第55話・進んでも振り出し
仕方がない、力ずくで奪うか。
クレイドルが腰に帯びた剣に右手を伸ばそうとした、その時。ガシッと、その手を魔鳥の男に掴まれてしまった。
──ッ! こっちの考えがバレ──、
「おおぉおっ!! 間違いない、本物だっ!! こ、これは!? これはどこで手に入れた!?」
魔鳥の男は目を見開き、掴んだままクレイドルの右手首を凝視していた。
「──は……?」
そこにあるのは、ルーリアからもらった魔術具のお守りだ。
「この場にいるということは、あんたもこのレシピが欲しいということだろ? これとなら火蜥蜴のレシピを交換してもいいぞ!」
魔鳥の男は食いつくように、お守りに顔を近付けた。熱狂的に見つめる目は、収集家特有の輝きに満ちている。熱い視線と手を引き剥がしてクレイドルが腕を引っ込めると、名残惜しそうな吐息が男から漏れた。ちょっと気持ち悪い。
「ええい、ケチくさいことは言わない! それと交換してもらえるなら、持っているレシピを全部差し出してもいい!!」
「全部!?」
今回、魔鳥の男が持ち込んだレシピは全部で10品分あった。クレイドルが狙っているのは、変身用のレシピだけなのだが。
「……いいのか? これは魔術具としては何の使い道もないぞ?」
魔力も込め直せない使用済みのお守りと、秘蔵とされるレシピ10品分だ。考えるまでもなく、レシピの価値の方が高いだろう。
……釣り合わない取引なのに、なぜ?
不審に思っているクレイドルを魔鳥の男は鼻で笑った。
「何の使い道もないだと? バカ言っちゃいけねぇよ。この魔術具は使う、使わないじゃなくて、存在そのものに価値があるんだ。前に他国の王族が同じ物を持っているのを見たが、とても古い物で魔石も欠けていたんだぞ。それになぁ──」
と、頼んでもいないのに、なぜか魔鳥の男は自分でお守りの価値を吊り上げていく。まるで分かっていないクレイドルの態度が癇に障ったらしい。
至高の芸術品でも見ているかのように目を輝かせ、その後も魔鳥はお守りについて熱く語った。
「……で、俺はそれを作った一族の大ファンなんだよ。こんな綺麗な形で残っているなんて、奇跡のようだ」
「一族? それは──」
「おっと、これ以上は言えねえな。欲しがるヤツが増えちまったら、その分集めるのに苦労するからな」
魔鳥の男はレシピが書かれた紙をズラッとテーブルの上に並べた。
「これと交換でどうだ!」
透かさずヨングは鋭い商人の目をクレイドルに向ける。レシピの鑑定は終わっている。どれも本物だ。お守りを渡すことにクレイドルが納得しているのであれば、ヨングはすぐに商談を進める構えだ。
クレイドルはヨングに小さく頷き返し、お守りを外した。それを受け取ったヨングは『あとは任せろ』と黒い笑みを浮かべ、口を開く。
「それでは、お客様の所持品を全て、確認させていただきましょうかねぇ」
「…………え」
馬鹿な魔鳥だ、とクレイドルは心の中で憐れんだ。ヨング相手にあれだけ欲しがっている姿を見せた上に、先に手の内をさらけ出してしまっていたら羽先までむしり取られるに決まっている。
「…………」
お守りを外したのは、約1年ぶりだ。
クレイドルは何も着けていない右手首をさすった。寂しさとまではいかないが、ひと言では片付けられない感情が残る。
……あの少女の作ったお守りに、こう何度も助けられるとは。
感謝のひと言では片付けられない。
生命を救ってくれただけでなく、これから先で必要となってくる物にまで自分を導いてくれたように思えた。
「ひゃひゃ、またいらしてくださいねぇ」
結局、魔鳥の男は全てのレシピといくつかの魔術具、それと有り金を全部ヨングに搾り取られることになった。
「この金の亡者が!」
男は帰る時に捨て台詞を残したが、周知の事実を叫んでも罵言にならないことを知らないらしい。
商談の手数料として少しの金をヨングが取り、それ以外の全てがクレイドルに渡された。
「では本題と参りますかねぇ」
金の亡者がクレイドルに微笑む。
「……ほどほどに頼む」
欲しいレシピは手に入ったが、それだけでは何の役にも立たない。それを元に、魔術具の作製を依頼するための商談に移った。残念ながらクレイドルには、魔術具の作製や調合に関する知識は全くない。
ヨングとの話し合いの結果、火蜥蜴に変身する魔術具を作製してもらう代わり、今回の取引で得たレシピ以外の物を全てヨングに差し出すこととなった。これには職人への口止め料も入っている。
元々ヨングが気を利かせて搾り取った魔術具と金だ。クレイドルに異論はなかった。
「お金が必要な時は遠慮なくおっしゃってくださいねぇ。いつでもレシピを買い取りますよ」
「分かった。覚えておく」
今回手に入った火蜥蜴のレシピには、様々な制約がかけられていた。
