第42話・先の読めない戦闘訓練
四人は東の方角にある開けた丘に移動した。
戦闘訓練は、いつもこの辺りで行っている。
「魔法を使ってもいいんですよね?」
楽しげなルーリアの問いかけに、ガインは難しい顔を返す。
「そうしないとアーシェンもルーリアも何も出来ないだろう?……しかし、ルーリアは本当に大丈夫なのか?」
ルーリアの顔を覗き込み、ガインは心配そうな表情を浮かべる。本当は止めさせたいが、ルーリアはすでにワクワクした顔になっていた。言っても無駄そうだ。
「大丈夫です。どこまでやっていいんですか?」
「……やはりそう来るよな。ルーリア、ちょっと来い」
「はい」
ユヒムたちに背を向け、ルーリアを抱え込むようにガインは小声を出す。
「……お前、エルシアからどこまで習ってるんだ?」
「どこまで、ですか? えっと……?」
なんて答えたらいいのだろう?
「補助魔法は全般か? 攻撃魔法は?」
「補助魔法は少しなら。どこまでで全般と呼べるのか、わたしには分かりません」
ルーリアの魔法は恐らくエルシアの見よう見真似だろう、とガインは考えている。それだけでも十分に警戒する必要がある。
「あと、攻撃魔法はまだ習っていません。だけど家の本に載っていた分なら、ある程度は使えると思います」
家の本。その言葉にガインの表情が曇る。
本はエルシアが神殿から持ってきた物だ。
内容は分からないが、エルフの使う魔法も含まれていることだろう。
「本の魔法は厄介だな。俺の知らない物の可能性が高い」
「何となく効果の予想はつくんですけど、使ったことはないので、お父さんの苦手なぶっつけ本番になります。あとは……無詠唱魔法でしょうか?」
「俺とお前だけなら多少の無理も利くだろうが、あいつらはな……」
ガインもエルシアの魔法の全てを知っている訳ではない。予想を超えた場合を想像すると、顔が引きつった。
身の安全の話だけで言えば、魔虫の蜂をものともしないルーリアより人族であるユヒムたちの方が心配だ。
「俺も知らない魔法を使われて、下手にあいつらを巻き込まれたら面倒だしなぁ」
「それなら制限をかけますか? わたしは補助魔法だけとか」
「んー、そうだなぁ。でもせっかくだから、それに無詠唱魔法を足してもいいぞ」
「お父さんは魔法に耐性があるんですか?」
「ああ、あるぞ。まぁ、それなりに、だがな」
ガインの言葉には余裕が感じられた。
それだけ戦力差があるということなのだろう。
魔法を使っても誰かがケガをする心配はなさそうで、ルーリアはホッとした。
「わたしの無詠唱魔法には攻撃っぽい物もありますけど、お父さんは大丈夫ですか? ケガしたりしませんか?」
「無詠唱だろ? ルーリアが本気で俺を傷つけようと思わなければ平気だろう」
詠唱魔法は呪文を唱えることで結果が決められているが、無詠唱の場合は使用者のイメージが強く出る。はっきりとした攻撃意思を持たなければ、大きなダメージを与えることはない。
つまりガインは、それだけルーリアを信用しているということだ。素直に嬉しくなった。
「じゃあ、今回は詠唱の攻撃魔法は使わないようにします」
たぶん使っても、勘の良さそうなガインには通じない気がした。
「たまには俺も身体を動かしたいからな。ちょうどいい。他は加減しなくてもいいぞ」
「分かりました。補助魔法は先に掛けておいてもいいですか?」
「ああ、いいぞ」
「あと、作戦を練りたいので少し時間が欲しいです」
「構わんぞ。存分にやれ。あ、魔力切れだけは、ちゃんと考えろよ」
ガインは身体を伸ばすように準備体操を始めた。その顔は楽しげで、訓練というよりは『ちょっと遊んでやるか』といった余裕の表情に見える。
……こっちは三人掛かりなのに。
負けず嫌いなルーリアはちょっとだけ悔しくなった。
「わたしが使えるのは補助魔法と無詠唱魔法になりました」
さっそくルーリアはユヒムたちと作戦会議を開く。
「ルーリアちゃん、本当に大丈夫?」
「大丈夫です。と言っても、わたしはほとんど動きません。どちらかと言えば、ユヒムさん頼りになります」
「……オレ? 悪いけど、ガイン様相手にまともに戦えるとは思えないんだけど……」
今までの経験から言えば、ルーリアが参加したからといって情勢が変わるとは思えない。そんな声が聞こえてきそうな顔で、ユヒムはすでに諦めているようだった。
「ユヒムさんは、どうしたらお父さんに勝てると思いますか?」
「えっ!? まさか勝つつもりなのかい?」
「やるからには勝ちたいと思っています。……思わないのですか?」
「いやぁ、正直なところ無謀かなぁって」
ユヒムは本気で苦笑いしか出てこなかった。
自分は騎士でも剣士でもない。ただの商人なのだから、そう思うのが当然だ。どんなに足掻いても勝ち目はない。
