第57話・私兵団とクレイア
順調に甘みを増していく果実を見るように、妖精女王はクレイドルを見つめ口端を上げる。
「いいや、まだ完全に諦めてはおらぬようじゃ。かなり折れかけてはおるがの」
「いっそ踏みつけて折ってやれ。自分を責めて死のうとするヤツなんて面倒くさい」
自ら魔力の枯渇を招いたクレイドルを一瞥し、アルファスは見切りをつけたように言い捨てた。
「まぁ、そう言うでない。若いのじゃから激情に溺れることもあろう。それよりも寝顔を見てみよ。いとけないではないか。庇護欲に駆られること間違いなしじゃ」
女王の言葉を受け、アルファスは無愛想な顔でクレイドルを覗き込んだ。興味を持ったリルアーレムもそれに続く。
「……あー。駆られるのは庇護欲じゃないな」
「……グリム様が熱を上げられるのも分かる気がする」
同性の二人から見てもクレイドルは美人だった。
完全に脱力している姿は、これは襲われても文句は言えないだろうと思わせる危うさがある。
「くっだらな」
トカゲ姿のクレイドルを城まで運ぶのに駆り出され、本体を見て嫌味の一つでも言ってやろうと思っていたアルファスは、妖しいまでの美貌を持つクレイドル本来の姿に早々に毒気を抜かれた。
「リル、パケ爺の相手は任せる。さっき城に着いたそうだ。話を聞いて、こいつをどこに放り出すか決めてきてくれ。おれは寝る」
広いベッドに寝かされているクレイドルの横にボスンと寝転がり、苦手な朝に起こされたアルファスは二度寝を決め込んだ。
「うん、分かった。グリム様を連れて、ちょっと行ってくるよ」
アルファスの憎まれ口の中に『クレイドルを見張っておく』という意味が込められていることをリルアーレムは知っている。役割分担についての異論はない。立場としてはリルアーレムの方がアルファスよりも上なのだが、そんな細かいことは気にしなかった。
「なぬっ、添い寝する気か!? アルばっかりずるいのじゃ!」
「んな気持ち悪ぃことするかよ。見ろよ。こんだけ離れてんだろ」
「はいはい。グリム様はボクと一緒に行きましょうね。パケルスはグリム様が無理やり誘拐したんじゃないかって疑ってるみたいですよ」
「なんじゃと!? それはおかしいじゃろ」
「日頃の行いですね」
「ぐぬぬ……! 解せぬ」
文句をタラタラとこぼす女王の声が遠ざかると、アルファスは身体を起こした。クレイドルの額に二本の指を乗せ、記憶を探る。
「……ふーん。妹が生きている内は完全に折れることもないか」
クレイドルが『オレのせいで』と、悲劇のヒロインぶって魔力を枯渇させたというのなら、アルファスは今後一切、手を貸さないつもりでいた。だが、そうではないようだ。
今回の魔力枯渇は、魔鳥の女王の狙いが自分にあると知り、その目的を阻止するために取った行動だった。
自分を捕らえようとしている真の目的は分からないが、敵が手に入れようと躍起になっているくらいだ。それを先に壊せば相手にとって痛手となるはず、そう考えての行動だった。それが自分の生命だっただけだ、と。
「…………ふーん」
その思い切りの良さは嫌いではなかった。
やっていることは感情的に見えるが、それなりに考えてはいるようだ。
……そこは評価しといてやるか、とアルファスは思った。ただやはり、簡単に生命を捨てようとするのは気に入らないが。
本人も意識していないところでは妹のことが放っておけず、せめて救い出してから……と迷いがあった。それが今回、死に切れなかった理由だろう。
「ほんっと、面倒なヤツ」
大きなあくびをして、アルファスはクレイドルに背を向けた。
これなら放っておいてもサンキシュに害を成すことはないだろう。しばらくは起きることもないし、と今度こそアルファスはうたた寝を始めた。
◇◇◇◇
「……おっ。気がついたか」
ガヤガヤとした聞き慣れない音に薄く目を開けると、クレイドルの目の前には見知らぬ男がいた。
……誰、だ……? オレはいったい……?
