第39話・クッキーを焼くなら
家の中に、麦の焼ける香ばしい匂いが広がっていく。
ふあぁ~~、良い香り!
ルーリアは魔力を集中させ、目の前のクッキー生地に手をかざしていた。
ちょっとずつ、ちょっとずつ、慎重に焼いていく。
今日はそろえてもらった材料を使い、初めてのクッキー作りに挑戦している。
……のだが、はっきり言って料理というよりは魔法の特訓になっていた。
火魔法を使い、直に生地を焼いていく。
悲しいことに、この家には加熱する台以外、調理に使える器具が一切ないのだ。
調理器具はないけれど、『冷蔵庫』という食材を保存する魔術具ならある。アーシェンから「あると便利よ」と聞き、レシピを教えてもらって自分で作ったのだ。
今はミルクやバターを入れているけど、たまに使うだけだから、とても小さいサイズだ。
冷蔵庫は水と氷の術式を使った魔術具で、氷の術式だけで作ると『冷凍庫』という物になるらしい。そっちもあると便利そうだから、近い内に作ってみようと思っている。
作製に失敗すると危険だから、とアーシェンには作ることを止められてしまったけど、時の術式で作れば、食材の時間を止めて保存できる魔術具となる。置型の物は『時蔵庫』、持ち運び用は『タイムボックス』と呼ばれ、レシピ自体はすでにあるという。
ただ、時の魔術具となると、どうしても使用魔力が多くなるため、アーシェンと一緒に使うことを考えると、この家には向いていなかった。
地上界で時の魔法を使うことは人には許されていないが、術式を用いて魔術具として使用する分には、ある程度は神から許されている。
ただし例え術式であっても、時を越えて死者を生き返らせたり、生死に関わるいくつかのことは禁忌とされていて、それを破ると神から決められた罰が与えられる、と言われている。
困ったことに『これをしたら駄目』という明確なものがある訳ではなく、時の術式に生半可な気持ちで手を出せば、その身は灰となる、というのが世間一般での常識だった。
生きているものも、そうでないものも、時を止めるだけなら魔術具で可能だ。
食材の『時』を止めておけば、違う季節の物をいつでも好きな時に食べられるようになる。
だが保存している間はずっと魔術具に魔力を込め続けなければいけないため、気軽に使える物でもなかった。
それでも前にもらったピッコナの砂糖菓子は、時の魔術具を使って食材を保存していたのだろう。秋に春の味を楽しむなんて、とても贅沢なことだ。あれだけ美味しいお菓子なのだから、魔力を込めるくらいしたくなる気持ちは分かるけど。
と、そんなことを考えていると、
「あぁっ、また焦げて……!」
外側はすぐに焼けるのに、真ん中までまんべんなく焼くのが難しい。アーシェンから「クッキーはオーブンがないと綺麗に焼き上げるのは難しいわよ」と言われていたが、その通りだった。
誰が使っても同じ温度で焼ける『オーブン』という物が外の世界にはあるらしい。
マリクヒスリクという『機械』と呼ばれる技術に特化した国が、ダイアランの東隣にある。
ドワーフの王が治め、国土がミリクイードの半分もないのに人口が倍以上ある、地上で2番目に小さな国だ。
そこでは冷蔵庫などはもちろん、魔術具だけでなく、魔力を必要としない機械もたくさん開発されているそうだ。オーブンもその中の一つだという。
話を聞いたルーリアが試しに自力でオーブンを作ってみようとしたけれど、温度を一定に保つことが出来ずに断念した。
ちなみに、オーブンのレシピは出回っていないそうだ。
ルーリアは時と火の術式を使って作ろうとしたが、そもそも時の術式はどの属性にも馴染みにくかった。
んー……どうにか焼けた?
美味しいことは美味しい、けど……。
少し焦げたクッキーを試食する。
真ん中辺りは、まだもっさりとした食感だ。
サクサクのような素朴な味を目指したのだが、なんか違う。どうしてだろう?
……森で集めた木の実も入れたのに。
材料はライル粉、砂糖、バターと卵、香り付けに精油。クッキーは好きだから作り方と材料はすぐに覚えた。何も見なくても分量はバッチリだ。
バターを火魔法でほんの少しだけ温め、柔らかくしたところへ砂糖を入れてよく混ぜる。
そこへ卵黄、ライル粉を加えて、精油を数滴。
よくこねたら生地を丸めて、しばらく置いておく。その間に木の実を火魔法で炒り、風魔法で細かく刻んで熱を冷ます。
ルーリアは魔法を使うが、アーシェンはこれを手作業でしていた。前に見本として作ってもらったクッキーの方がサクサクに近かった気がする。
魔法を使い過ぎると味が落ちたりするのだろうか? そんな疑問が浮かぶ。
……でも、愛情が入っていれば大丈夫だって、アーシェンさんが……。
愛情はどの段階で入るのだろう?
