第44話・パタパタのしっぽ
「ん~~……。ふふっ」
うっとりした顔のルーリアにガインたちの声は届いていない。すっかり白虎に夢中だ。
『……ルーリアはしばらく放っておこう』
ガインたちは仕方なく、このまま戦闘訓練の反省会をすることにした。
『先を読んで連携する作戦は悪くなかったな』
「まさか補助魔法だけで、あそこまで速く動けるようになるとは思っていませんでした」
魔力を持たないユヒムには、ガイン以上にルーリアの動きが見えていなかった。
『あれはただの補助じゃないだろ。風と地の魔法で速さと重さを操作してあった。それをお前の動きに細かく合わせていたからな』
「あの速さでですか? ルーリアちゃん、実戦は初めてなんですよね?」
『蜂と遊んでいるのを数に入れないならな』
「あぁ……!」
だからか、とユヒムとアーシェンは納得する。
魔虫の蜂の群れを相手にしていたら、常に実戦しているようなものだ。ルーリアがのんびり森で過ごしているから、つい忘れていた。
「空中に足場を作るのは、タイミングが合えばかなり有効ですね」
『そうだな。足場を崩されたこっちとしては少しやり辛かったが』
真面目に話す三人の横で、ルーリアはガインのしっぽにじゃれついていた。
たまにペシッと頬に当たると、緩んだ顔で喜んでいる。仕草がぶたれて恍惚としているようで、ちょっと痛い子に見えた。
ふあぁっ、しっぽもふさふさっ!
これ、お父さんが動かしているんでしょうか? ずっと見てるとウズウズしてくるんですけど?
「ルーリアちゃんの顔が子猫みたい」
「なんて言うか……やりたい放題ですね」
ふわふわの毛に顔をうずめたり、腕の下に潜って肉球にそっと触ったり、しっぽを掴んでじゃれたり。
アーシェンの言う通り、落ち着きのないルーリアの動きは子猫にしか見えなかった。
『……放っとけ。いろいろと手遅れだ』
ユヒムたちの手前、初めは軽く抵抗していたガインも今では好きにさせている。ルーリアは特にしっぽが気に入ったようで、完全に目が釘付けだった。
「ガイン様が人型に戻ったら泣いちゃうんじゃないですか?」
ユヒムが笑いながら言う。
『ぐ……っ。それは困る。ルーリアが泣くくらいなら俺はこのままでも……』
「いえあの、冗談ですから」
「もうすぐ日も暮れますし。たぶん、このまま寝ちゃうんじゃないかしら?」
ガインとユヒムが無言で西日に目をやる。
『俺はその方が助かるがな』
「でも良かったじゃないですか。ルーリアちゃんがこんなに喜んでくれて」
喜んでいるというよりは、引くくらい食いついている。今までよそよそしかったことが嘘のようだ。
『……このまま眠って忘れてくれるといいんだが。毎度、虎になって欲しいとねだられたら堪らん』
酔ったエルシアを知っているユヒムとアーシェンは、顔を見合わせ声をそろえた。
「無理ですね」「無理でしょう」
じゃれていれば無邪気な子供に見えるルーリアだが、戦闘訓練での様子を思い返し、三人は複雑な表情となった。
「それにしても、ルーリアちゃんの魔法はすごかったですね。四属性を使いこなして、同時に補助と無詠唱魔法ですから」
「さすがはエルシア様のお子ね。ダイアランの宮廷魔術士でも、こうはいかないんじゃないかしら」
二人の驚嘆の声にガインは少しだけ目を細める。
『俺は初めての対人戦闘で、模擬戦とは言え、ルーリアの落ち着きが気になった。遊びか何かのつもりだったんじゃないか?』
「…………あれが遊び、ですか」
しっぽにじゃれつくのと同じ感覚だと話すガインに、ユヒムとアーシェンはごくりと息を呑んだ。
『今回ルーリアには詠唱の攻撃魔法を使わない縛りがあった。もしその縛りがなかったら、俺も無傷では済まなかったかも知れん』
「まさか! ガイン様がですか!?」
アーシェンが驚きの声を上げる。
もしそれが本当だとしたら、宮廷魔術士どころの話ではない。外に情報が漏れでもしたら、魔女のように国を挙げての監視対象にされてしまうだろう。
ガインはルーリアの魔法をエルシアと同等に考えていると二人に告げた。
『ルーリアの部屋にはエルシアが持ち込んだ古い本がたくさんある。その中には詠唱型の攻撃魔法も載っていた、とルーリアは言っていた。俺もエルシアの魔法の全てを知っている訳ではない。だからルーリアの知っている魔法も、俺が知らないものだと思っておいた方がいいと思った』
ユヒムとアーシェンが表情を強ばらせる。
「古い本……。まさか、古代魔法ですか?」
『俺にはよく分からん。今のルーリアが使うことはないと思うが、一応そのことを覚えておいてくれ』
「はい、分かりまし……あ」
急に大人しくなったルーリアに気付いたユヒムが、そっとガインの背から下ろす。
「眠ったようですよ」
ガインは人型に戻り、胸の前でルーリアを抱えた。あどけない寝顔のルーリアは、どこか微笑んでいるように見える。