頭が重く、ぼんやりとする。
途中で意識を失ったのか、思っていたより魔力が減っていないことに気付き、死に切れなかったことだけは理解した。
「どっか痛んだりするか? 大丈夫か?」
甲斐甲斐しく世話を焼くように尋ねてくる男に、クレイドルは戸惑った顔を向けた。
じっくり見ても記憶にない顔だ。
「なぁ、あんた、火蜥蜴だよな? ひょっとしてローアレグンの──」
「うおっ、すげぇ! ほんとにトカゲだー!」
「ほんとだ! ねえねえ、喋れんの?」
元気が有り余った男児が二人、男の声に被せるように話に割り込んできた。
クレイドルがベッドから身体を起こすと、そのトカゲ姿を興味津々な目で見つめている。
そこでやっとクレイドルは、自分が火蜥蜴の姿でいることを思い出した。
そして、もし自分の勘が当たっているのなら──。
「ここにいるのは、マルクトに住んでいた者たちか?」
男児たちが「すげぇ!」「ほんとに喋った!」と興奮している横で、男は「そうだ」と短く答えて頷いた。
「ここにいるのは、あの戦火から逃れることが出来た者たちだ。ここがサンキシュなのは分かるか? この建物は妖精女王から借りている施設の一つだ」
男はクレイドルがここに運ばれてきた経緯を掻い摘まんで説明する。妖精の騎士団から、マルクトの元住民だと思われる種族の者が行き倒れている、と連絡が入ったらしい。
たまたま街外れを見回っていた騎士にでも拾われたのか、それとも……。
ざっと見回すと、この部屋には20人くらいがいるようだった。そのほとんどが鳥人と獣人だ。
あまり清潔とは言えない廃病院のような大部屋に子供と年寄り、それと体調があまり良くないように見える者たちが集まっている。
男は「もし話せるようなら、この集まりの代表者に会って欲しい」と言ってきた。少しでも情報を共有したいらしい。
「……分かった。オレもいろいろ聞きたいことがある」
クレイドルは別室にいるという代表のもとへ案内された。
「初めまして。おれはハロルドという。見ての通り鳥人だ。一応、ここの代表って形にはなってるけど、まぁ、簡単に言えば皆のまとめ役だな」
大鷲の鳥人であるハロルドは大らかな武人肌の男で、とても気さくな人物だった。
日に焼けた肌に白い歯が印象的で、背にある大きな黒い翼には白い差し色が入っている。
見るからに鍛えられていて、たくましい身体付きのハロルドは、クレイドルが憧れている男らしい男の見本のような大人だった。
中性的な自分の姿に、実はコンプレックスがあったりする。
「えっと、さっそくで悪いんだが、火蜥蜴族とはあまり付き合いがなくてな。正直に言ってしまえば、見ても若いのか年寄りなのかすら分からない。名前と歳を教えてもらえるか?」
「……あ、あぁ。オレはクレイ……あ」
──しまった!!
ぼやける頭でハロルドの人柄の良さに気を取られていたクレイドルは、ついうっかり途中まで自分の名前を口にしてしまっていた。
「クレイアか。見た目に似合わず可愛い名前なんだな。っと、さすがに失礼だったか。済まん。歳は?」
ハロルドは特に気にした様子もなかった。
ここで言い直すのも変だから、ひとまずそのまま流すことにする。
「歳は……18だ」
「18か、若いな。おれはもうすぐ50だ」
「そうなのか。あまり変わらないと思っていた」
「ははっ、上手いな。今度、酒でも奢ってやるよ」
歳は念のため、少しだけ上に誤魔化した。
ハロルドは聞き上手というか、話し上手というか。不思議と何でも話してしまいたくなる気安さがある。
「ハロルド。こいつも話に入れてやってくれ。先週ここに来たんだけど、やっと起き上がれるようになったんだ」
先ほどクレイドルの世話を焼いていた男がもう一人、獣人の男を連れてきた。あちこちに包帯が巻かれているところを見ると、ひどいケガを負っていたようだ。
「回復が薬草任せで済まないな。見ての通り獣人ばっかだから、補助魔法を使えるヤツが少ないんだ。もう大丈夫か?」
「ああ、お蔭様で。魔物に襲われてケガなんて情けねぇ。すっかり世話になっちまったな。助かったよ」
「なあに、困った時はお互い様だ」
ハロルドは獣人の男にも生まれや住んでいた場所、名前などをひと通り尋ねた。
そして、これからどうしたいかを二人に問いかける。
「…………オレは……」
クレイドルが返事に詰まっていると、先に獣人の男が答える。
「俺は魔鳥のヤツらに復讐してやりてぇ。ヤツらのせいで何もかも失ったんだ。同じ目に遭わせてやらにゃ、腹の虫が収まらねえ」
剣呑な男のギラついた目には怒りや怨みが色濃く見えた。それにハロルドが黙って頷くと、男は言葉を続ける。
「あとは……そうだな。あの時の魔鳥の奇襲にゃ、マルクトを裏切って手引きしたヤツらがいたそうじゃねぇか。そいつらも引きずり出して、きっちり落とし前つけさせなきゃ気が済まねえ」
「……裏切り? そんな話は聞いたことがないな」
ハロルドは腕を組んで首をひねった。
その様子に獣人の男は息巻く。
「知らねえのか? あれだ、ローアレグンの有名な鳥人の兄妹の」
「あー。もしかして、クレイドルとアスティアのことか?」
────ッ!!
いきなり名前を出されたクレイドルは表情を繕うのも忘れた。心臓を鷲掴みにされたように声も出せない。
「そうそう、そいつらだ。マルクトを裏切って、今頃はエミルファントに飼われてるんだろ? 絶世の美男美女だか何だか知らねぇが、故郷を踏みにじって魔鳥の根城でふんぞり返ってんなら仇も同然だろうよ」
クレイドルは獣人の男の言葉に愕然とした。
パケルスから聞いていたのは、自分たちを捕らえるためにエミルファントがマルクトを襲ったという話だったが、これはそれ以上にひどい。襲われた理由ではなく、襲わせた本人になっている。
表情の分かり辛い火蜥蜴だったから良かったものの、クレイドルは血の気の引いた顔となっていた。本来の姿でいたならば、不審なくらい表情が抜け落ちていただろう。
「それは誰から聞いた話だ?」
低く、腹の底から響くような声が室内に落ちる。
それは、ついさっきまで気さくに話していたとは思えない、ひどく底冷えのするハロルドの声だった。