第51話・人助けと覚悟
人の生命か、鹿の生命か。
答えられずにルーリアは俯く。
「エルシアは迷うことなく、人を選びます」
柔らかい風のような声にハッとしてフェルドラルを見る。ここで名前が出てくるということは、エルシアにも今のルーリアのように迷った過去があったのだろう。勇者パーティは人を助けるために、世界中を旅しているのだから。
「エルシアも姫様と同じように動物が好きですわ。ですが、それ以上に人を大切に思っているのです」
…………お母様が……。
「もし姫様の大切に思う者が生きるために必要としていたら、姫様はどうなさいますか? そうしなければ助からないとしたら」
……わたしの、大切に思う人。
ルーリアはガインを思い浮かべた。
もしガインが病に倒れたとして、どうしても動物を食べる必要があるのだとしたら──。
「…………絶対に、助けます」
瞳の中に強い光を宿してルーリアが答えると、フェルドラルは優しく微笑んだ。
「そうして人のことを自分のことのように考え、行動することが、人を助けるということなのです」
「──……!」
今まで聞きたくないと思っていたフェルドラルの言葉が、すとん、と胸の中に落ちた。
「自分のしたいことだけをしても、それは人を助けるとは言いません。目の前の困っている者の気持ちとなり、その者に寄り添ってこそ助けとなるのです」
人に、寄り添って……。
「…………フェルドラルは、最初から分かっていたんですね」
フェルドラルは微笑み、ルーリアを優しく抱き寄せる。それはちょっとだけ、エルシアを思い出させる温もりだった。
「成すべきことは、お分かりになられましたか?」
静かな問いかけにルーリアは頷く。
「……はい」
「では姫様、わたくしに命じてくださいませ」
フェルドラルは改めて、その場に跪いた。
ルーリアは覚悟を決めて息を吸う。
「彼らの捧げてくれた生命を糧とします。安らかな眠りを、彼らに与えてください」
フェルドラルは深い森のような瞳に、しっかりとルーリアを映した。
「かしこまりました」
音もなく緑光をまとう大鎌を手にすると、そよ風が吹くように光の軌跡だけを残し、フェルドラルはルーリアの言葉を実行した。
それは死神と呼ぶには、あまりにも神々しい姿で。
フェルドラルはルーリアの手を取り、糧となった彼らの元へと連れて行った。
鹿の毛並みはまだ温かい。
それをルーリアは手の平でゆっくりと撫で、それから風魔法で優しく包み、そのままキイカや村人たちの所へ届けた。
村の人々が歓声を上げる。
久しぶりのご馳走だと、笑顔で感謝される。
誰もが喜んでくれた。これでみんなが助かる、と。
ルーリアはその様子を笑顔で見届け、それから一人で村の外へ向かい、誰もいない所まで離れると地面に膝を突いた。
フェルドラルから「よく頑張られました」と、声がかけられる。
そのひと言で、ルーリアはそれまで貼りつけていた笑顔を捨て、声を上げて泣いた。
フェルドラルにしがみ付き、泣いて、泣いて。
起きていられる時間をとっくに過ぎていたルーリアは、そのまま意識を失うように深い眠りに落ちていった。
◇◇◇◇
次の日。
ルーリアが目を覚ますと、そこには目に見える形で積み重なった問題が訪ねてきていた。
ガイン、ユヒム、アーシェン、キイカ、ダーバン。その五人が眠っているルーリアの側で話し合いをしている。
……ここ、どこ?
今はルーリアの家よりもずっと雑な造りの、隙間風が吹くような木造の建物の中にいるようだ。家というよりは納屋だろうか。
たぶんまだ、オルド村の中だろう。
藁を掻き集めて布を敷いただけのような、チクチクする急ごしらえの寝床に寝かされている。
ルーリアの身体の周りには、フェルドラルの出した風がまとわせてあった。道理で毛布も掛け布もないのに寒くない訳だ。
……それよりも。
自然と冷や汗が浮かんでくる。
明らかに怒っているガインの低い声とダーバンの怒鳴り声が、耳を澄まさなくても響いてくる。そこに時々、言い訳をしながらすすり泣くキイカの声が混ざっていた。
……あぁあぁぁー。
はっきり言って起きたくない。
このまま眠ったふりをしていたい。
さすがにこのままではダメだろうが、時間が経てば経つほど起き辛くなっていく。
「んふ」
出ていくタイミングが掴めずに眠ったふりをしていると、いつの間にか側に来ていたフェルドラルがルーリアを人形のように自分の胸の前で抱きしめ始めた。
……ちょ、ちょっと体勢が苦しいんですけど?
そうは思っても、今動く訳にはいかない。
仕方なく我慢しているとフェルドラルはルーリアの髪を手に取り、何の迷いもなく匂いを嗅ぎ始めた。
くんか、くんか。すーはー。
放っておいたら口に含まれそうな勢いだ。
「ちょッ!? なっ何してるんですか!?」
思わず立ち上がって叫んでしまった。
みんなの視線が一気に集中する。
「………………あ」
ど、どうしてくれるんですかっ!!
