第54話・二つの朗報
ルーリアの住む隠し森を出たクレイドルが、妖精の国サンキシュに流れ着いておよそ1年。
国の軍部である妖精の騎士団に入団し、日々鍛錬に励むクレイドルは15歳となっていた。
本人の努力の甲斐もあり、剣の腕はそれなりに形になってきている。魔法の方は、まあまあといったところだ。
1年も住めば、その国のことは何となく分かってくるもので、クレイドルもサンキシュでの暮らしにだいぶ慣れてきていた。
もっとも、慣れたとは言っても馴染めないことはある。クレイドルにとって、それはなんと言ってもプライバシーの無さだった。
「お前さん目当てに、また店に若い妖精が集まっとるぞ」
パケルスが鬱陶しそうに口を開く。
「……オレに言われても困る」
クレイドルが気にしているプライバシーの問題は、その妖精たちがどこにでも現れる、ということにあった。正体を隠して生活するには、サンキシュは難易度が高すぎるのだ。
この国の主体となっている妖精族は、自然界のありとあらゆるものに繋がりがある。
草木も、風や水も、火も土も、記憶や時間、夢でさえも。何でも妖精の依り代となっていた。この世の全てのものに妖精が宿る、といっても過言ではない。
この『宿る』という状態を、人型の妖精たちは『恩恵』と呼んでいた。女神のように司るとまではいかないが、それがその妖精の力の根源となっている。火の妖精なら火から。水の妖精なら水から力を得ている、といった感じだ。
人型の妖精に限らず、手の平に乗るような小さな妖精たちにもクレイドルは手を焼いていた。
彼らは共通してイタズラ好きで噂好きなのだ。
新しいもの、珍しいもの、変わったもの、面白そうなもの。とにかく何でも玩具にしようとする。
余所の国から流れてきて、すぐに騎士団に取り立てられたクレイドルは、あっという間に噂の的となった。まぁ、その大半はパケルスが流したデマなのだが。
それからというもの、クレイドルにはいつも誰かに見られている感覚がつきまとっていた。
安心して気が抜ける場所といったら、パケルスと初めて会った時に逃げ込んだ、薬屋の店奥にある部屋くらいだ。その部屋には音断の魔法が掛けてあり、頑丈な結界も張られているため、妖精たちでも簡単に入ることは出来なかった。
パケルスの口添えもあり、あの日からクレイドルはその部屋を間借りしている。
薬屋の店主は、片眼鏡をかけた老婆姿の小人族で、名をヨングという。妖精女王からの信頼も厚く、『自分は金で動く』とはっきり宣言している、やり手の商人だ。
この薬屋は希少な薬や高価な商品を扱うことで、国外でも有名な店だった。
ヨングとパケルスは腐れ縁というか、昔からの同族馴染みらしい。どちらも飾らずにズケズケとものを言うから、クレイドルには居心地が良かった。
妖精女王が手配してくれた変身の魔術具のお蔭で、今のところ魔族であることは他の妖精にはバレていない。今のクレイドルは髪も目も淡緑色の人型の妖精の姿をしていた。もちろん別名を名乗っている。
変身の魔術具の効果は、特別な仕様でない限り、本来の姿に影響される。人族に変身した時もそうだったが、外見に強く変化が出るように作られた魔術具であっても、クレイドルは元が良すぎるせいで、どうしても系統が違うだけの美形となっていた。
さしずめ今は『清純な王子様風』といったところだ。背中には人型の妖精の特徴である蝶の翅が生えていた。速さは出ないが、この翅で空を飛ぶことも出来る。
さっきのパケルスの台詞は、この姿に魅了された若い妖精女子たちが、その姿をひと目見ようと店に押し寄せている、という苦情だった。
いや、もしかしたら若い女子だけではないのかも知れない。人型の妖精は誰もが少年少女の姿をしている。大人の妖精を見たことがないな、と思っていたが、これが成人した姿だったのだ。妖精は長命種族だから、外見だけで歳を判断するのは難しい。
どちらにしてもクレイドルからすれば、「知るか」と言いたい話であった。
「まぁ、例えお前さん目当てで来ていたとしても、あの婆さんなら何かしら売りつけてから追い返すだろうよ」
テーブルで書類の束を見ていたパケルスは、計算高いヨングを思い浮かべ呆れたように笑う。
「……相変わらず商魂たくましいな」
他人事のように呟き、クレイドルは長椅子に寝そべって片腕で顔を覆った。
「ちっとばかし無理し過ぎじゃないか? 焦って身体を壊したら元も子もないぞ」
ひと目で疲れが見て取れるクレイドルを見やり、パケルスがため息をつく。普段は世話など焼かないのだが、常に全力でいるクレイドルに、つい余計な小言がこぼれた。
「……いや、足りないくらいだ」
最近のクレイドルには焦りが表れていた。
必要以上に身体を鍛えたからといって、すぐに強くなれるものでもないというのに。
かと言って、じっとしてもいられないのだろう。その気持ちが分かるから、パケルスも強くは引き止められずにいた。
「ちゃんと休むのも仕事の内だぞ」
「……分かってる」
パケルスはそれ以上言うのを止め、クレイドルの前に見ていた紙の束を置いた。見せればさらに無理をすると分かっているから、軽くため息が混じる。
