第59話・広がる毒
クレイドルが妖精と火蜥蜴の二つの姿で活動するようになり、1年が過ぎた頃。
「大変だ! 魔鳥のヤツらがマルクトに毒を撒きやがった!」
そんな一報が私兵団の元へ届けられた。
「毒!? 水場を襲われたのか?」
誰もが飲み水──井戸や川などに毒を混ぜられたのだと想像した。
しかし、次いで知らされた現実は、それよりもっと最悪な状況だった。
「水場なんて、そんな小さな話じゃねえ!『生きた毒』が領地にバラ撒かれたんだ!」
「──!!」
生きた毒。
それは、魔鳥たちの領地であるフェアロフローに昔から生息する地属性の魔物、リンチペックのことを指していた。
見た目は、小さな土の粒。
だがその性質は極めて凶悪で、先代の魔王からはフェアロフローの領主が厳重に管理するよう直接言い渡されていたほどだった。
物理攻撃も魔法攻撃もほとんど効かず、あらゆる生物を餌として無限に増殖する。
そして、水に触れると毒を出す。
その毒に触れると植物は枯れ果て、食物連鎖を根本から破壊してしまう。
やがて土地そのものから全ての生物が消え失せ、土の魔物であるリンチペックだけが残るという、恐ろしい性質を持つ魔物だ。
代々フェアロフローの領主だけが、その制御の方法を知るという。そんな魔物が故郷に撒かれたとの連絡を受け、私兵団は騒然となった。
今のマルクトには、どうにか生き延びた者たちが隠れ住んでいる。余所の土地に逃げていた者たちも、少しずつ故郷に戻ってきていると報告があったばかりだった。
「どうして今頃になって……」
「まさか、ここのことがバレたのか!?」
様々な声が上がる中、報告に訪れた者は言い辛そうに口を開いた。
「……それが、毒を撒いた魔鳥たちは、今も逃げ隠れているクレイドルを炙り出すためにやったのだと……」
それを耳にしたクレイドルは、自分たち兄妹のせいでマルクトが襲われたと聞いた時よりも大きな衝撃を受けた。
魔鳥の女王エミルファントは、まだクレイドルを諦めてはいなかったのだ。
すぐに二つのことが頭をよぎる。
一つは『やっぱり』と思われることだった。
やっぱりクレイドルたち兄妹のせいで、故郷が魔鳥たちに攻められたのではないか、と。
今までのことも含め、全ての元凶は兄妹にあったのだと、そう思われると考えた。
もう一つは、リンチペックへの対処だ。
エミルファントにしか広がる毒を止められないのであれば、今度こそハロルドもクレイドルを庇い切れないだろう。
クレイドル一人とマルクト全土。
どちらを取るべきかなど考えるまでもない。
自分たちでクレイドルを捕らえ、エミルファントに差し出す。そうすることで、毒の侵食を止めてもらえるように取引をする。
もし私兵団の中でそう結論が出たならば、クレイドルは自ら名乗り出ようと覚悟を決めていた。
自分の個人的な目標はエミルファントへの復讐と妹の奪還であるが、私兵団の目標である故郷を取り戻すことは、クレイドルにとっても一番に目指すところだ。
最終的にハロルドたちが勝てばいい。
しかしクレイドルの予想に反し、そんな声はどこからも上がらなかった。エミルファントが敵対する相手との交渉を全く受けつけない人物だと、大人たちはみんな知っていたからだ。
強欲の略奪者。それがエミルファントだった。
逆らう者は皆殺し。命乞いも意味はない。
そもそも話が通じるような相手であれば、マルクトの大半が焼け野原となることもなかった。
つまり、リンチペックをどうにかしたければ、自分たちで対処方法を考えるしかない。
そうして良い解決策も見つからないまま、マルクトに隠れ住んでいた者たちは、音もなく這い寄る毒に生活の場を奪われていった。
◇◇◇◇
残酷に月日は流れる。
リンチペックの増殖により、マルクトの土地からは緑が失われ、今もなお、じわじわと毒に侵され続けていた。
あれから4年が経ち、サンキシュへの移住者も増え、今ではその数が数千人にも上っている。
私兵団には、その内の3千人ほどが在籍していた。
他の国に移住した者たちもいるが、魔族を魔族として受け入れてくれる国は少ない。
こういった時に誰か一人でも問題を起こせば、人族の治める国ではすぐに魔族狩りに発展する危険性があった。
そういった国では魔族の者は人族のふりをして、あるいは他の種族の者に変身をして、こっそり隠れ暮らすしか生きる道はなかった。
クレイドルは20歳となり、私兵団では火山のあるローアレグン方面に住んでいた者たちをまとめるリーダー的存在となっていた。
片や妖精の騎士団では、隊長を務めるまでになっている。
この隊長という肩書きは、私兵団との連絡係として与えられたものだとクレイドルは考えている。
何かと融通を利かせやすくするため、パケルスが口添えをしてくれたのだろう。
『隊長となったのじゃから、城に其方の部屋を用意した。好きに使うが良い』
と、妖精女王であるグリムレーリオから有り難い書状をもらいはしたが、パケルスからは「蝶を捕らえる蜘蛛の巣だろうな。行くなら喰われる覚悟で行け」と言われた。
「……気持ちだけで十分だと女王に伝えておいてくれ」
この国最大の権力者が捕食者側に回るとか、考えただけで恐ろしい。
出来るだけ城には近付かないようにしようと、クレイドルは心に決めていた。
誰よりも努力していたクレイドルは、あれから剣の腕も上がり、火と風の属性なら、無詠唱でも問題なく魔法が使えるようになっている。
