第67話・ないと困ることになる
「あ、あの……フィゼーレさん?」
タルトが欲しいというルーリアの望みを叶えようと、真剣に考えてくれているのはひしひしと伝わってきたけど、それがちょっとおかしかった。
フィゼーレは小さなことでも全力を尽くそうとする性格なのかも知れない。
「残念ながら、ルーリア様の召し上がったタルトは夏から秋までの限定商品だったのです。セルトタージュは旬の果物が自慢のお店ですので、その時期から外れてしまうと次の年まで待たないといけないのです」
「……旬」
そうだった。果物は季節に限りがある。
それなのに、よく確かめもしないで、なんて無茶なお願いをしてしまったのだろう。
「あの、朝は他の物がすぐに思い浮かばなかっただけなので、別にタルトじゃなくても……」
「ルーリア様、その辺りは抜かりございませんわ。タルト自体はございます。ルーリア様のお気に入りがなくとも、そろう全ての種類を持ってきていただくよう手配してありますので」
「あ、そ、そうですか」
その言葉に少しだけ安堵する。
何となくだけど、フィゼーレは責任感がとても強く、どうにか要望に応えようと無理をしてしまいそうな感じがしたから。
冬に入ったこの季節では、旬と呼べる果物なんてほとんどないだろう。それでも自分を喜ばせようとするフィゼーレの心遣いがルーリアは嬉しかった。
「フィゼーレさん、いろいろとありがとうございます。タルト、楽しみにしていますね」
「はい、お任せください。午後のお茶の時間には間に合うと思いますので。それまではルーリア様のお部屋で身の周りの品の確認をお願いしたいのですが、宜しいでしょうか?」
「わたしは大丈夫です。よろしくお願いします」
それからルーリアとフィゼーレとフェルドラルの三人は、ルーリアが眠っていた三階の部屋へと移動した。
この屋敷に滞在する間、ここがルーリアの部屋となるらしい。
一階からこの部屋までどうやって来たのか、ルーリアはすでに分からなくなっていた。
フェルドラルに出来て自分に出来ないのは悔しいが、一人で迷わずにこの部屋まで戻ってくるのは無理だと思う。
……屋敷の中が迷路すぎる。
フィゼーレは様々な日用品や服などをベッドの上に広げ、楽しそうに説明をしていく。
そのほとんどが初めて見る物ばかりで、ルーリアは名前を覚えるだけで頭がいっぱいになった。
それにしても少しの滞在予定なのに、こんなにたくさん必要なのだろうか?
自分の所持品と見比べてみる。
カゴ(蜂蜜の瓶とスプーン)、腰の小さなカバン、髪紐と変身の腕輪、服と靴。それだけだ。
これは少ないのだろうか?
ここでの生活に慣れてしまったら、元の生活に戻った時、自分はどうなってしまうのだろう?
ルーリアは少しだけ不安になった。
そうしている内に、お昼となる。
フィゼーレから昼食に誘われたが、今は食事よりも魔虫の蜂蜜の方が欲しかったから断った。
何となくだけど、このダイアグラムという街は森の中にいる時より魔力の回復が遅い気がする。
それに、もし一緒に食事をして肉料理を出されてしまったら、きっと平気な顔ではいられない。みんながどんな物を食べているか確認するまでは、一緒に食事はしない方がいいような気がした。
……お肉。
料理した物くらいは、せめて見ても平気でいられるようにしたい。
コンコン
部屋のテーブルでフェルドラルと向かい合って蜂蜜を食べていると、扉を軽く叩く音が聞こえてきた。
「誰でしょう?」
「さぁ?」
フェルドラルが出ると、そこに立っていたのはガインだった。
「お父さん、お話はもう終わったんですか?」
「ああ。……なんか、すごい部屋だな」
中に入ったガインは、ぐるっと部屋を見回す。
「わたしは自分の部屋の方が落ち着きます」
ガインは物珍しそうにフィゼーレが用意した女の子らしい部屋を眺めていたが、ルーリアはそのガインをじっと見ていた。
さっきはゆっくり見る時間もなかったが、ガインも今日はいつもと服装が違う。
国王の使者と会ったからだろうか。
この前、オルド村で会った時はいつもの楽な服装だったのに、今日のガインはユヒムが着るような恰好をしている。
休日の領主スタイルとでも言えばいいのか。
上質な布地のシャツにズボン、革製の上着に、腰には宝玉の飾り紐が付いた見目の良い装いだ。
服を替えて髪を後ろに流しただけなのに、大人の貫禄と色気が増していた。
「お父さんも今日はいつもと服が違うから、なんかちょっと緊張します」
「そうか?」
「はい。その……素敵です」
慣れない会話に父娘で照れていると、フェルドラルから「何しに来たんですか?」と、冷やかな視線がガインに飛んだ。
「今日はこれを届けに来たんだ。こっちがここに来た目的だったのに、ひどく時間を取られてしまった」
少し疲れた顔でため息をついたガインは、魔虫の蜂蜜の瓶をいくつかと、一つの装飾品をルーリアに手渡した。
「これは?」
「エルシアからだ。お守りだと言っていた。何でも先代の勇者からもらった物らしい」
「先代の勇者様から? お母様は先代の勇者様ともお知り合いだったのですか?」
ルーリアはきらきらと目を輝かせたが、ガインはわずかに視線を伏せた。
「……昔の話だ。俺たちは一度だけ、一緒に戦ったことがあったんだ」
「お父さんも一緒にですか? すごいです!」
まさか自分の両親が勇者と共に戦ったことがあるなんて……!
