第50話・武器と呼ぶにはあまりにも
こんなフェルドラルでも空気は多少読めるようで、ルーリアたちが何かをしようとしていることは感じ取ってくれたようだった。
「姫様は何をなさろうとされていらっしゃるのですか? ここは、いつも姫様がおられた空間とは違う場所のようですが?」
あ、一応、まともな話も出来るんですね。
と、ルーリアはちょっとだけ安心する。
「わたしたちは流行り病にかかった人たちがいる村へ、魔虫の蜂蜜を届けに行くところです。まだ距離はあるそうですけど」
「歩かなくてはならない決まりか何かがあるのですか?」
不思議そうにフェルドラルが小首を傾げる。
女子供の足だから、のんびり歩いているように見えたのだろう。
「いいえ。早く辿り着くことが出来れば、それに越したことはありません。でも、今は歩く以外に方法がないんです」
「なるほど、理解いたしました」
えっ、何を? と、ルーリアが思う間もなく。
フェルドラルは両腕を広げ、魔法の詠唱に似た『音』を森に向かって掛けた。
『集え! 我が眷族に従う者共よ! 我が主の令を受け、風となり露命を捧げよ!』
凛とした声が響くと突風が吹き、葉のざわめきが森中に広がった。風に巻き上げられた木の葉がハラハラと降ってくる。
「な、なに……!?」
驚いて目を瞑っていたルーリアたちが恐る恐る目を開けると、そこにはズラリと森に棲む動物たちが並んでいた。
「なッ!? 何ですか、これっ!?」
熊、鹿、山羊、狼、猪……。
身体の大きな動物たちが、数十頭ほど綺麗に整列している。その異様な光景に、ルーリアの隣にいたキイカは目と口を大きく開いて固まっていた。ルーリアだって驚いている。
集まった動物たちは命令を待つように頭を低くして、じっとこちらを見ていた。それを見て、フェルドラルが満足そうに頷く。
「さ、姫様。お好きな者を選んでくださいませ」
動物たちを指し示し、フェルドラルが笑顔で振り向く。
「えっ、選ぶ?……何を?」
「急いでいらっしゃるのではなかったのですか? 人の足より早いです」
どうやらフェルドラルは、この動物たちに乗って村まで行こうと言っているようだ。
……え、えぇぇ?
人に懐いているようには見えない、現役の野生動物たち。熊を見たキイカは震え上がっているが、フェルドラルは乗っても大丈夫だと胸を張る。さっきのは魔法だろうか?
やっと状況が呑み込めたルーリアたちは、それぞれ大きな鹿を選び、怖いながらも背に乗せてもらうことにした。確かに歩くよりは早そうだ。
「その程度の距離でしたら、すぐに着きますわ」
キイカから詳しい村の位置を聞いたフェルドラルは、そう言ってルーリアたちを風で包んだ。こうしておかないと、あとでお尻がひどいことになるらしい。
仮に鹿から落ちても風があるから大丈夫だそうだが、それでも「しっかり掴まるように」と、フェルドラルから注意が入った。
「ひいぃぃぃっ!!」
「はっ、速ッ!」
「口を開くと舌を噛みますよ」
ルーリアたちは必死に鹿の首にしがみ付き、驚くような速さで、あっという間にいくつもの森を駆け抜けた。まるで風のようだ。
「んふ」
フェルドラルはルーリアと同じ鹿に乗り、どさくさにまぎれて抱きついてきていた。
鹿にしがみ付くのが精一杯で、ルーリアにそれを止める余裕はない。が、キイカがそれを生温かい目で見ていたことには気付いていた。まだ着いていないけど、もう帰りたい。
人の足で『5日かかる』と言われていた道のりを、わずかな時間で移動する。それは良かったのだが、ルーリアたちは代償として激しい鹿酔いを起こした。
そして村の入り口に着いた頃には、むしろこっちに助けがいるのではないかというくらい、ルーリアとキイカは死んだ顔となっていた。吐かなかった自分を褒めてやりたい。
「キ……キイカ、さん、大……丈夫、ですか?」
「……ル……ルーリアさん、こそ……ぅっ」
ルーリアはフラフラと立ち上がり、乗ってきた二頭の鹿を撫でた。
「遠い所までありがとうございました。もう森へ帰っても──!?」
お礼を言って森へ帰そうとすると、フェルドラルに口を塞がれた。ルーリアは視線だけで振り返る。
「まだです、姫様」
……まだ?
「彼らには、まだ役目が残っています」
役目……?
帰りも乗せてもらう、という意味だろうか。
フェルドラルが視線を向けると鹿たちは身体を休めるようにうずくまり、その場で大人しく目を閉じた。
キイカが動けるようになったところで、村に入る前にフェルドラルについて話をする。
人手は欲しいが、さすがにエルフのような見た目はダメな気がした。何より服が寒い。腕も足もまるっと出ているこの服装は、この季節の人族の村では間違いなく悪目立ちするだろう。
「あの、フェルドラルは見た目を変えることは出来ますか?」
ダメ元で聞いてみる。
弓から人型になれるくらいだから、他の姿にもなれるかも知れない。
「見た目、ですか? 可能ではございますが、何をどうなさるのです?」
なんと出来るっぽい。全てを変えて欲しいと言ったら、さすがに傷つくだろうか?
「とりあえず耳を丸く、人族のように出来ますか? あと、髪の色ももう少し暗く。出来るだけ目立たないようにして……」
「姫様はそちらの方がお好みなのですか?」
「いいえ、違います。好みは関係ありません。村の人との余計な問題を避けるためです」
「……不可能ではございませんが……」
一瞬だけ興味を持ったように見えたのに、ルーリアの好みの話じゃないと分かった途端、フェルドラルの目から光が消えた。
「あと服装も今の季節の物に……」
「それは姫様の──」
「好みの話はしていません」
ピシャリと否定すると、フェルドラルはぷいっと横を向く。
「…………やる気が起きません」
やる気!? えぇ? もしかして拗ねた?