残念ながら補助魔法を習うだけの余裕はなかったため、回復魔法などは今でも使えない。
ルーリアは簡単に使っているが、補助魔法はかなりの高等魔法となるのだ。
サンキシュに来たばかりの頃と比べると、クレイドルは背もぐんと伸び、すっかり男らしくなっていた。匂い立つような色香はそのままに、動作に出るたくましさでも、目にした者を酔わせる美しい青年へと成長している。
だが、その本来の姿のことを知っているのは、ほんの一部の者だけだ。クレイドルが知る限りでは、妖精女王、パケルス、ヨングの三人だけ。ハロルドにさえ、自分がクレイドルであることは未だに明かしていなかった。
そんな、ある日。
クレイドルはパケルス、ヨングらと共に、妖精女王から城へと呼び出された。
この顔ぶれで呼ばれるのは初めてのことだ。
しかも城の『深部』に直接、ときている。
妖精女王の城は、街と繋がっている建物の表面的な部分と、深部と呼ばれる別空間の庭園とに、はっきりと分かれていた。
クレイドルの身分で入れるのは基本的に建物の部分だけだ。深部については、騎士団の中でも上の役職に就いている者でなければ、詳しいことを知らされることもなかった。
「いったい何の用なんだ? 団員でもないヨングまで呼び出されるなんて」
「さてな。どうせ仕事だろ。婆さんもいるから危険な任務ではないと思うぞ」
「ひゃひゃ。わたしゃ手荒いことには、とんと向いてませんからねぇ」
今回は女王からの特別な任務らしい。
表から城を訪ねるのではなく、薬屋の店奥の部屋から暗いトンネルを通って移動することになった。
このトンネルは女王が許可した者しか通れない、『妖精トンネル』と呼ばれるものだ。
一度も城に行ったことがない者でも、直通で移動が出来る便利なものらしい。こちらも詳しい仕組みは謎だ。
ヨングが手にしているランプの明かりに照らされると、トンネル内が宝石のように煌めいた。
「すごいな。これ、もしかして初めてヨングの店に入った時に通ったトンネルか? あの時は真っ暗で、転がり落ちただけだったような……」
「あの時はランプを使う暇も、ちゃんと道が繋がるのを待つ余裕もなかったからな」
「──っ」
懐かしむように話していると、急に目の前が眩しいくらいに明るくなった。
「──……ここが、深部……」
気付けば、クレイドルたちは水上にある白いガゼボの入り口に立っていた。
遠くに森が見え、広い湖に細い線の波紋がいくつも広がっていく。思えばクレイドルにとって、ここがサンキシュでの始まりでもあった。
パケルスとヨングが跪く。
その後ろに妖精姿のクレイドルも跪いた。
「よう参った。同席を許す。中に入るが良い」
「はっ」
妖精女王からの声を受け、パケルスが先に入り、クレイドルたちも後に続く。
クレイドルを目にしたグリムレーリオは、とろけるような笑みを浮かべた。
「お久しぶりでございます、陛下」
「うむ。ヨングも元気そうで何よりじゃ」
クレイドルが直にグリムレーリオを見たのは、これが初めてだった。もう6年も騎士団にいるというのに、何とも不思議な気持ちになる。
……あれから6年、か。
鏡越しではなく、直に目にする女王は小柄な少女の見た目に反し、威厳や底知れなさが強く感じられる。
可憐な蝶のような姿をしているが、その実体は魔族領の領主などよりも遥かに上の存在に見えた。自然と冷や汗が首筋を伝う。
「それで、陛下。我々にご用とは?」
「うむ。まぁ、そうかしこまるでない、パケルスよ。小難しい話ではないゆえ、安心するが良い」
起きているクレイドルと女王を会わせるのは、これが初めてだ。クレイドルを孫のように可愛がっているパケルスは、女王が無茶なことでも言ってくるのではないかと内心では警戒していた。
しかし今日のグリムレーリオは、珍しく最初から女王の顔をしている。簡単に挨拶を交わしただけで、さっそく本題へと入った。
「其方らに頼みたいのは、ある人物の調査じゃ」
女王が口にしたのは、魔虫の蜂蜜屋を営む男に会い、その性格や人柄などを見てくる、という何とも曖昧な任務だった。しかも話を聞けば、その男がその職業に就いたのは、ヨングの助言から始まったことだという。
今でも取引は続いているそうだが、その男に会いに人族の国であるダイアランの首都へ行ってこい、というよく分からない任務だった。
「それなら、その男が店に来た時に話を聞けばいいだけなんじゃないのか?」
クレイドルはヨングをチラリと見た。
わざわざ三人で会う必要があるのだろうか?
それも、わざわざ人族の国に出向いてまで。
「それが最近は店に来ていないんですよ。蜂蜜の納品も、今では人族の商人に任せっきりでしてねぇ。最後に会ったのは、いつ頃だったやら……」
「ワシらが一緒に行くことで、婆さんだけが会うよりは、いろんな面が見られるということなんじゃないか?」
魔虫の蜂蜜屋に会ったことがあるのはヨングだけで、パケルスは見たこともないそうだ。
「それだけではない。其方らが行くことで、繋がる縁というものもあるのじゃ」
グリムレーリオは深い森色の目を細め、クレイドルを優しく見つめる。
「……縁」
「其方はもうすでに繋がっておるがの」
「……?」
女王の意味深な呟きに、クレイドルは首を傾げた。いつ聞いても、グリムレーリオの言葉は遠いところにあるように感じる。
それから、それぞれに別の任務があると伝えられたクレイドルは、同じ深部の中でも違う場所にいるという、一人の妖精の元へと案内された。