第70話・押しかけてきた商談
「ルーリア様、こちらも美味しいですよ」
フィゼーレがルーリアに食べさせたいお菓子を手にして、こちらへやって来た。
今日訪ねてきた商人たちの話をユヒムとしていたみたいだったが、そちらは終わったようだ。
「オレももらっていいかな? 昼がまだなんだよ」
そう言ってユヒムがフィゼーレの皿に手を伸ばそうとすると、すいっと流れるような動きでかわされる。
「あら、兄さんはアーシェンさんにもらうといいですよ?」
「私はあげないわよ。欲しかったら自分で取って来なさいよ」
その様子に、ルーリアはクスッとなった。
三人はいつもこんな感じの会話をしているのだろう。蜂蜜屋に来た時とは違うユヒムたちの表情が新鮮に見える。
だけどそれと同時に、自分だけ遠くにいるような、何とも言えない距離を感じて複雑な気持ちにもなった。
……ちょっと、羨ましいな。
ルーリアはユヒムたちから視線を逸らし、たくさんのタルトやお菓子に目を向けた。
まだ、こんなにたくさんある。
「わたしたちだけだと、こんなに食べ切れないと思うんですけど。余った分はどうするんですか?」
「それは心配ございませんわ。この後、この家で働いてくれている使用人たちにも日頃の感謝を込めてお茶会を開く予定ですので。少し足りないかも知れないくらいですわ」
「そうですか。それなら良かったです」
その実態は、お茶会という名目のルーリアとフェルドラルの説明会なのだが、ふんわりと微笑むフィゼーレはルーリアにそれを気付かせなかった。
「お願いだから、ウチの使用人にはその話を聞かせないで欲しいわ。私にはフィゼーレみたいなタルト屋の知り合いなんていないんだから」
「私が話すことはなくても、使用人同士の会話までは止められないですわ」
「……そうよねぇ。私も何か考えないとかなぁ」
お菓子を食べながら、アーシェンは軽くため息をつく。
とそこへ、一人の男性がその場に溶け込むように近付いてきて、フィゼーレに声をかけた。ガインが商人たちに会っていた時、扉の近くに立っていた上品な男性だ。
「お嬢様。ご歓談中、失礼いたします」
誰ですか? とアーシェンに尋ねると、ケテル邸の執事だと返ってきた。この屋敷で働く使用人たちのまとめ役だと思っておけばいいらしい。
「ルキニー、どうしたのですか?」
フィゼーレの側に寄ったルキニーは声を潜め、そっと耳打ちをする。
「……まぁ、シャルティエ様が?」
フィゼーレは何度か驚いた声を上げ、それからゆっくりとルーリアに視線を移した。
……何だろう?
フィゼーレが少しだけ商人の顔になっているような……?
「ルーリア様。たった今この屋敷に、今回ご用意させていただいたタルトの、セルトタージュのオーナーのお嬢様が訪ねてこられているそうです」
「タルト屋さんの娘さんが?」
フィゼーレは頷き、話を続ける。
「お嬢様のお名前は、シャルティエ様とおっしゃいます。ルーリア様に、ぜひお会いしたいとおっしゃられているそうなのですが」
「わたしに、ですか?」
「はい。シャルティエ様はルーリア様と直接お会いしての商談を望まれているそうなのです。……どうなさいますか?」
商談? わたしに? お父さんではなく?
しかも、タルト屋さんから?
当たり前だが、ルーリアは商談なんて一度もしたことがない。助けを求めるように視線を向けると、話を聞いていたガインは酒のグラスをテーブルに置き、フィゼーレとルキニーに「詳しく話を聞こうか」と告げた。
結論から言えば、ルーリアはガインと一緒に商談へ向かうことになった。
まだお菓子を食べていたかったのに、と思っても自分が指名された商談だ。行かない訳にはいかない。ルーリアは後ろ髪を引かれつつ、お茶の席を後にした。
ルキニーに案内され、別の部屋へと移る。
タルト屋の娘が待つ部屋へ行く前に、もう少し詳しい話を聞くようだ。
ガインがいるから付いて来なくてもいいと言ったのに、フェルドラルは当然の顔で横にいる。シャルティエがどんな女の子なのか気になるらしい。とんだメイドだ。
それぞれが椅子に座ると、フィゼーレの後ろに立つルキニーが無駄のない動きで丁寧に一礼した。
「ルーリア様には、ご挨拶が遅れました非礼をお詫び申し上げます。私は執事のルキニーと申します。以後、お見知り置きください」
ルーリアに向かって頭を下げた後、ルキニーは柔らかな口調で話し出す。
「それでは、簡単にではございますが……」
フィゼーレから特別なお客様がいらっしゃるから、とタルトの特注を受けたシャルティエは、『その客人は魔虫の蜂蜜屋の親子らしい』との情報を得るなり、すぐにこの屋敷に駆けつけたそうだ。
元々ユヒムから魔虫の蜂蜜を定期的に仕入れていたシャルティエは、今回どうしても生産者本人に会って話したいことがある、とルキニーが丁重に断っても頑として引き下がらなかったらしい。
