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第61話・ダイアランへ


 ダイアランにあるユヒムの家に行く。

 知っている人の家を訪ねる。


 心の中で何度繰り返してみても、ルーリアには実感が湧かなかった。

 あれほど望んでいたことなのに、わくわくするよりも戸惑う気持ちの方が大きい。

 この話は、ルーリアがオルド村で眠っている間に決まっていたようだった。


「今、この辺りは流行り病と魔物の出没のせいで人通りが増えていてね。そんな時にルーリアちゃんの家……人がほとんど住んでいない北の地域へ向かうのは、どこへ行くのか怪しまれて危険だと判断したんだ」


 迷いの森の近くをうろうろして、魔虫の蜂蜜屋の所在を勘付かれる訳にはいかない。

 普段は物好きな冒険者くらいしか通らないような場所だが、今は魔物の討伐隊や薬を売る商人などが頻繁に行き来しているらしい。


「だから北ではなく、逆に人の多い南に向かった方が安全だと思ってね。ガイン様から連絡があるまでは、ルーリアちゃんにはオレの家で過ごしてもらおうって話になったんだよ」

「……お父さんはどうするんですか?」


 ルーリアはガインとユヒムを交互に見つめ、不安そうな顔で尋ねた。


「ルーリアに付いて行く、と言いたいところだが、俺は家に戻ってやらなければならないことがある。……一人でも平気か?」


 ユヒムたちがいるのだから一人ではないだろう、そう聞こえてきそうな目をガインに向け、フェルドラルはため息をつく。


「どうしようもない親馬鹿ですわね。姫様には、わたくしが付いているのです。大丈夫に決まっていますわ」

「えっ。フェルドラルが付いてくるんですか?」


 自信たっぷりのフェルドラルには悪いけど、ルーリアは急に不安が増した。


「当然です。この男にも任せると言われています」

「お父さんを『この男』と言うのは止めてください」


 ムッとしてルーリアが睨むと、透かさずガインが間に入った。


「俺のことはガインでいい」

「分かりました。ガインに姫様のことは任せると言われています。わたくしは付いて行きますわ」

「えぇ……」


 どうやらこれは決定事項らしい。

 そういえば、フェルドラルはお供だった。


「ルーリアちゃんは初めて外に出たんですもの。分からないことだらけで不安でしょうけど、ユヒムの家にはギーゼさんもいるから大丈夫よ」


 知っている名前が出てきて少しだけホッとする。けれど、ルーリアがギーゼと最後に会ったのは数年前だ。元気なのだろうか。


「それに、私の家はユヒムの家の隣なの。ユヒムの家が嫌だったら、私の所へ来ればいいわ」


 少しでもルーリアを安心させようとアーシェンが言葉を重ねると、それを聞いたユヒムの片眉が反論するようにピクッと動いた。


「アーシェンの家にはイルギスがいるじゃないか。ウチならずっとフィゼーレがいるから、女の子同士で話もしやすいと思うよ」


 イルギスはアーシェンの2つ下の弟だ。

 確かに初対面の男の子よりは女の子の方が話しやすいと思う。


「それに、フィゼーレは甘い物が好きだから、ルーリアちゃんとも合うはずだ。もちろん、お菓子もたくさん用意するだろうし──」

「ユヒムさんの家に行きます!」


 即答だった。

 お菓子の前には不安も吹き飛ぶ。

 甘い物に釣られたルーリアにユヒムとアーシェンは顔を見合わせ、ぷっと吹き出した。


「決まりだね」

「そうね、フィゼーレなら安心ね」


 ユヒムたちの視線を受け、ガインも頷く。


「ルーリア、ちゃんと二人の言うことを聞くように。くれぐれも無茶はするなよ」

「はい、分かりました」


 転移の魔術具を起動させ、ガインは魔法陣の上に立つ。ユヒムたちに「娘を頼む」と言い残し、光に包まれるように姿を消した。

 ガインのいた場所をしばらく見つめた後、ルーリアはユヒムとアーシェンに向き直る。


「これからしばらくの間、お世話になります。分からないことの方が多いですが、よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしく。ルーリアちゃん」

「何も心配しなくて大丈夫よ」


 二人は大きく頷き、優しく微笑んだ。

 ここから先は、全てがルーリアにとって未知の領域だ。家の周りの景色とは違い、この辺りには大きな山や丘はなかった。


「ダイアランへは、どうやって行くんですか?」


 周囲を見回すルーリアに、ユヒムは簡単にこれからの行程を説明する。


 現在地はミリクイードの国土の中心から、まっすぐ東に来た場所で、ダイアランとの国境に近い位置となる。

 ユヒムとアーシェンの家はダイアランの首都ダイアグラムにあり、ここからだと東南の方角である。

 ミリクイードとダイアランは友好国で互いの首都を繋ぐ街道が整備されており、馬や馬車での移動が可能となっている。


 今回はルーリアがいるため、ユヒムたちも魔術具による転移が出来ない。

 フェルドラルによる移動も誰の目につくか分からないため、危険と判断された。

 出来れば二度と経験したくない鹿酔いが回避され、ルーリアはホッと胸を撫で下ろしている。

 結局は、物理的な移動手段しか選べないとのことだった。


「わたしが軽はずみなことをしてしまうと、どれだけ周りの人に迷惑をかけてしまうのか、今回のことでよく分かりました。……本当にごめんなさい」


 そう言って謝まると、二人は「気にしないで」と、逆に励ましてくれた。フェルドラルも慰めてくれているのか、ずっと後ろから抱きついている。


「姫様は姫様に出来ることを選ばれただけです。後から付いてくる細かいことなど、周りに放り投げてしまえば宜しいのですわ」

「フェルドラル、それはさすがに……」


 無責任というか、神経が図太すぎるというか。


「人は心底嫌なことには従いませんし、手を貸すこともございません。この者たちは姫様の助けとなることを望んでいるのです。ですから、もっと仕事を増やしてやれば宜しいのですわ」