「……最近、よく笑うようになったな」
優しい目でルーリアの顔を覗き込み、ガインは微笑んだ。『ガイン様もですよ』とは、ユヒムもアーシェンも口にはしない。
「そうね。一緒に料理をしている時も、自然な笑顔が増えたかしら」
「今日のクッキーの時は本当に嬉しそうでしたね」
「……俺が思っている以上に、ルーリアは料理を気に入っているんだな」
もっと早くに気付いてやれていたら。
薄く目を伏せたガインに後悔の念が湧く。
「二人には近い内に厄介な頼み事をするかも知れないが……」
「はい、お任せください」
「私の方でも、いろいろと手配済みです」
ガインが全てを口にする前に、ユヒムとアーシェンは頼もしく声を返した。
「助かる。ありがとう」
茜色に染まり始めた、秋の夕暮れの丘。
人生で初めて思いっきりはしゃいだルーリアは、心地好く揺られる腕の中で和やかな眠りに就いていた。
◇◇◇◇
次の日から、ユヒムとアーシェンは『病人が出た』と報告のあった町や村に魔虫の蜂蜜を届けに行くようになった。
地域に馴染みのある商人を使い、症状などの情報を集め、訪れた先では流行り病でも他の病気でも、とりあえず魔虫の蜂蜜を配っていく。
見ただけでは何の病なのか二人には見分けがつかない。そのため、手当り次第に配るという粗っぽいやり方になっていたが、効率的でとにかく早かった。
ただの体調不良か分からないのに、魔虫の蜂蜜を配るのは勿体ないかも知れないが、それだけ流行り病は人族にとって恐ろしいものなのだ。
地域ごとにまとめた対応となるが、前から何度となく繰り返してきたことのため、人々は商人たちを快く迎え入れた。この受け入れの早さこそが、ガインたちが築き上げてきた人々との信頼の証と言える。
一方その頃、ルーリアはガインと一緒に森で蜂の巣箱を回っていた。今年最後の採蜜だ。
魔虫の蜂たちは冬の間、巣箱の中で身を寄せ合って過ごす。冬を越すためには蜂たちにも蜜が必要となるため、この時期は少しだけ分けてもらった後は、春まで手を出さないようにしていた。
蜂蜜が流れている間、ルーリアは白虎の姿のガインにピッタリと張りついていた。
「お父さん、虎になって欲しいです」
「…………やっぱりか」
ルーリアが両手の指を組んでお願いすると、ガインは諦めた顔となった。何だかんだ言って、娘には甘い。
それに、今までわがままらしいことを言ったことのない娘からの頼み事だ。断るには、それなりの覚悟が必要だった。当然、ガインにそんな覚悟はない。
何も言わずに白虎となり、あとはルーリアの好きにさせていた。と言っても横になって目を瞑っているだけだが。
……はぁぁ~、幸せ。もふもふ。
動き回ると『くすぐったい』と困った声で言われるから、今は大人しく顔をうずめている。
ふわふわの毛は柔らかくて温かい。
陽が当たると極上の眠りを誘ってくる。
まだ昼なのに、ルーリアはうとうとしていた。
すると、ぱたっ……ぱたっ……と、音が聞こえてきた。
「…………」
じぃっと、音の出処を見つめる。
ぱたっ……ぱたたっ……
音の正体は、しっぽだ。
「……お父さん」
『何だ?』
「しっぽって自分で動かしているんですか?」
『しっぽ?』
「見ているとウズウズします」
『……考えたことなかったな』
ぱたっ……
「…………」
『…………』
ぱたっ……
『無意識だな』
「くぅ……っ。つ、辛い……っ」
ルーリアは我慢しきれず、ガインのしっぽに飛びついた。掴まえたしっぽの先がパタパタしている。
『ルーリア、離さないか』
「じゃあ、動かさないでください」
『無意識だと言ってるだろう』
「この動きが無理なんです」
『……? 何が無理なんだ?』
「ん~、なんて言うかこう。ウズウズして、じっとしてられなくて。しっぽを掴まずにいられないんです」
我慢しようと思っても自分ではどうにも出来ない。
「なんでこんなにウズウズするんですか? 何ですか、これ? 自分では止められないんです」
なぜかしっぽが気になってしまう。
飛びつかないと落ち着かない。
そんな自分でもよく分からない状態なのに、ガインには思い当たるものがあるようだった。
『あー……。ルーリアも一応、虎なんだな』
「虎!? わたしが?」
自分がハーフであることを忘れたことはないが、こんなところでその特徴が出てくるとは思ってもいなかった。耳もしっぽも、ふわふわの毛もないのに。
『それはたぶん本能だ。動く物に反応する。諦めろ』
「そんなぁ……」
ガインは人型に戻り、ルーリアの頭をクシャリと撫でた。
「ほら、もうすぐ終わるぞ」
「……はぁい」
器に溜まった蜜を集め、タルに流し入れれば今日の作業は終了だ。
「じゃあ、帰るぞ」
ガインが重いタルを軽々と抱える。
その横をトコトコと歩き、ルーリアは並んで家路に就いた。