困ったルキニーは、ひとまず話は通すが面会を断られた時は速やかに手を引くことを条件に、シャルティエを屋敷の中に入れたそうだ。
「そもそも、何でタルト屋の娘がウチの蜂蜜を定期的に仕入れているんだ?」
話を聞き終わったガインは、すぐに難しい顔となった。
「そんなの、蜂蜜をお菓子作りに使うからに決まっているじゃないですか」
当然のように答えるルーリアに、ガインは『まさか!?』と驚く。
「魔虫の蜂蜜で菓子作りだと?」
「そうですよ。わたしだって使っています」
「何っ!?」
ガインはルーリアが今までに作ったお菓子を思い浮かべ、苦い顔をした。
「知らない間に、そんなことをしていたのか。全然気付かなかった」
「魔虫の蜂蜜を使うと良い香りになりますし、砂糖よりも美味しいんですよ」
それを聞いたガインの眉間にシワが寄る。
「それでも、なんでウチの蜂蜜なんだ? あれは薬だぞ? 人族の作る蜂蜜では駄目なのか?」
ガインにとって魔虫の蜂蜜は貴重な回復薬だ。
その薬を料理に使うというルーリアの考えに共感できないのは当然だろう。
「お父さんには無駄に見えるかも知れませんけど、わたしは蜂蜜を美味しくするために一生懸命、花を育ててきました。味や香りに拘った自慢の蜂蜜です。その美味しさに気付いてくれた人がいただけで、わたしは本当に嬉しいんです」
だからタルト屋の娘が魔虫の蜂蜜を欲しがってくれたのだと、ルーリアは満足げな笑顔をガインに向けた。
「ルーリアが味や香りに拘っていたことには気付いていたが、それはルーリア自身が口にするからだと俺はずっと思っていた」
「もちろんそれもありますけど。どうせなら、良い物を作りたいじゃないですか」
「……道理で他の魔虫の蜂蜜より、ウチの蜂蜜の値段が上がる訳だ」
ジロリとルーリアを見た後、ガインはため息混じりにぽつりとこぼす。
「……え? 値段が……上がる?」
思いも寄らない言葉にルーリアは目を瞬いた。
同じ魔虫の蜂蜜でも、物によって値段が変わるという意味だろうか。
「サンキシュの薬屋のヨングのことはルーリアも知っているだろう?」
「はい。お名前だけですけど。お父さんが養蜂を始める切っかけをくれた方ですよね?」
会ったことはないが、自分の生命を救ってくれた恩人でもあると聞いている。
「そうだ。あの小人族の婆さんが言ってたんだが、ウチの蜂蜜は他の魔虫の蜂蜜と比べると、回復薬としての性能が段違いらしい」
「……え? 同じ魔虫の蜂蜜でも効果に違いがあるんですか?」
そんな話、初めて聞いた。
「魔虫の蜂蜜とひと言で言っても、その回復量や効果には差があるらしくてな。荒れた土地や痩せた土地の蜂蜜は、摂取しても回復量は少ないそうだ。下手をすれば、逆に毒の成分を持つこともあるらしい」
「えっ! 蜂蜜に毒ですか!?」
これには素直に驚いた。魔虫の蜂蜜が採れる場所次第で、そんなに効果が変わるなんて。
「ウチの蜂蜜はそういったのと比べると、正真正銘の万能回復薬なんだとさ。自分たちの知らないところで勝手に値段が跳ね上がって、本当に必要としている者の手に届かない、なんてことにならないように、俺は自分と取引のある商人には常に目を光らせている。だがそれでも、一度手を離れてしまえば全てを把握するのは難しい。身勝手なヤツらに買い占められることもあるらしいからな」
ユヒムもウチの蜂蜜は、各国がお金を積んででも手に入れたがっていると言っていた。
そう考えると、自分が思っている以上に価値のある物なのかも知れない。
ルーリアは物心がついた頃から、身近にある魔虫の蜂蜜を当たり前の顔で食べていた。
貴重な物だと頭では分かっていても、ちゃんと実感できていなかったのだと思う。
ガインの言う、魔虫の蜂蜜は回復薬だという考えの方が、きっと正しいのだろう。
「まぁ、ウチのはそんな蜂蜜なんだ。呑気に菓子作りに使っているなんて聞くと、正直に言えば複雑な思いはあるな」
「そんなに必要とする人がいるのに、どうして他の人は魔虫の蜂蜜を作らないんですか?」
ルーリアの率直な質問に答えたのは、ガインではなくフィゼーレだった。
「お忘れかも知れませんが、魔虫の蜂は魔物です。人族がそれを制御して広い森の中で養蜂をするのは、国家騎士団を連日総動員するようなものなのです。そんなことが出来る人族の国は存在しません。もちろん他の種族であれば、魔虫の養蜂が可能な方もいらっしゃると思います。ですが、人族のためにそこまでしてくださる方は、ガイン様以外にはいらっしゃらないのです」
ルーリアは改めてガインを見上げた。
人族の国の話だったとしても、騎士団全員でするようなことを、たった一人で……。
ガインもエルシアも人のために頑張っている。
自分はついこの前ガインの言いつけを破り、勝手に人助けをしようとして、結局は周りの人たちにたくさんの迷惑をかけただけだった。
今も、みんなに助けられてここにいる。
幼い頃から憧れている両親の背中が、ずっとずっと遠くにあるようにルーリアは感じた。