第69話・色違いの魔王
どうするんだ、こんなに……と、呆れ果てたガインの呟きが聞こえてくる。
「あっ、こら。ルーリア、逃げるな」
手の力がゆるんだ隙に逃げ出し、ルーリアはアーシェンの後ろに素早く隠れた。
するとフィゼーレが庇うように前に出る。
「ガイン様。今回はルーリア様だけでなく、私やアーシェンさんも食べてみたい物がありましたので、いろいろとそろえてみたのです。ですから、ルーリア様をお叱りにならないでください」
「……そう、なのか?」
フィゼーレの言葉を受け、ガインは確かめるようにアーシェンを見た。
「そうですよ。ルーリアちゃんだって初めて外に出て緊張しているんですから。ガイン様は叱ってばかりいないで、もうちょっと優しくしてあげてください」
「……うっ……」
それでもこれはやり過ぎじゃないのか、とノド元まで出かかっていた声をガインは呑み込んだ。
言えば、きっと倍以上になって返ってくる。
フェルドラルが無言で差し出した酒のグラスを受け取り、ガインはため息をつく代わりに、ひと息に飲み干した。
「ところで、何でフェルドラルさんはメイドの恰好をしているの?」
「メイドって何ですか?」
朝、フィゼーレと一緒に部屋に入ってきた時には、すでに今の服装だった。
「その家の中で働く女性の使用人のことよ。ほら、あの人たちがそう」
そう言ってアーシェンは壁際に控えている女性たちを手で示した。
黒のロングワンピースに、白いフリルの付いたエプロン。両手首には白と黒のカフス。頭にはホワイトブリムと呼ばれるフリルの付いたカチューシャがあった。
「えっと、使用人? 下働きの人とは違うんですか?」
「ちょっとだけ意味合いが違うかしら。下働きよりも使用人の方が教養があるのよ」
「教養、ですか」
あの服にそんな意味があったなんて。
動きやすいって言っていたけど、本人は知っているのだろうか?
「フェルドラル様は『この姿であれば姫様のお側にいるのに好都合』と言われていましたから、何かお考えがあるのではないでしょうか?」
「あ、はは……」
たぶん、何も考えてないですね、それ。
「ふぅん。フェルドラルさんは何を考えているのか、ちょっと分からないのよね。フィゼーレ、ルーリアちゃんのことに関しては、フェルドラルさんは常に本気だから。下手に隠し事をするよりも手伝ってもらった方がいいわよ」
「分かりました。今朝もフェルドラル様からいろいろお話を伺ったのですけれど、ルーリア様のことが本当にお好きですのね」
微笑ましいものを見るように目を細めているフィゼーレが、ユヒムの時みたいに変なことを吹き込まれていなければいいな、とルーリアは思った。怖いから確認はしないが。
「せっかくですから、お茶とお菓子もどうぞ」
「そうね、いただこうかしら」
「はいっ」
フィゼーレに勧められ、ルーリアたちはお菓子の載ったテーブルへと向かう。
「ふ、わぁあぁぁ~~~」
改めて見ても、ズラリと並ぶ色鮮やかなタルトに圧倒される。ツヤツヤと輝くタルトを前にして、ルーリアは完全に舞い上がっていた。
「お好きな物をおっしゃっていただければ、こちらでお取り分けいたします」
「は、はい。ありがとうございます」
給仕のメイドに声をかけられ、ルーリアはうるうるとした瞳でガインを見つめた。
「……せっかくフィゼーレが用意してくれたんだ。好きに食べていいぞ」
ガインから許可が出た。飛び跳ねて喜びたい気持ちを抑え、ルーリアはうきうきと迷いに迷う。
……えぇっと、どれにしよう。
どれも美味しそうだ。好きに、と言われても、見たことのない果物ばかりで困る。
ルーリアは散々迷った挙げ句、全種類のタルトを小さくひと口大に切り分けてもらった。
皿の上で宝石のように輝くタルトを見ているだけで、うっとりとなる。
「あの、立食の時って、お祈りはどうしてるんですか?」
「そういえば……しないわね」
「考えたことがありませんでした。ルーリア様はどうされたいですか?」
「いつもしているから、お祈りはしたいですけど……」
……どうしよう?
手にはお菓子の載った皿がある。
一度テーブルに置いた方がいいんだろうか?
「我らが世界の神にして創造主、テイルアーク様に祈りと感謝を捧げ、今日この糧をいただきます」
ルーリアは悩んだ末、皿を両手で高く掲げた。
まるで何かの儀式のようなルーリアの姿に、みんなは一斉に吹き出す。
「あはははは! ルーリアちゃん、何やってんの?」
「おま……、酒を飲んでる時にそれは止めろ」
「ふふっ、姫様……」
「あははは。ルーリアちゃん、それはないわー」
「ルーリア様、それはちょっと……ふふふ」
……ええっ!?
