第58話・小さくも大きな背中
「ど、どうしたってんだ? 何か気に障ることでも言っちまったか?」
殺気さえこもっていそうなハロルドの雰囲気に、獣人の男は狼狽えた。
「先にこれだけは言っておく。この私兵団は仲間との結束を何よりも大切にしている。だから自分の目で、耳で、責任を持って確認していない裏切りの話は、やすやすと口にしないでもらいたい」
「……ぅ、わ、分かった。そいつは済まねぇ」
完全にハロルドの気迫に圧された男が口を噤むと、今度はクレイドルに視線が向けられた。
「クレイアは今の話で何か聞いたことは?」
「……目的までは知らないが、その二人を捕らえるために魔鳥が攻めてきたとオレは聞いている」
ひと息ついて表情を和らげると、ハロルドは首を軽く降る。
「その話はどちらもデマだ。特にマルクトを裏切った、なんてのは、魔鳥どもが作り上げた話だろう。その二人に罪をなすり付けようとしたんだろうな」
「あっ! じゃあ、魔鳥のヤツらが俺らの仲間割れを狙って……?」
「まぁ、そんなところだ。仲間割れというよりは、元住民同士を結託させないためだな。一度でも誰かを疑ってしまえば、あとは勝手に疑心暗鬼になっていくだろ?」
「……な、なるほど。確かに」
ハロルドは二人に真剣な目を向け、クレイドルたち兄妹は裏切り者などではなく、むしろ一番の被害者だと話して聞かせた。
今回の件は、元々はマルクトの領主がエミルファントに喧嘩を売ったことが始まりだった、とハロルドは言う。そして領主が殺され、美しいと噂されていた双子の兄妹が戦利品として魔鳥の女王に目をつけられただけなのだと。
「じゃあ、その二人は故郷の連中から恨まれるようにされて、それで捕まってエミルファントに好きにされてるって訳か。……ひでぇ話だな」
「そういうことだ。それと、これは確認できた訳ではないんだが、まだ兄の方は捕まっていないらしい」
「そうなのか。なら、ここを目指してるかも知れねぇな」
「ああ。だから、もし二人のことを誤解しているヤツがいたら、正しい情報を伝えてやってくれ。決して裏切り者ではない、同志なんだってな」
「おう。分かった。任せてくれ」
私兵団についての大まかな話が終わると、獣人の男は大部屋へ戻った。話が終わっても動こうとしないクレイドルに、ハロルドが声をかける。
「もしかしてクレイアは兄妹の知り合いだったのか?」
「……どうしてそう思った?」
火蜥蜴の大きな身体から出たとは思えない小さな声に、ハロルドは優しく目を細めた。
「おれが二人の名前を口にした時、クレイアの持つ空気が変わったのを感じたんだ。怒りとか悲しみとかじゃなくて、恐怖を感じたような気配だったからな」
「…………恐怖……」
短い沈黙の後、クレイドルはハロルドに尋ねる。
「ハロルドはなぜ、二人が裏切り者ではないと信じたんだ? 会ったことはないんだろう? さっき話していた『魔鳥に攻め込まれた原因は領主にあった』というのは……嘘だろ」
「それこそ、どうしてそう思うんだ? たった二人の兄妹ために故郷が滅ぶよりも、領主の行動の結果としてそうなったと思う方が自然だろう?」
殺されたマルクトの領主がエミルファントと敵対していたのは事実だ。だから完全な作り話という訳ではない。
しかし、亡郷の原因は領主にあった、というのは、ハロルドが言い出したことだった。
それを言い当てたクレイドルに、ハロルドは柔らかな笑みを見せる。
「これは、他の誰にも言ったことはないんだけどな」
そう前置いて告げられたのは、ハロルドが私兵団を立ち上げる時に世話になったという、一人の小人族の男の話だった。
マルクトから流れてきた移住者同士を引き合わせ、妖精女王から空き施設の使用許可を取り、商人の紹介や仕事の口利きをしてくれたという、小人族の男。
「それだけ世話になった恩人がな、言ってたんだよ。いろんな噂があるだろうが、兄妹は巻き込まれただけだ。兄は今頃、捕まった妹を助けるために死ぬほど努力しているだろう、ってな」
クレイドルには、それがパケルスのことであるとすぐに分かった。涙がにじまないよう、口の奥を強く噛む。
「…………それで……?」
「それで、信じた。おれには助けられた恩がある。その人がクレイドルに会うことがあったら手を貸してやってくれって言っていたんだ。だったらおれがすることは、まずはみんなの誤解を取っ払うことだろう。今はもう、私兵団の中で兄妹のことを悪く言うヤツはいない」
おれがそうさせない、とハロルドはクレイドルの背中を強く叩いた。
「…………そう、か……」
涙がこぼれそうになるのを必死に堪えた。
魔族はそう簡単に人を信じたりしない。