家にある本を読み、勇者の冒険物語に憧れを抱いていたルーリアは、さらに目を輝かせてガインを見上げた。
ガインは苦笑いを浮かべて前に屈み、先代勇者のお守りを掴むと、それをルーリアの左の手首に着けた。
「これは魔力はいらないそうだ。いざという時、お前を守ってくれるはずだ。ちゃんと着けておくんだぞ」
「はい。分かりました」
ルーリアの頭をひと撫でし、ガインはフェルドラルへ視線を移す。
「世話をかけて済まない」
「姫様をお守りするのは当然ですわ」
「……そうか、ありがとう」
交わす言葉は短いけど、フェルドラルからガインを嫌っている様子は感じられず、ルーリアはそっと胸を撫で下ろした。
「それから……」
そう言ってガインはもう一つ、不思議な魔術具を取り出す。見ただけでは魔術具だと分からない、細い糸のような物だ。
「これは?」
「これもエルシアから……なん、だが……」
都合の悪い何かに気付いたように、ガインの声は小さく途切れる。その後も何かを言いかけては、ガインはその顔色を悪くした。
糸のような魔術具を前にして、どうしようか悩んでいる時の顔になっている。
いったい、どうしたというのだろう?
「お父さん、これは何ですか?」
「それ、は……身に着ける魔術具、なんだが……」
そこまで言って、ガインは言葉に詰まった。
「どう着けるんですか?」
「………………」
ガインの目は完全に逃げている。
変な汗を掻き、ぐぐっと口を結んでいた。
「あの、お父さん?」
「ああ、これは──」
この魔術具が何か知っている口ぶりで、フェルドラルが覗き込む。
「エルシアが身体に巻いているアレですか」
「ッ! 知っているのか!?」
ガインは瞬時に『助かった』と顔に出す。
しかし、そんなガインを見たフェルドラルはニヤリと唇の端を上げた。
「んふ。ガインが姫様に着けて差し上げれば良いではありませんか。……エルシアのように」
「なッ!?」
ガインは信じられないものを見るように、フェルドラルに向けた目を見開く。その顔は、なぜか赤くなっていた。
「な、なぜ……それを……!?」
「貴方は馬鹿ですか? わたくしがいつからあの家にいたと思っているのです?」
今度は『しまった!』と、絵に描いたような顔をして、ガインは膝から崩れ落ちた。
二人が何のやり取りをしているのか分からないが、何かでガインがフェルドラルに負けたような雰囲気だけは伝わってくる。
「この魔術具を着ける話ですよね? わたしはどうせなら、フェルドラルよりお父さんに着けてもらいたいですけど」
ガインを応援しようと思い、ルーリアは魔術具を手に取ったが、なぜか追い打ちをかけたような顔をされた。
「んふ。ほら、貴方の愛する娘もこうおっしゃってますよ?」
「…………く、っ」
ガインは変な汗をダラダラと流し、フェルドラルは勝ち誇ったような顔をしている。
ルーリアには全く状況が掴めなかった。
「んふ。『根性なしの自分には出来ません、お願いします』と貴方が言うのでしたら、わたくしが喜んで姫様に着けて差し上げますわ」
ルーリアはその言葉を聞いてムッとした。
ガインが根性なしな訳がない。
何か理由があって出来ないのなら、自分が代わりにすればいい。
「お父さんが出来ないのでしたら、わたしが自分でやります。お父さんは見ていて、どうすればいいのか言ってくれれば──」
自分にだって、やれば出来るはず。
ルーリアはガインの前に立った。
「いや、そう、じゃなくてだな」
「姫様、その魔術具は服を脱がないことには何も出来ないのですよ。それは肌に直接着ける物なのですから」
ガインを十分に困らせて満足したフェルドラルは、ルーリアにネタばらしをすることにした、のだが。
バサッ、バッ、ババッ、……ポイッ
ルーリアは服を脱ぎ捨てた。全部。
「あとはどうするんですか?」
二人に向かって手を広げ、首を傾げる。
「────」
瞬間。息をピッタリ合わせたガインとフェルドラルはベッドから掛け布を剥ぎ取り、目にも止まらぬ速さでルーリアをグルグル巻きにした。
──!?
「えっ、な、なんで? 魔術具は?」
その後、ルーリアは二人から『恥じらい』という言葉について、小1時間ほど説教されたのだった。