真面目にお祈りをしただけなのに、そんなに笑われるなんて。
みんながあまりにも笑うから、ルーリアは耳まで真っ赤になった。頬を赤くしたまま涙目となり、八つ当たり気味にガインに詰め寄る。
「お父さんっ。これは恥じらいがないですか? わたしはまた間違えたんですか?」
目を潤ませてルーリアが見上げる。
こんなことで泣くと思っていなかったガインは、ぎょっとして慌てた。
「いや、ルーリア。それは違っ」
「ルーリアちゃん。恥じらいって、何かやったの?」
ガインの声に被せ、姉の顔をしたアーシェンが割り込む。
「さっきお父さんの前で服を脱いだら、恥じらいがないって言われて……」
「服を? 何で脱いだの?」
「裸になる必要があったんです」
「えっ! 裸!?」
全員の視線が一斉にガインに向けられた。
フェルドラルは口元を押さえ、ふるふると肩を震わせている。
「ちょっと待て、ルーリア。その言い方だと誤解が……」
「ふぅん。誤解ですか」
真顔になったアーシェンが、狼狽えるガインの前にずいっと立つ。
「娘を裸にして恥じらう姿を見て、何をしようとしたんですか、ガイン様? 詳しく聞かせていただけるんですよね?」
「ま、待て、アーシェン。違うんだ」
思わずガインは後ずさる。
「何が違うんですか? ルーリアちゃんをどうしようとしたんですか?」
「それは、その……魔術具を、だな」
「それって服を脱ぐ必要があったんですか?」
「いや、それは……」
目を据わらせたアーシェンの追求に、ガインは途切れ途切れの声で答える。その困りきった表情に満足したフェルドラルは、薄い笑みを浮かべアーシェンの前に立った。
「わたくしもその場にいましたが、ガインは姫様に魔術具を渡しただけですわ」
「……魔術具? それがどうして裸に?」
「直接肌に着ける物なのです。それを聞いた姫様が、ご自分でなさろうとその場で服を脱がれ、ガインから注意を受けられただけの話ですわ」
「そうなんですか?」
アーシェンは疑うように冷やかな目をガインに向けた。
「あ、ああ。そうだ」
「でしたら最初からそうおっしゃってください。ガイン様はまぎらわしいです」
「…………これ……俺が悪い、のか?」
アーシェンにツンとされ目を瞬くガインに、ユヒムだけが同情した。アーシェンも娘のようなものだから、強く出られないらしい。
ヤケ酒を呷るガインを背景に、ルーリアは自分の皿を眺め、目をきらきらとさせていた。
たくさんの色の、たくさんのタルト。
赤、黄緑、黄色、白、紫、ピンク、琥珀色、濃い茶色。見ているだけで、ため息がこぼれる。
これはもう、色違いの魔王と呼んでもいいだろう。前に食べた黄色い魔王はいないけど、これだけのタルトを前にすると自然と胸が高鳴った。
フォークに載せ、形を崩さないようにそっと口に運ぶ。ぱくっと口を閉じれば、みずみずしい果物の香りが広がった。
…………はぁぁ~~~……幸せ。
やっぱりタルトは、どの色でも魔王だった。
甘く優しい味が口の中いっぱいに広がっていく。
「どうだ、美味いか?」
幸せが溢れているルーリアの笑顔に目を細め、ガインは頭の上にポンと手を乗せた。
「はい。とっても」
「そうか。良かったな」
「お母様にも今度一緒に食べてもらいたいです」
「そうだな。俺も一緒に酒を飲みたいところだ」
ガインは苦笑いし、手にしていたグラスを傾けた。カラン、と氷の音が響く。
ガインも今は家で一人だ。
やっぱり寂しかったりするのだろうか。
賑やかに話す子供たちを見つめ、優しく目を細めるガインをルーリアは黙って見上げていた。
「さっきは済まない。助かった」
「貴方はもう少し、人を疑うことを覚えた方がいいですわ」
ルーリアの側に来たフェルドラルにガインが声をかけると、呆れた声が返される。
「ん? それはどういう意味だ?」
「フェルドラルはさっき、お父さんが困った顔をしているのを見て楽しんでいましたよ」
チョンチョンとガインをつつき、ルーリアが告げ口をする。困らせた原因は自分だけど、わざとではない。あれは事故だ。
「あぁ、そんなことか」
ガインは気にした様子もなくテーブルの上の酒を手に取り、それをフェルドラルに向けた。
「それは知っている。それでも俺が助かったのは事実だ。俺は取り繕うのが苦手だし、口下手だからな。助けてくれてありがとう」
「……貴方は……」
フェルドラルは何か言いたそうにしていたが、ガインからグラスを受け取り、遠くを見つめるように少しだけ目を細めた。