見た目を変えることに抵抗はなさそうなのに、フェルドラルは言うことを聞いてくれそうにない。ルーリアの頼み方が悪いようだ。
こういう時って、なんて言えば……。
人の機嫌を取るようなことはしたことがない。
困っていると、キイカから手招きされる。
「あのね、こういう時は──」
こっそり耳打ちするキイカは、やけに頼もしい。こういうことに慣れているようだ。
「ええっ? それだけですか?」
「そんなものですよ」
本当にこんなことでフェルドラルが?
疑いつつも、ルーリアは再びフェルドラルに挑んだ。
えーっ、と。フェルドラルの服の端を掴み、見上げるようにじっと見つめ、少し切なそうな表情を浮かべる、と。
「……フェルドラル、お願いします。力を貸してください。貴女だけが頼りなんです」
しばらくじっと見つめていると、明らかに機嫌が良くなったフェルドラルはルーリアの両手をギュッと握り、
「何でもおっしゃってください」
と、急に態度を変えた。よく分からない。
キイカが言うには、頼み事をする時の必殺技らしい。なるほど。すごい効き目だ。
フェルドラルはルーリアに似た黒い目と髪の姿となり、服装も季節に合わせた物に変え、一緒に蜂蜜を配る手伝いをしてくれた。
そこまで人数の多い村でなくて良かった、と思う。ざっと見たところ、この村のほとんどの大人が流行り病にかかっているようだ。
病にかかっていない人も連日の看病で疲れが溜まり、顔色も悪く、十分な食事が取れていないように見えた。
冬に備えて食料を蓄えなければいけないこの時期に、大人たちが倒れてしまっているのは、この小さな村にとってかなり深刻な問題だろう。
ふと気がつくと、フェルドラルがまっすぐにルーリアを見ていた。その表情からは、何かを気付かせようとしているような、そんな雰囲気が伝わってくる。
何かやり残していることがあるのだろうか。
……わたしがすること。
魔虫の蜂蜜は配り終わった。
予備の蜂蜜も渡してある。
他に出来ることって、何があるだろう。
──料理?
直感で思い浮かんだ。
いくら病が治っても、食事を取らなければ人は飢えてしまう。蜂蜜だけでは足りないのだ。
そういえばキイカは、村の食料が底を尽きかけていると言っていた。
冬間近のこの季節では、病み上がりの人たちがすぐに食料を集めるのは難しい。
大人たちが元気になれば、狩りに出たりして食料を集めることも出来るだろうけど──……。
────狩り!
ルーリアは弾かれたようにフェルドラルに目を向けた。フェルドラルの視線は村の外に向いている。村の外には──。
フェルドラルはゆっくりとルーリアに近付いてきた。嫌な予感が全身を強ばらせる。
「姫様」
「…………」
返事をしないルーリアの腕を掴み、フェルドラルは村の外へ連れ出そうとする。
「……フェルドラル、放してください」
「いいえ。なりません」
嫌がるルーリアを力任せに引っ張り、フェルドラルは来る時に乗ってきた鹿たちの前まで歩いて行った。
……嫌です。怖い。逃げたい……!
フェルドラルは何も言っていない。
けれどルーリアはフェルドラルが何をしようと、いや、させようとしているかに気付いてしまった。
「お願いします! 許してください!」
ルーリアはなりふり構わず、縋るようにフェルドラルの足元にしゃがみ込んだ。
フェルドラルは地に膝を突き、ルーリアに目線を合わせ、凛としたよく通る声で話し出す。
「姫様、途中で投げ出されるのですか?」
「…………」
「遊び半分のお気持ちで、ここへ来られたのですか?」
「それは……違います」
「何をすべきか、もうお気付きのはずです」
「…………それは……」
「わたくしの呼びかけに応えた時から、彼らには覚悟が出来ています」
露命とは、露のように儚い生命のことだとフェルドラルは言う。それを捧げるように伝え、彼らはそれに応えたのだと。
それを聞き、ルーリアは鹿たちを見た。
二頭とも、じっとこちらを見ている。
「……でも、生きています」
ルーリアは耐えられず視線を逸らした。
「当たり前です。魔物でもない限り、死肉は走りません」
「…………嫌です」
ルーリアは大きく頭を振る。
「なぜですか?」
「わたしには人も鹿も、同じ生命を持っている生き物なんです。どちらかなんて選べません」
ルーリアには選べない。
食べないのだから、選ぶ資格がない。
「ではなぜ、姫様はここにおられるのですか?『何』をしておられるのですか?」
「わたしは、蜂蜜を、届けに……」
「何のために?」
「人を、助けたいと……そう思って」
「人は助かりましたか? もう何の助けもいらないと、そう姫様は思われているのですか?」
「…………思い、ません……」
助けはまだ十分ではない。
まだ、足りない。頭では分かっている。
「でも、何も。生命を奪わなくても……」
「人が生きるためです。人はそうして生きているのです、姫様」
「……分かっています。分かっています、けど……っ」
涙が浮かぶルーリアの瞳を見つめ、フェルドラルは静かに問いかける。
「人を助けるのか、助けないのか。それだけお選びください。姫様はどうなされたいのですか?」
そんなの、人を助けたいに決まっている。
なのに、それなのに、それを口に出せない。
生命を生命で救う選択が、出来ない。
重くのしかかるフェルドラルの問いかけに、ルーリアはただ押し黙ることしか出来なかった。