第66話・高難易度な設定
「人族は話好きな人が多いし、この世界は何でも有りな所だから。どんな噂でも割とすんなり受け入れられたんだと思うよ」
「……それって、わたしはどんな風に噂されているんですか?」
顔を強ばらせるルーリアに、ユヒムは脅かすような顔をする。
「……決して人前に姿を見せない、謎多き魔虫の蜂蜜屋の一人娘。その正体は……」
ルーリアはこくりと息を呑む。
「ある時は、魔女に呪いを掛けられた憐れな少女。またある時は、姿を見た者を石に変えてしまう恐ろしい少女。暗い森を彷徨う不死身の少女。人の生き血を啜り、若さを保つ少女。……などなど、お好きな話をどうぞ」
「……!?」
何てことだ。全部、怖い話だった。
自分はさっき、そんな目で見られていたのだろうか。
「人族は臆病な生き物だからね。自分の目で確かめられないものには、怖い想像をつけちゃうことが多いんだよ。でも今日、こうしてルーリアちゃんが姿を見せたことで、そんな馬鹿げた噂は一気に吹き飛ぶと思うよ」
「そうなんですか?」
ルーリアは少しだけ安心した。
実物を見れば、噂が嘘だと分かってもらえるということだろうか。あんな変な話を信じられては困る。自分たちはただ、真面目に美味しい蜂蜜を作っているだけなのだから。
ルーリアがそう思っている横で、ユヒムは重いため息を一つ落とした。
「……でも逆に、これからガイン様が抱えるであろう問題の方が、オレにとっては胃が痛くなる話だよ」
と、なぜか国王の使者の話の時よりもユヒムは困った顔をする。
「お父さんが抱える問題って何ですか?」
「……オレが言ったってことは、ガイン様に内緒にしてくれるかい?」
ユヒムは周りを見回し、今まで以上に声を潜めた。
「はい、約束します」
「ルーリアちゃんをウチの嫁に、って話さ」
「…………え。…………嫁?」
ユヒムが何を言っているのか分からなくて、ルーリアは頭の中が真っ白になった。
「考えてもご覧よ。国王も一目置く魔虫の蜂蜜屋の秘蔵の一人娘だよ。金はある、人脈もある、人助けの信頼も実績もある。とどめが、その美しい容姿だ。商人だったら飛びつかない訳がないよ」
………………。
当然のように話すユヒムの声に、ルーリアは返す言葉が何も思い浮かばなかった。
「姫様」
そう呼ばれてハッと顔を上げると、しばらく姿を見せていなかったフェルドラルが側に来ていた。
ルーリアの顔色があまり良くないのを見て取り、フェルドラルはユヒムを睨みつける。
「姫様に何をしたのですか?」
「え、いや、オレは……」
今にもユヒムに攻撃を仕掛けそうなフェルドラルの気配を感じ、その服を掴んで止めたルーリアはかすかに声を震わせた。
「……ちょっと人が多くて疲れただけです。大丈夫ですから、安心してください」
まだ頭の中は混乱したままだった。
フェルドラルは感情の無いような冷たい目をユヒムに向ける。
「フィゼーレが戻ってきたので姫様をお連れします。ガインにそう伝えておくように」
ルーリアの背に手を回すと、フェルドラルはユヒムの返事を待たずに部屋の外へと連れ出した。
「姫様、何があったのですか?」
心配そうに顔を覗き込むフェルドラルに、ルーリアは戸惑いながらもかすれた声を返した。
「……話をしていて、ちょっと驚いただけです」
「何か心配事でも?」
「商人の人たちに会ったことで、わたしの行き先が変わってしまうかも知れないって、そう思って」
少し迷ってからポツポツと話し出したルーリアを見つめ、フェルドラルは首を傾げる。
「姫様の行き先、ですか?」
「…………その、嫁に、って……」
すぐさま勢いよく振り返るフェルドラルが目に映った。慌てて手を掴んで、それを止める。
「姫様、お離しください。あの男を少しばかり刻んで参ります!」
「待ってください。ユヒムさん自身がその話を持ち出している訳ではありません」
「姫様にそのような話をお聞かせすること自体、わたくしは許せません」
フェルドラルは怒りが収まらない、といった鋭い目付きとなった。ルーリアは困った顔を返すことしか出来ない。
「ユヒムさんは今回わたしが姿を見せたことで、そういった話が出るかも知れないと教えてくれただけです。具体的な話が出ているとは言っていませんでした。だから落ち着いてください」
「……これだから男は嫌いなのです」
フェルドラルは不満顔をしながらも、ユヒムの所へ行くのを諦めてくれた。
心配して怒ってくれるのは嬉しいが、人に対して刻むとか簡単に口にされると不安になる。
どこまでが本気で、どこからが冗談なのか。
