俺たちのことは手を尽くして調べたのだろう? 堅苦しい挨拶はいらない。駆け引きも不要だ。娘と話すなら、本音だけで話を進めてくれ」
ガインの口上を聞いたシャルティエは驚いた目をフィゼーレに向けた。
「どうぞ皆様、おかけになってください」
ルーリアたちが椅子に座ると、フィゼーレは穏やかにシャルティエに話を振った。
「シャルティエ様、こちらの方は遠回しな商人の話を嫌われます。率直にお話をされた方が宜しいかと思いますわ」
そう言われても……と、シャルティエが戸惑っているのが、ルーリアにも伝わってくる。
さっきのガインのひと言で、用意していた言葉の全てを考え直さなければならなくなったのだろう。
せっかく来てもらったのだから。そう思い、ルーリアは自分から話しかけてみることにした。
「あの、シャルティエさんはどうしてお父さんではなく、わたしに会いたいと思ったんですか?」
シャルティエはまだ少し戸惑いの残る目でルーリアを見つめ、深呼吸した後、覚悟を決めたような顔を上げた。
「私、あなたの作った蜂蜜の味が、今までに食べたどの蜂蜜よりも美味しいと思ったんです。どんな人が作っているんだろうって調べたら、花畑を管理しているのは娘の方だって聞いて。だから、どうしても会って話を聞いてみたいって、ずっと前から思っていて……」
ルーリアはテーブルに手をつき、思わず身を乗り出した。
「ほ、本当に? 本当にわたしの蜂蜜は美味しかったですか?」
「もちろん! 初めて食べた時の衝撃は今でも忘れられないわ。味も、香りも。今までに食べた、どの蜂蜜とも違うんだもの。あなたの作った蜂蜜が一番美味しいって私は思っているの」
「……! そんな風に思ってくれている人がいたなんて。……本当に、嬉しい」
初めて他人の口から聞いた、蜂蜜の評価。
それは、とてもとても嬉しいもので。
花の種を集めた時の苦労や、一生懸命してきた手入れとか、いろんな思いがいっぺんに込み上げ、ルーリアは思わず目が潤んでしまった。
シャルティエはテーブルにあったルーリアの手を取ると、真剣な目を合わせる。
「私はこの国で一番の菓子職人を目指したいと思っているの。そのためにはどうしても、あなたの蜂蜜が必要で。お願いします。どうか私に、あなたの力を貸してください!」
後ろでは、このために来ていたと思われるフェルドラルが悶えていたが、ルーリアは放置した。
ガインに視線を移し、判断を待つ。
本音を言えば、蜂蜜を褒めてくれたシャルティエを手伝いたい気持ちでいっぱいだが、そこはグッと我慢している。
ルーリアとシャルティエが話をしている間も、ガインは冷静にその様子を見ていた。
「分かっているのか? あれは料理に使う調味料なんかじゃない。回復薬なんだぞ?」
シャルティエはガインにも、ルーリアと同じように真剣な目を向けた。
「もちろん分かっています。だから今回、どうしてもお会いして話をしたかったんです」
「……何か考えているのか?」
ガインはシャルティエを試すような目で見ている。相手を見定めようとする、鋭い視線だ。
そんなガインの視線からも目を逸らすことなく、シャルティエはまっすぐに見返していた。
「私がお願いしたいのは、普通の……人族が作っている蜂蜜の養蜂です」
「普通の養蜂だと?」
ガインが一瞬だけルーリアを見る。
「悪いが娘はそこまで身体が丈夫ではない。俺たちを調べたのなら、いろいろと知っているんじゃないのか?」
ガインの言う『丈夫ではない』は、起きていられる時間が短いという意味だが、商人たちの間では、蜂蜜屋の娘は身体が弱いという話の方が有名だった。
「噂には聞いていますが、私は本人から聞かなければ、そんな話は信用できないと思っています。確認もせずに噂を信じるほど、私は愚かではありません。お会いしたその上で、可能ならお願いしたいと思っていました」
……わぁ。
可憐な見た目と違い、自分の意見をはっきりと言うシャルティエはガインにも負けていなかった。
その力強い姿に釣られ、ルーリアも自分の考えていることをガインに伝えることにする。
「お父さん。わたしもお菓子作りに使う蜂蜜の代わりが欲しいと思っていました。出来ることなら普通の蜂蜜を作ってみたいのですが、ダメですか? わたしには難しいですか?」
「…………お前もか」
ガインはあごの下に手を当て、悩む姿勢を見せた。
人族の作る蜂蜜を、あの森で。
果たして今のルーリアにそれが出来るだろうか。