「なに言ってるんですか。これ以上、迷惑をかける訳にはいきませんよ」

「いいえ、姫様はお分かりになっていらっしゃらない。姫様のお側でお役に立てることは、それだけで十分ご褒美でございます」

「……それはフェルドラルだけです」


 そんなことを言われたら、軽く引く。

 フェルドラルに任せていたら余計な厄介事を持ち込んできそうだ。


「あの、フェルドラルさんはルーリアちゃんの従者ということでいいのかしら?」

「従者ではありません。姫様とわたくしは一心同体なのです」


 ……えぇ?


 武器と一体だと言われても困る。


「アーシェンさん、フェルドラルの言うことはまともに聞かなくていいですよ」

「わたくしは姫様を他の誰よりも近い場所で見守りたいのです。姫様のお側でお仕えし、時には支え、そして愛でることこそが、わたくしの役目なのです。それを邪魔するものは全てわたくしの敵ですわ」

「…………そ、そうですか」


 思った通りだけど、すでにアーシェンのフェルドラルを見る目が痛かった。


 そんな微妙な空気の中、ユヒムが言うには、今からダイアランに繋がる大きな街道へと出るらしい。その街道沿いにある『馬屋』と呼ばれる場所に寄り、馬車などを借りて移動するそうだ。


「じゃあ、ルーリアちゃんは自分とフェルドラルさんに姿を消す魔法を掛けてもらってもいいかな?」

「分かりました」


 街道に出ると一気に人目が増えるため、その前に補助魔法を使うよう、ユヒムから助言があった。


外形隠遁(ルジオラ・フィルグ)


 ルーリアたちの姿が消えると、なぜかユヒムは決まりの悪い顔となる。


「しまった。これ、オレたちも見えなくなるんだね」

「それはそうよ」


 アーシェンが呆れた顔でユヒムを見る。

 ユヒムはパーティ全体に有効な魔法だと思っていたらしい。ルーリアたちが見えなくなった二人は、見当違いな所を見ている。

 ついイタズラしたくなるが、これからお世話になるので止めておいた。


視覚共通(ニシュアラ・リュート)


 これなら、と二人に自分と同じものが見えるようになる魔法を掛けてみる。


「どうですか? ちゃんと見えますか?」

「あ、うん。見えるよ。すごいね、こんな魔法もあるんだ」

「! ユヒム、上を見て!」


 空を見上げて目を見開き、なぜかアーシェンが固まっている。同じように顔を上げたユヒムも目を見張って息を呑んだ。


「……?」


 二人が見つめる空に目を向けても、何に驚いているのかルーリアには全く分からない。


「ルーリアちゃん、これは、何の魔法なの?」


 怖いくらい真剣な顔で尋ねてくるアーシェンに、ルーリアはたじろいだ。


「これは、わたしと同じものが見えるようになる魔法です」

「これがルーリアちゃんの普段見ているものなの?」

「……な、何か変ですか?」


 硬い声で問われ、思わず固唾を呑む。

 そこまで驚かれる理由が思いつかないルーリアは不安になった。


「えぇ、っと。なんて言えばいいのかしら。私たち、人族とエルフの目が違うのか、それともルーリアちゃんだけが違うのか分からないんだけど。ルーリアちゃんが見ているものと、私たちが普段見ているものは少しだけ違うみたいなの」

「えっ、違うものが見えているんですか?」


 人族とエルフの目の違い?

 そんなこと、考えたこともなかった。


「人族は普通、風を見ることは出来ないわ。風だけじゃなく、自然の中にあるいろんなものが見えていないことが多いのよ」

「風が見えない? 水は見えているんですよね?」

「んー。説明が難しいなぁ」


 聞けば人族は六属性の中で、なぜか風だけが見えないそうだ。風に触れることは出来ても、掴むことは出来ないらしい。自分が当たり前に出来ていたから、それを他の人が出来ないなんて想像したこともなかった。


「これは深く考えても仕方ないね。それより今は、ルーリアちゃんをダイアランまで無事に連れて行くことの方が大事だよ」

「そうね、まだ目は慣れないけど。ひとまず街道に出て、馬車を借りましょう」

「馬に乗るだけなのに交渉が必要とは、人族は相変わらず不便ですね」


 フェルドラルが小言のように呟くと、アーシェンはその側に寄り、耳元で何かを囁いた。

 すると、たちまちフェルドラルは上機嫌となり、ルーリアの背後から肩に両手を乗せる。


「人族もやれば出来るではありませんか。見直しました。姫様、その馬車とやらに早く参りましょう」


 …………な、何事??


 手の平を返したようなフェルドラルの笑顔に、ルーリアはアーシェンの商人としての手腕を垣間見たような気がした。


 ……何を言ったのか不安しかないですけど。



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