キッとフェルドラルを睨むと、スッと視線を外された。ひど過ぎる。そして見なくても分かる。分かってしまう。ガインの視線が、めちゃくちゃ背中に突き刺さっていた。変な汗がルーリアの首筋をツツーと流れる。
「……あ、あれ? ここはどこですか? どうしてみんながここに?」
下手くそ過ぎる棒読みでルーリアは驚いたふりをした。が、しかし。ガシッと、ガインはルーリアの頭を鷲掴み、
「…………ど う し て ? どうしてだと思う?」
と、見たことのない怖い笑顔を披露してくれた。
「ひいぃっ……!」
怖さのあまり、思わず変な声が出る。
するとガインの手を跳ね除け、フェルドラルが固まっているルーリアを奪い取った。
「姫様に乱暴は止めてください。姫様は大切に愛でるものです!」
「やかましい! さっきから何なんだ、お前は!? ルーリアに触るな!」
今度はガインがフェルドラルからルーリアを奪い取る。
ひいぃ……っ!? だ、誰か、助けて!
ルーリアはユヒムとアーシェンに助けを求めたが、残念そうな顔で静かに首を振られた。
ここは我慢するしかないようだ。
しばらくの間、ガインとフェルドラルの攻防が続いた。
……うぅっ。
とりあえず、こうしてガインと無事に会えたことにはホッとした。けれど、眠っている間に何があったのだろう? キイカが連絡をしてくれたのだろうか?
「こら! ルーリア、聞いているのか!?」
「は、はいっ!…………な、何でしょう?」
「こいつは誰だ?」
苛立った顔でガインがフェルドラルを指差す。
「あ……そ、それは、その、ここでは……」
「何だ? 言えないのか?」
不機嫌な顔で腕を組み、よく分からないものを観察するようにガインはフェルドラルを上から下までじっくりと見る。
それに対しフェルドラルは『好きなだけ見るがいい』といった顔で、腰に手を当てふんぞり返っている。何でそんなに偉そうなのか。
フェルドラルは弓だけど、今の外見は人族の、しかも色香と艶っぽさのある女性だ。そんな姿なのにジロジロと見ていたら、周りに誤解されると思うんだけど。
……きっとお父さんには、お母様以外は女性として映っていないんでしょうね。
一応、ミンシェッド家に関わることだから、フェルドラルのことは人前で話さない方がいいような気がする。
「あの、お父さんにそのことで話があります。出来れば二人だけで」
「……分かった。済まない、少し外すぞ」
ガインはルーリアを連れ、建物から出て人気のない場所まで移動した。
「……で、あれは誰なんだ?」
「お父さん、あの人はフェルドラルです」
「…………は!?」
ガインは組もうとしていた腕を中途半端にしたまま動きを止めた。
「いやいや、ちょっと待て。フェルドラルって、あのフェルドラルか!?」
他にどのフェルドラルがいるというのか。
怖いから、これ以上は増やさないで欲しい。
「武器が、人型に!? そんな話、俺はエルシアから聞いたことがないぞ」
「わたしも昨日まで知りませんでした。突然──」
「んふ。何ですか? 姫様とわたくしの馴れ初めを聞きたいのですか?」
「!!」
────こいつ。
ガインは愕然とした。
隠し森の外にいるから最大限に気を張っているというのに、声をかけられるまで全くフェルドラルの気配を感じなかった。
「お望みとあらば聞かせて差し上げますよ。姫様とわたくしの奇跡のような出逢いを」
「……フェルドラル、止めてください」
楽しげなフェルドラルに、ルーリアはうんざりとした顔を向けた。
ガインは面倒そうな顔に胡散くさいものを見る目を足して、フェルドラルを警戒している。
「……これが本当にあの弓なのか? ルーリアはあまり驚いていないようだが……」
「最初、抱きつかれた時は驚きましたよ?」
「いや、そうじゃなくて。魔術具が人型になってるんだぞ?」
「魔術具の武器はこれが普通ではないんですか?」
魔術具の、というより、武器を持つこと自体がルーリアには初めてだ。ガインと不思議そうな顔で見ると、なぜかフェルドラルは得意そうな顔をする。
「これが普通な訳ないだろ。こんなのがそこら中にいたら、やってられん」
「……ですよね」
そんな気はしてたけど、これが普通ではないと言われてホッとしたような、しないような。
「しかし……」
ルーリアに抱きつこうとするフェルドラルをガインが押し退ける。
「何でこいつは、こんなにルーリアにまとわり付いているんだ?」
「……えっと」
「そのようなこと、姫様が可愛い美少女だからに決まっているではありませんか」
ガインのフェルドラルを見る目が、一気に不審者を見るものに変わった。
「お前、なに言っ」
「愚問すぎて答える気すら起こりませんが、あえて言っておきましょう。わたくしは美少女のためなら死ねます!」
真顔で豊かな胸をどんと張るフェルドラル。
そんなキメ顔をする台詞ではないはずなのに、無駄に凛々しい。
「────!?……」
許容できる範囲を超えたのだろう。
ガインは言葉を失って固まった。
エルシアは今までフェルドラルとどう付き合ってきたんだ? 取扱説明書とかないのか?
深いため息と共に、ガインの顔にはそんな思いがにじみ出ているようだった。