「朗報だ。お前の探しものが見つかったぞ」
「ッ!!」
ガバッと起き上がったクレイドルは置かれた紙束を手に取り、急いで中に目を通した。
読み進めていく内に、その顔に少しずつ喜色が浮かんでいく。
それにはサンキシュに暮らす魔族の者からの『とある申し出』に対し、妖精女王が許可を出した、ということが詳しく書かれていた。
国の内政に関わる極秘情報だが、側近であるパケルスが持ってきたのだから女王から閲覧の許可は出ているのだろう。
「良かったな」
「…………ああ」
それは、クレイドルの故郷であるマルクトに住んでいた者たちが、サンキシュ内で私兵団を作って活動する許可を得た、という内容の物だった。
目的は言わずと知れた『復讐と故郷の奪還』だ。
自分と同じような目的を持ち、サンキシュに移住してきている同郷の者がいることはクレイドルも知っていた。しかし、その者たちも命懸けで暗躍しているため、その居所や詳細については今まで何も掴めていなかった。
……自分と同じ志の者がいる。
それだけで、クレイドルは胸の奥が熱くなるのを感じた。
「すぐに会えるのか?」
「それはまだ早い。相手からすれば、お前は足手まといの小僧にしか見えんよ」
「…………そう、か」
騎士団に入り、1年経った今だから分かる。
パケルスの言っていることは正しい。
会いに行ったところで、今の自分を戦力として見てもらえるかどうか怪しかった。
「それよりヨングから耳寄りな話が来とるぞ」
「ヨングから?」
「何でも、珍しい物を売りにきた客がいたらしい」
「それは……オレに話すことか?」
物品の売買を耳寄りと言われても、クレイドルにはピンと来ない。
「客は人族に変身していたが、魔鳥だったそうだ」
「魔鳥だと!?」
魔鳥とは、魔物の鳥と人の間の存在で、身体の一部に鳥に似た特徴を持つ種族のことだ。
魔鳥と区別をつけるため、鳥の獣人のことを世間では鳥人と呼ぶ。鳥人は他の獣人と同様に、魔術具なしでも人族のような姿になれる者が多い。が、魔鳥はなれない。変身するためには魔術具がいる。
そして他でもない。
クレイドルの故郷を襲ったのは、その魔鳥たちの女王だったのだ。
魔族領の中にある魔鳥族の領地フェアロフロー。その領主である魔鳥の女王エミルファント。
クレイドルの双子の妹は、このエミルファントに捕らえられている。
パケルスが耳寄りと言った話の客が、そのエミルファントの領地の者であると自ずと想像がついた。
「何を売りに来たんだ?」
「火蜥蜴のレシピだそうだ」
「……火蜥蜴」
クレイドルの故郷には、ローアレグンという名の巨大な活火山がある。この世界が誕生した時からある、常に溶岩が流れている聖なる火の山だ。
その火山のすそ野こそが、クレイドルが暮らし育った場所なのだが、そこには鳥人を主体とする様々な種族が住んでおり、火蜥蜴もその中の一種族であった。
そのレシピを持っているということは、その魔鳥がマルクトに関わっているという証拠に他ならない。殺して奪ったのか、それとも無理やり聞き出したのか。どちらにしても、恐らく元の持ち主は無事ではいないだろう。
「わざわざヨングの所に売りに来たということは、それなりに価値のあるレシピなんだろ?」
「そうだ。火蜥蜴に変身する魔術具のレシピもあったそうだぞ」
「……! それは本当か!?」
「お前に嘘を言ってどうする」
同族の間にだけ伝わるレシピは、他種族の者には極秘とされている。仮に他種族の者に漏れたとしても、こうして表立って出てくることはまずない。そのレシピを売りに来たと言うのであれば、確かに耳寄りな情報だった。
そしてその変身の魔術具は、クレイドルがずっと欲しいと思っていた物でもある。正体を隠して私兵団と接触するために必要だからだ。
「ヨングはそれを買ったのか?」
「いいや。それがな、その魔鳥は『金では売らない』と言ってきたそうだ」
「……売りに来たと言えるのか、それは?」
魔鳥には収集癖がある。
集める物は様々で、宝石や貴金属、魔術具、骨董品、装飾品、衣服、動植物、果ては灰や石といった何の価値もない物まで。とにかく何かを集める癖が魔鳥にはあった。
「その魔鳥は珍しい物との物々交換を望んでいたそうだ。次に来た時に、ヨングの用意した物の中に欲しい物があれば取引は成立するだろうが……どうだかな」
「……珍しい物、か」
クレイドルはヨングに頼み、その取引に同席させてもらうことにした。
もしその場で取引が成立しなかった時は、少々手荒な手段に出るつもりだ。
どうせ向こうも手に入れる時は、同じようなことをしたに決まっている。ある意味、仇討ちとも言えるはずだ、と身勝手なことを考えた。
「ウチの看板に泥は塗らないでくださいねぇ」
クレイドルの目の奥に不穏な光を見たヨングは、呑気な口調で釘を刺す。
「そう思うなら手札を増やしてくれ」
「ひゃひゃ、これは手厳しい」
そうして臨んだ取引だったが、残念ながらヨングが用意した物の中にその魔鳥の客が欲しがるような物はなかった。