生地に木の実を加え、こねながら考える。
魔法を使えば調理時間の短縮となり、洗い物もほとんど出ない。とても便利だけど、魔法を使って作る料理はアーシェンが作る物とは何かが違う気がした。
全てが同じ形で整い過ぎているから?
気持ちが見えないというか、ちょっと作業っぽいというか。魔法を使うと愛情が入らないのだろうか?
「……ハッ……」
よくよく考えると、かなり意味不明なことで真剣に悩んでいた。料理に入る愛情が魔法で変わるというのなら、それはもう呪いと呼んでもいいと思う。
……素直に恥ずかしい。
料理は実践あるのみ、とアーシェンは言っていた。愛情がどの辺りで入るのか分からないのは、まだまだ料理の腕が未熟だからだろう。……たぶん。
クッキー生地を長方形に整え、風魔法で同じ厚さに切りそろえる。これを火魔法で焼き上げれば、完成だ。
「……よし!」
今度はこんがりと綺麗に焼き上がった。
間違いなく、料理ではなく魔法の腕が上がっている。料理って、どうすれば上達するのだろう?
……むぐぅ。
どちらにしても魔力を放出するだけの攻撃魔法とは違うから、これからも料理に魔法を使うなら練習は必要だろう。もし少しでも間違えたら、火魔法で家を焼いたり、風魔法で台所を切り刻んだり、と大惨事になってしまう。
料理に魔法を使うのは体調の良い時だけにしよう。うん、そうしよう。
「ん~~、良い香り……」
粗熱の取れたクッキーを味見してみる。
んん~……。甘くて香ばしいっ!
焼き立てのクッキーは本当に美味しかった。
少し前まで、ルーリアは木の実を焼くくらいしか知らなかった。それが今では、こんなに美味しい物を作れるようになっている。
……料理って、やっぱりすごいなぁ。
アーシェンから教えてもらう料理は、ルーリアの中で2種類に分かれた。お菓子と、それ以外だ。
ルーリアは甘い物が好きだから、どうしてもお菓子ばかりに心を惹かれてしまう。
アーシェンが『ご飯』と呼んでいる時間にも、本当ならお菓子を食べていたかった。
人族はなぜ、ご飯とお菓子を食べ分けているのだろう? 好きな物だけではダメなのだろうか? 絶対、お菓子の方が美味しいのに。
……さて、と。
ルーリアはもう一度、食材に向き直った。
いま作ったクッキーは言わば練習だ。
ルーリアにとっては、ここからが本番だった。
「ふふふ……」
完全にエルシアの影響だが、料理も調合も、作るなら『オリジナルあってこそ』だとルーリアは思っている。だから今から作るのは、自分のオリジナルのクッキーだ。
今回使うのは、魔虫の蜂蜜と自分で作った果実酒。
まずは果実酒。
いろんな種類があるけれど、今回は少し甘酸っぱい物を選んだ。透き通った紅色の酒から水分だけを抜き、トロリとした濃縮酒を作る。
次に蜂蜜。
蜂蜜からも同じように水分を抜き、固まる直前の粘り気の強い水飴状にした。
その二つを混ぜ合わせたところへ、炒って細かく砕いた木の実を加える。それをクッキー生地で包んで焼いてみようかと考えていた。
木の実を包んだクッキー生地をねじって平たくし、真ん中にくぼみをつけて濃縮酒を載せる。
ちょっとだけ花のような形に見えた。
あとは焼くだけだ。
焼くといっても周りを火魔法で包み、中の温度を少しずつ上げていく感じだから、蒸し焼きに近いかも知れない。
試しに一つ、焼いてみた。
……が、焦げた。濃縮酒が炭になっている。
……うーん? ちょっと時間差が必要かな?
焦げた原因は単純に濃縮酒が焦げやすいからだろう。クッキー生地に火が通る前に焦げた感じだった。先に生地を焼いて、最後に濃縮酒を載せた方がいいのかも知れない。
もう一度、挑戦する。
生地を焼き、火が通ったところで、くぼみに紅色の濃縮酒を置く。ちょっと焦げそうだったから途中で蜂蜜を追加した。
慎重に焼いていき、こんがりとした色になった頃、くぼみの紅色にも綺麗なツヤが出始めた。
……これは、良い感じなのでは?
想像していたよりも良い出来になった気がする。本当は焼き立てに噛じりつきたかったけど、本気で熱いと思うから我慢して待った。
香ばしい匂いに、甘酸っぱい果実の香りがよく合う。風魔法で冷ませば一瞬かも知れないけど、香りが飛んだら嫌だからじっと待った。
……こういう時、猫舌って不便。
冷めたところで食べてみると、サクサクというよりはザクザクだった。蜂蜜と絡んだ木の実が飴掛けされて固まっているような。
んー……。カリカリ? ザクカリ?
想像していたのとはちょっと違うけど、なかなか美味しいと思う。ただ、素朴さは皆無だった。
……サクサクにはほど遠いなぁ。
クッキーは凝れば凝るほどサクサクから遠ざかる。そのことに、この時のルーリアはまだ気付いていなかった。