しかし、ユヒム自身がそう思っているのなら、ガインも油断してくれるだろうとルーリアは考えた。
「ユヒムさんとお父さんの差は体力ですか? 腕力? それとも速さですか?」
「……全部、かな」
はは……と、力なく笑うユヒムは遠い目だ。
そもそもガインとユヒムを比べること自体、間違っている。
「それらを補助魔法で補うことが出来るとしたら、どうですか?」
ルーリアがニコッと笑顔を向けると、ユヒムは軽く目を見張った。
「……魔法が解けた後で身体がバラバラに、とかならないよね?」
「さすがにそれはないと思います。回復魔法は必要かも知れませんが」
うーん。と、ユヒムは口下に手を当て考える。
「それなら、ガイン様を一度くらいは驚かせることが出来る、かな?……分かった。少し身体を張ってみるよ」
さっきまでのやる気のない顔は捨て、ユヒムは真面目な表情となった。無謀でなければ話には乗ってくれるようだ。
「体力の方はタイミングを見て回復を掛けますので安心してください。腕力と速さは補助魔法で上げていきますね」
「それなら私も補助の方がいいわね。蜂蜜があるから魔力切れは気にしなくて平気よ。何をしたらいい?」
アーシェンの言葉を聞いたユヒムは一瞬だけ目付きを変えた。しかしアーシェンは視線だけでそれを制し、ユヒムが何か言おうとする前にそれを止める。そんな二人の小さなやり取りにルーリアは気付かなかった。
「この作戦で大事なのはタイミングだけなんですけど……」
自分が考えた作戦を二人に詳しく伝えていく。
ガインの性格からすると、最初は様子を見るだろう。いきなり突っ込んできたり、先手を取ることはないはずだ。軽い稽古のつもりでいるはずだから、きっと油断もしてくれる。
ユヒムとアーシェンは互いの合図を決め、ルーリアの作戦におおむね乗った。
「このやり方だと、ユヒムさんが一番大変だと思います。絶対にケガはさせませんから、思いきって行ってください」
「ちょっと怖いけど、二人を信じるよ」
「風の速さに慣れるまでは力を抜いててくださいね。変に抵抗すると身体を痛めますから」
「分かった」
「アーシェンさんはタイミングだけ合わせるようにお願いします。間に合わない場合はわたしも魔法を出しますので、ぶつかっても気にしないでください」
「分かったわ。それにしても、魔法にこんな使い方もあったのね」
「最初が肝心です。みんなでお父さんを驚かせましょう」
「ええ」
「頑張ってみるよ」
ルーリアの遊びに二人が付き合っている感じだが、その顔はまんざらでもなかった。
余裕顔のガインを驚かせる。
三人はそれを最初の目標とした。
いよいよ本番だ。
ルーリアはユヒムに補助魔法を重ね掛けしていく。
『清き風を身にまとえ 、流れる風に身を委ねよ
大地の力をこの身に、速度強化
攻撃力強化、防御力強化、癒しの加護
クリティカル率上昇、物理被害軽減
風属性耐性強化、風属性の加護
地属性耐性強化、地属性の加護 』
……初めはこのくらいで大丈夫でしょうか?
地の加護で身体を軽くし、風魔法で速度を出す。
はっきり言えば、尋常ではない補助の数なのだが、戦闘をしたことのないルーリアは加減が分からなかった。
「準備が終わりました」
声をかけると、ガインは鞘に入った剣を手にした。留め具の上にさらにヒモが巻いてあり、抜くつもりがないのだと分かる。
「終了条件はどうする?」
「お父さんの行動不能でお願いします」
それを聞いたガインの口角が上がる。
「行動不能? また大きく出たな。そっちはどうする?」
「ユヒムさんの行動不能でお願いします」
「分かった。合図は──」
ルーリアは左腕を伸ばし、手の平をガインに向けた。
「空に向かって空気弾を打ち上げますので、それが弾けるのを合図にしませんか?」
「空気弾? よく分からんが、いいぞ」
「分かりました。では打ちます」
空に向けた手から小さな空気の塊がヒュウッと上がる。パンッ! と乾いた音が辺りに響き、模擬戦の開始を告げた。
ガインは空気弾を目で追い、じっと空を見上げていた。が、これもルーリアの作戦の内だった。
ガインが目線を空から地上に落とそうとした、その目端に。身を低くし、一足飛びに向かってくるユヒムの姿が映った。
いつものガインなら、そこからでも十分に対処できただろう。しかし、普段のユヒムの速度に慣れていたガインは、わずかに距離を読み違える。
「!」
すでにユヒムはガインの懐深くに身を沈め、その手に持つ剣をまっすぐに見据えていた。
ガインは反射だけで剣を構えようとしたが、ユヒムの剣が振り払われ、鞘ごと剣を弾き飛ばす方が早かった。剣の速さもその威力も、いつもとは格段に違う。
一瞬の出来事に、ガインは目を見開いた。
──よし! まずは成功っ!