何かあったら怖いから、ルーリアはしっかりとフェルドラルと手を繋いだ。
「姫様は可愛いのですから、そういった話が出るのは当然です。ですが、それをわざわざ伝えてきたあの男の行動に、わたくしは怒っているのです」
「フェルドラルもよく似たようなことを言っているじゃないですか」
「似ているようでも全然違いますわ。現に姫様は、あの男の言葉で不安になられて落ち込んでいらっしゃるではないですか」
ユヒムと一緒にされるのは心外だ、とフェルドラルは抗議する。
「……そういえば、そうですね」
どうして自分はユヒムの言葉で落ち込んだのだろう? 身近な人に言われて現実味があったからだろうか。
「姫様、あの男に何を言われようとも、落ち込まれる必要はございません。そういった話が出るのは事実でしょう。ですが何も心配することはございませんわ」
「どうしてそう言い切れるのですか?」
自信たっぷりのフェルドラルは不敵な笑みを浮かべる。
「ガインが、許しません。もちろん、わたくしも許しませんが。わたくしたち二人を倒せないようでは、姫様に辿り着くことは不可能ですわ」
「…………あ……」
そんな設定は初めて聞いたけど、これは信用できる。特にガインが前に立って守ってくれる姿は、すぐに頭に浮かんだ。
「それなら、わたしは二人の後ろに隠れていてもいいんですか?」
「もちろんです」
「それはとても心強いですね」
「当然ですわ」
ふふっ、とルーリアが笑うと、フェルドラルは繋いでいた手をギュッと握り返して歩き出した。
「では、姫様。安心されたのでしたら、フィゼーレの所へ参りましょう。姫様の望まれた品がどのようになったか、詳しく話を聞きませんと」
「はい」
ルーリアの心は、いつの間にか軽くなっていた。フェルドラルは武器なのに。本当に不思議な存在だと、ルーリアは改めて思った。
「こちらですわ」
フェルドラルに連れられ、フィゼーレがいるという部屋の前に来た。
この広い屋敷の中を、よく迷わずに歩けるものだと感心する。ルーリアには、どこも似たような景色に見えてしまう。
中に入ると、フィゼーレが使用人や従業員に、あれこれと指示を出しているところだった。
その様子は敏腕の経営者といった感じだ。
ルーリアたちに気付くとフィゼーレは仕事の手を止め、窓辺にあるゆったりとした席に案内してくれた。
一つの広い部屋の中で、執務する場所と応接する場所を使い分けているようだ。
ここがフィゼーレの仕事場なのだろう。
席に着くと、すぐに紅茶が運ばれてきた。
「わぁっ、花のような良い香り」
「昔から付き合いのある紅茶専門店の新作ですわ」
ひと口飲んで息をつくと、フィゼーレはさっそく本題に入った。
「アーシェンさんに確認して参りました。ルーリア様が前にお召し上がりになったタルトは、ダイアランに7店舗あるタルト専門店、セルトタージュの本店の品でした」
「えぇっ!? な、7店舗!?」
ルーリアは耳を疑った。
「どうして同じお店が7つもあるんですか?」
「えっ、と、セルトタージュは人気がありますから、支店がそのくらいあっても何の不思議もないと思うのですが」
ルーリアからの質問にフィゼーレは軽く眉を下げて微笑んだ。たぶん商人なら疑問にも思わないようなことなのだろう。でも知らないから、この際だと思って尋ねることにする。
「あの、支店って何ですか?」
「支店は元となるお店とは別の場所で、同じ看板を掲げて営業するお店のことですわ。その場合、元となったお店のことを本店と呼びます。もしルーリア様が他の場所に蜂蜜屋を作られましたら、そのお店を支店、ご自宅の方を本店と呼ぶようになります」
お店を増やしたら。
なるほど、ウチでは無理そうだ。
「それで7店舗も。それだけダイアランが広い国だということなんですね」
「確かに世界で2番目と広い国ではありますが、セルトタージュは7店舗の内、6店舗がダイアグラムにあるのです」
「えっ!?」
国全体にではなく、一つの街に6店舗も?
「そんなことをしたら、それぞれのお店で商品が売れ残ってしまうのではないですか?」
「いいえ、大丈夫ですわ。……ルーリア様はまだダイアグラムの街をご覧になられていらっしゃらないのですね。街の様子をご覧になれば、支店の意味が自然とご理解いただけると思いますわ」
ふんわりと微笑んでいたフィゼーレは、「ですが」と、少しだけ声と表情を硬くする。
「もしかするとルーリア様のお望みのタルトは、今回手に入らないかも知れません」
「……えっ」
とてもお菓子の話をしているとは思えないフィゼーレの真剣な表情に、どう返したらいいのかルーリアは戸惑った。