第68話・ささやかの意味
……ひ、ひどい目に合いました。
何がいけなかったのかよく分からないまま、ガインとフェルドラルから説教されてしまった。
二人が言うには、恥じらいというものが足りないらしい。恥ずかしいと思う気持ちと、人に見せてはいけない姿をかけ合わせたのが恥じらいだそうだけど、さっぱり意味が分からない。
恥ずかしい、は分かる。けど、人に見せてはいけない姿がよく分からない。人に見せたくない姿なら分かるけど。
二人から、裸は論外だと言われた。
下着姿のような薄着もダメらしい。
ガインは家族なのに。少し前までは平気だったのに。何が変わったというのだろう?
それにフェルドラルは弓だ。弓に見せてはいけない姿とは何なのだろう?
ガインから「人前では絶対に脱ぐな」と強く注意されたけど、さすがにルーリアも家族以外の前でそんなことをするつもりはない。それくらいは分かる。
だけど「俺の前でも恥じらいを持って欲しい」と言われたのがよく分からない。
だってエルシアからは「ガインに隠し事をしてはいけません」といつも言われているのだから。
ガインとエルシア。
どちらの言うことを聞けばいいのか。
ガインはずっと「エルシアから言われたことは、ちゃんと守るように」と言っていたのに。
……本当に訳が分からない。
そのガインは椅子に座って頭を抱えていた。
フェルドラルはそんなガインに「自業自得です」と、冷やかな言葉を投げつけている。
今までルーリアに何も教えてこなかったツケが回ってきたのだ。
ルーリアは説教の後、とりあえず魔術具を着けてもらい、朝と同じようにフェルドラルに服を着せてもらっていた。
糸のような魔術具は着けてもらっている時はくすぐったかったけど、身に着けて発動してしまえば無色透明となり、全く気にならない。
腕のつけ根、胸の下、脚のつけ根の三箇所に巻いてある。何が起こる、どんな魔術具なのか、見ただけではルーリアには分からないけど、フェルドラルがあとで教えてくれるそうだ。
それにしても、二人は何にあんなに慌てていたのだろう? と、ルーリアは首を傾げる。
今もこっちを見ながら、ガインたちはひそひそと小声で話をしている。そんな二人のものすごく驚いた顔を思い出し、ルーリアはクスッと笑った。
すると、そろってジロリと視線が飛んでくる。
「あれは全然、分かっていらっしゃらないお顔ですね。ガイン、これは手強いですよ」
「ああ。俺には無理そうだ」
「貴方が諦めてどうするのですか?」
「恥じらいなんて、どうやって教えるんだ? 俺はこういうのは苦手なんだ」
「そうやって逃げていると、姫様がエルシアのようになってしまわれますよ?」
「…………っ、それは、困る」
二人が何を話しているのかまでは分からないが、ルーリアにはその姿がとても仲が良さそうに見えた。
普段のガインは無口だ。本当は人が苦手なのでは? と、今でもたまに思う時がある。
だから、こうしてフェルドラルと打ち解けたように話をしている姿を見て、ルーリアは嬉しくなっていた。ついニコニコとしてしまう。
「…………笑っておられますよ」
「…………っ」
ルーリアが笑顔になるとそれとは逆に、ガインたちは真顔となっていった。
コンコン
そんなことをしていると、部屋の扉を軽く叩く音がした。
「ルーリア様、お待たせいたしました。注文していた品が届きましたので、皆様でお茶になさいませんか?」
タルトが届いたから、とフィゼーレがお茶の誘いに来てくれた。お菓子もいろいろ用意してくれたらしい。
「フィゼーレ、今回は急にルーリアが世話になることになって済まない。迷惑をかけると思うが……」
「いいえ、ガイン様。迷惑だなんて。やっとルーリア様にお会い出来て、私はとても嬉しいですわ」
ガインとフィゼーレは慣れた様子で話している。ユヒムが『たまに来ている』と言っていたから、すでによく知った仲なのだろう。
「ところで今、注文していた品が、とか言わなかったか?」
ガインがチラリとルーリアを見る。
「ええ。今朝、ルーリア様に欲しい物を教えていただきましたので、そちらをご用意いたしました」
「…………ほう」
ガインが大きな手で、ガシッとルーリアを捕らえた。疑うような目で、ジロリと見下ろしている。
「……お前、今度は何をした?」
「まだ何もしていません!」
いきなり疑うなんてひどい。
慌てて言い返すと、フィゼーレがくすくすと笑う。
「ルーリア様のお望みは、とてもお可愛いらしいのですよ。ガイン様にはお酒などもご用意いたしました。お茶というよりは、ささやかなお茶会のようになりましたが」
「……お茶、会?」
初めて耳にした言葉にルーリアが首を傾げると、フィゼーレが簡単に説明してくれた。
ダイアランの王族や貴族などの間で行われるお茶会は、庭園や大広間といった場所で大勢の人を招いて行われるものらしい。
贅を尽くした料理やお酒などが並び、軽く飲んだり食べたりしながら、政治的な駆け引きや取引をしたりするそうだ。いろいろマナーなどがあるそうで、聞いていて全然楽しそうじゃないのは何でだろう。
「ですから今回は、お茶会といっても招待状を出したりするような正式なものではありません。食べ物や飲み物を手にしながら楽しく話す、身内だけのお茶の時間だと思っていただければ大丈夫ですわ」
お茶とお菓子があって、お喋りして……。
「アーシェンさんが言っていた『おやつの時間』に似ていますね」
「……おやつの時間。そうですね、その方が合っているかも知れません。今回は立食にいたしましたが、お好きな物を自由に選んでいただいた後は、お席の方に移られても──」
「りっしょく?」
「立って食べるって意味よ、ルーリアちゃん」
噂をすれば何とやら。アーシェンがフィゼーレの後ろから、ひょこっと顔を出した。
「私もお呼ばれしたから来ちゃった。あら、ルーリアちゃん、服を着替えたのね。こっちの方が似合うじゃない」
「わたしが着ていても変じゃないですか? いつもの服みたいに動くと破いてしまいそうで、ちょっと怖くて」
「花の妖精みたいで、とても可愛いわよ。……ガイン様はいろいろと心配になるでしょうけど。それよりも下、すごいことになってたわよ」
「え? 下?」
アーシェンは下の階を指し示すように、床を指差した。
……すごいこと?