人のために動こうとしたりしない。
それなのに、そんな者たちの気持ちをここまで動かし、今に繋げてくれていたのは、いつも自分の近くにいた小言の多い爺さんだった。
『必ず分かってもらえる時が来る』
あの時、パケルスは強くそう言っていた。
あの言葉が……今では痛いほど心にしみる。
「……もし、オレがその兄妹に会うことがあったら、必ず伝えよう。ここには心強い同志がいると」
クレイドルは込み上げる感情を抑え、ハロルドに返した。
「ああ、そうしてくれ。いつでも歓迎する」
ハロルドは白い歯を輝かせ、力強く頷いた。
「クレイアはこの後どうする? 行く所がないなら──」
「……いや、オレは世話になっている所があるから、そっちに戻る。……迷惑じゃなかったら、また来てもいいか?」
「もちろんだ。チビ共も喜ぶ」
ハロルドが立てた親指をクイッと扉の方に向けると、そこには10人ほどの子供が集まっていた。怖い物見たさ全開の眼差しで、クレイドルをガン見している。
……よ、喜んでるのか? あれ。
その内の三人の女の子は、クレイドルと目が合うなり泣き出してしまった。
「あれ、絶対に喜んでいないだろ!?」
「あっはっは! すぐに慣れるさ」
◇◇◇◇
ヨングの薬屋に戻ったクレイドルが店内に入ると、客の妖精女子たちが道を開けるように避けた。
妖精の姿だった時は、わざと通路を塞いだり、何かにつけては身体に触れようとしてきていた面々だ。
「……こんなにスムーズに店奥に入れたのは初めてだ」
「ひゃひゃ、知らないとは恐ろしいことですねぇ」
「子供には泣かれたが、今度からはこれでいこうと思う」
「宜しいんじゃございませんか。ウチとしては、ちょいと客層が変わるだけですからねぇ」
ヨングがニヤッとした目を向けるから振り返ると、なぜか爬虫類系の獣人と小竜族の客が目立つような気がした。
「………………」
「ひゃひゃ」
その筋肉質な客たちが男なのか女なのか、それすらクレイドルには見分けがつかない。が、嫌な予感しかしないから、早々に店奥に引っ込むことにした。
関係者以外立ち入り禁止の通路の先にある部屋に入る。すぐに見慣れた小さな背中が目に映った。
「おう、戻ったか。どうだ? ちっとは、まっすぐ歩けるようになったか?」
振り向かずにかけられる、ぶっきらぼうな言葉。だけどそこには、いろんな意味が込められているような気がした。
「……ああ。パケルスのお蔭で、やっと一人でもまともに歩けるようになった。……ありがとう」
照れて逸らした口から、どうにか返した。
ありがとう。この言葉でパケルスに感謝を伝えたのは初めてだった。
「よせやい、柄にもねえ。ガッハッハ」
大きく肩を揺らし、パケルスもまた、少しだけ照れた顔を誤魔化すように笑った。
◇◇◇◇
それから数日後。
クレイドルは紙袋を一つ抱え、私兵団の施設を訪れていた。もちろん火蜥蜴の姿でだ。
「……クレイアか? 何してるんだ、こんな所で?」
おっかなびっくりの子供たちに交じり、ハロルドがクレイドルの手元を覗き込む。
「前にこれで喜んでくれた子がいてな。それを思い出して、どうかと。この前、泣かせてしまったからな」
「………………」
無言で見つめてくるハロルドに、クレイドルは首を傾げた。
「……どうした?」
「いや、クレイアは見た目と違って、意外と繊細なんだなと思ってな」
「っな、そ、そんなことはないぞ!」
「いや、どう見てもそうだろ」
場所は施設の外だった。
焚き火の前に座るクレイドルを子供たちが遠巻きに見ていたのだ。そこへハロルドがたまたま通りかかったという訳だ。
クレイドルが混ぜた物を焼き始めると、子供たちから歓声が上がった。木の実と麦の焼ける香ばしい匂いが辺りに広がる。それらが焼き上がる頃には、子供たちは自然とその距離を縮めていた。
「ヤケドに気をつけるんだぞ」
「うん! ありがとー!」
焼き立てをクレイドルから受け取った子供たちは、みんな笑顔で食べることに夢中だ。
「今のオレに出来ることは、こんなことくらいだからな」
「いや、十分助かる。ありがとう、クレイア」
子供たちを温かい目で見守るハロルドに釣られ、クレイドルからも笑みがこぼれる。
「トカゲのお兄ちゃん、美味しかったー」
「もっと食べたーい」
「ねーねー、トカゲのお兄ちゃん。これ何ていうの?」
この前、泣いていた女の子たちの態度の変わりように、クレイドルは呆れて笑う。
そういえば、あの時の少女もこんな顔をしていたな、と懐かしさを覚えた。
「これは……『サクサク』だ」
トカゲ姿で口の端を上げ、クレイドルはせがむ子供たちにサクサクの焼き方を教えた。