ヨングの鑑定スキルで見てもらったところ、暗号化されていたり、書き写しが出来ないようにされていたりと、厄介な状態にあることが分かった。
「どうにかなりそうか?」
「ひゃひゃ。これしきのこと、片手で扱えないようでしたら、とっくに店をたたんでますよ」
前にパケルスから聞いたのだが、このヨングという商人は、元は妖精女王の側近だったそうだ。
何をしていたかまでは聞かなかったが、きっとパケルスと同じ諜報員だったのだろう。……今も現役のようにしか見えないが。
「また必要になるかも知れませんし、ついでに解読したレシピも渡しておきましょうかねぇ」
「そんなことも出来るのか。どうして……」
どうして自分を助けてくれるのか。
なぜ、先のことまで考えてくれるのか。
そう尋ねそうになったクレイドルは慌てて口を噤んだ。口にしていれば、ヨングからは『簡単に人を善人と思うな。商人は損得勘定で動く』と返ってきていたことだろう。
それでも金のことしか頭にないと思っていたヨングの親切を、クレイドルは素直に感謝した。
「ありがとう。助かる」
その様子を微笑ましげに眺め、ヨングは糸のように目を細める。
「いやね、小うるさい爺さんから手土産を用意してやれって言われましてねぇ」
「……手土産?」
「おや? 同郷の方に会いに行くんじゃなかったんで?」
「っ!」
クレイドルは思わず顔が赤くなった。
パケルスがそこまで自分のことを考えてくれているとは思わなかったからだ。
しかし、これではまるでパケルスが、里帰りをする孫にこっそり土産を持たせようとする面倒見の良い爺さんのようではないか。
レシピの中には武器もあるようだから、確かに手ぶらで行くよりは役に立つ情報があった方がいいように思える。
パケルスが探りを入れてくれたから、私兵団には戦闘員だけでなく、保護された難民もいることが分かった。
「……済まない、よろしく頼む」
ニコニコと見ているヨングに、クレイドルは決まりの悪い顔で返した。
「こちらも商売ですからねぇ。店奥にいて客を呼び込んでもらってるんですから、たまにはサービスしませんと。ひゃひゃ」
……本当に売りつけていたのか。
クレイドルはわずかに顔を引きつらせた。
「この際どうです? 前に話していた茶会を開いてもらえれば、けっこう良い稼ぎになると思うんですけど」
ヨングは高額な入場料を取る茶会の開催を、クレイドルにちょくちょく打診してきていた。
相手はもちろん、この店に押し寄せてきている妖精女子たちだ。他にも握手でいくら、とか。制限時間つきの会話でいくら、とか。
「写真でも撮らせてもらえたら、良い値がつくと思うんですけどねぇ」
具体的な金額が提示されて恐ろしい限りだが、クレイドルには理解できない世界の話だった。
「…………それは断る」
見直して損した、と思った。
やっぱりヨングは金の亡者だった。
◇◇◇◇
火蜥蜴に変身する指輪型の魔術具が完成すると、クレイドルはさっそくその姿でいる練習に励んだ。
身長は2メートル近くあり、皮膚は火のように紅く硬い鱗に覆われている。大きく裂けた口からは白い牙が覗き、鋭い爪の生えた手足と太く強靭な尾があった。目は黄色く、細い黒線が入っている。
どう見ても、服を着た巨大なトカゲだ。
他の変身の魔術具とは感覚の何もかもが違い過ぎて、まっすぐに立つことも難しかった。
上手くバランスを取れず、歩こうとするだけで斜めになって倒れる。
「──っ」
「ガッハハハハハ!」
それを見て大笑いしていたパケルスが「指輪を貸してみろ」と言うから、クレイドルはむしり取るように外して投げた。
出来るものならやってみろ、といった気持ちだったが、さすがと言うべきか。パケルスは、あっさりとトカゲ姿で歩いて見せた。
「これは重心が前にあるな。尾に体重を乗せるようにすれば、まっすぐ立てるだろ。歩く時は足を開いて胸を張る感じだ」
投げ返された指輪を手に握り、クレイドルは床に座って項垂れた。
「…………振り出しに戻された気分だ」
妖精の姿で剣を持つことに、やっと慣れてきたところだったのに……。
深く、ため息が落ちる。
「そうがっかりするな。これはバランスを取る訓練にはちょうどいいぞ。その姿でも問題なく動けるようになったら、私兵団の所に案内してやる」
その言葉に弾かれ、クレイドルは顔を上げた。
「私兵団と話が出来たのか!?」
「…………まぁ、一応、な」
歯切れの悪い返事をして、パケルスは急に渋い顔になった。この表情の時は良くない話か、これ以上何も言わないかのどちらかだ。
クレイドルはパケルスの言葉をじっと待った。
「……お前の妹だが」
この表情で妹の話!!
クレイドルは瞬時に死別まで覚悟した。
「…………生きとる」
「………………」
──まぎらわしいッッ!!
クレイドルは思わず握っていた指輪を地面に叩きつけそうになった。