不安を感じたルーリアが目を向けると、フィゼーレはただ静かにふんわりと微笑んでいた。
それを見たガインは何かを感じ取ったようだ。
「フィゼーレ、あまりルーリアを甘やかさないように頼む。……あとが怖い」
「それを貴方が言いますか」
冷やかなフェルドラルの突っ込みに、アーシェンも心の中で頷く。
「大丈夫ですわ、ガイン様。ルーリア様は控えめな方ですから」
「それならいいが……」
そんなに信用されていないなんて。
ガインのまだ疑っているような目に、ルーリアは悲しくなった。
「お嬢様、準備が整いました」
「分かりました。それでは皆様、参りましょう」
フィゼーレに案内され、ルーリアたちはみんなで一階へと下りる。
案内された部屋の前にはユヒムが立っていて、それに気付いたフィゼーレは兄を労うように柔らかい微笑みを向けた。
「仕事にひと区切りついたから、オレもお邪魔するよ」
「兄さん、長い時間お疲れさまでした」
「毎回だけど、商人たちを追い返すのもひと苦労だよ」
ため息混じりに呟くユヒムは、ガインに会いに来た者たちの相手を今までしていたらしい。
「任せてしまって済まないな」
「いえ、これがオレの仕事ですから」
全員そろったところで、ホッとしたような和やかな空気が流れた。が、それはほんの束の間。
「────!?」
案内された部屋に入った直後、ルーリアはピシッと石のように固まった。
綺麗に整えられた部屋の、テーブルの上。
そこに並んでいたのは、色とりどりのタルト、タルト、タルト、タルト、タルト。
他のお菓子や飲み物も並んでいるが、タルトの占める割合が圧倒的すぎて、おかしなことになっていた。
例えるなら、テーブル一面タルトの花畑だ。
──ふぁッ!? ななな、なにこれッ!?
ざっくりと見ただけでも、大きなタルトが種類にして10以上、ズラッと並んでいる。
小さなタルトに至っては数え切れないほどだ。
ちなみにルーリアがアーシェンからお土産にもらったのは、小さい方のタルトである。
大きなタルトはルーリアの顔より大きかった。
……さ、ささやか!?
これのいったい、どこが!? と、思わず叫びたくなった。
自分がささやかという言葉を間違って覚えているのか、それともフィゼーレにはこれがささやかなのか。そもそも何で冬なのに、こんなに果物があるのか。あってもせいぜい2、3種類くらいだと思っていたのに。
ルーリアは顔色を失くし、振り返った。
恐ろしいことに、フィゼーレは柔らかい微笑みを浮かべたままだ。
あの時の、そろう全ての種類を持ってきてもらうという意味が、まさかこんなことになるだなんて!
「フィ、フィゼーレさんっ。こ、これは──!?」
ルーリアは震える手でテーブルの上を指差した。声まで震えてしまい、変に裏返っている。
「申し訳ございません、ルーリア様。お気に入りのタルトは、やはり季節が過ぎてしまったようで、今回はご用意できませんでした。ご満足いただけないとは思いますが──」
──いやいやいやいやいや!
心の中で全力で突っ込み、ルーリアはチラッとタルトの列に目をやった。
ツツー……と、嫌な汗が流れていく。
いやああぁぁ──!!
ダッシュして逃げようとした瞬間。
ガシッ! と、ルーリアは頭を掴まれた。
何に掴まれたかなんて見なくても分かる。
「…………ルーリア?」
「ひぁ、ひゃいっ!!」
もう返事もろくに出来なかった。
ガインに頭を鷲掴みされているルーリアの横で、タルトを見たアーシェンが嬉しそうな声を上げる。
「わぁっ、これ新作でしょ? お店に行ってもいつも売り切れだったのに。よくホールごと手に入ったわね」
「ふふ、実はセルトタージュのオーナーのお嬢様とは顔見知りなのです」
なんと、フィゼーレはタルト専門店のオーナーの娘と直接交渉して、特別にこれだけのタルトをそろえてもらったのだという。
「なんて言って頼んだの?」
「支店1店舗分、お願いしますねって」
しかも、まさかの全買いだった。
今後、フィゼーレに買い物を頼むのだけは止めよう。ルーリアは心の中で、強くそう思ったのだった。