第4話・木漏れ日の天使
「集めてきました」
しばらくしてルーリアが戻ると、少年は焚き火の側で焼けた石の上に何かを載せていた。
辺りには香ばしい匂いが漂っている。
「何をしているんですか?」
良い匂いはしていても、少年が何をしているのかルーリアには分からない。
「手軽な物を作っている。木の実を焼くから、採ってきた物をここに置いてくれ」
「……焼く?」
ルーリアはその言葉に首を傾げ、それでも言われた通りに木の実を灰の上に置いた。
採ってきたのは、ミデルとダルフとクッカム。
どれも食用とされていて、秋の味覚の代表格とされる木の実だ。けれどルーリアはミデルしか口にしたことがなかった。ダルフとクッカムに至っては、どこをどうやって食べるのか見当すらつかない。
少年は焚き火に手をかざすと、吸い取るように集めた火で木の実を囲った。
「あっ。自分だって、無詠唱で火と風の魔法が使えるんじゃないですか」
さっき水魔法を見て大袈裟に驚いた少年に、今度はルーリアが呆れた目を向けた。詠唱魔法よりも無詠唱魔法の方が扱いは難しい。
そんなルーリアの視線など気にもせず、少年は木の実にじっくりと熱を通していた。
「オレが使えるのは、この二つだけだ。それだって、この焚き火から移すくらいがせいぜいだ。お前のように何もないところから出そうとするなら、かなりの魔力を込めなければいけない」
ルーリアは少年の隣に腰を下ろし、見よう見真似で木の実を焼いた。
「こう、ですか?」
「……お前、火と風も使えるのか。他に……まあ、いいや」
少年は何かを言いかけて止めた。
余計な詮索はしない、ということだろう。
ルーリアも黙って隣に座っていた。
「あまり火は近付けるなよ。ダルフとクッカムは少しずつ水分を抜いて乾燥させていく感じだ。ミデルはオレが焼こう。焼き過ぎると固くなって不味くなる」
その少年のひと言にルーリアは驚く。
「えっ? もしかして、これを食べるんですか?」
「当たり前だろ。……何だ? 好き嫌いでもあるのか?」
小さな子供のわがままかと思い、少年はムッとしそうになった。しかし、雷にでも打たれたような顔のルーリアを見て呆気に取られる。
「そんな顔して……どうした?」
つい心配になって尋ねると、ルーリアは思い出したように息をついた。そして、どう説明したらいいか迷っているような顔をして、そろっと口を開く。
「……あ、えっ……と。木の実を焼いて食べるだなんて、考えたこともなかったから……」
素直に答えたルーリアに、今度は少年が驚き返した。
「は? じゃあ、今までどうやって?」
「生で噛じって、渋いな、って。そういう物だと思っていたから」
「…………生で……」
それ以上は言葉が出てこなかった。
ダルフとクッカムは間違っても生で食べるような物ではない。『渋い』ということは、ミデルを噛じった感想だろうが、それだってエグ味が強くて食えたものではないはずだ。
少年は『しまった』といった顔になった。
実の親に監禁されているくらいだ。まともに食事が与えられているとは思えない。下手をすれば完全に放置されている。そんな荒んだ食生活が思い浮かんだ。
「……あ、や、焼けたな」
少年は話を逸らすように、焼き立てのミデルにナイフを入れた。硬い皮ごと十字に切り込みを入れ、食べやすいように実を割る。
黄金色でホクホクの実が湯気を上げると、ルーリアは目をキラキラさせて歓声を上げた。
「わぁっ、すごい! ミデルって焼くとこうなるんですね!」
その無邪気な笑顔に、少年の心はチクリとする。
少年は近くの茂みから大きな葉を摘み、その上に焼けた実を載せてルーリアに渡した。
「まだ熱いから、ヤケドに気をつけるんだぞ」
「……えっ。……これ……わたしがもらってもいいんですか?」
戸惑った顔で、幼い少女がそんな言葉を口にする。自分で採ってきた木の実なのに、焼く手伝いをした上でもそう思ってしまうのか、と少年はひどく胸を締めつけられた。
そして少女の父親に対し、子を虐待しているひどい親だと静かに怒りを覚える。
「……よし、決めた」
少年は決意を固めた目でルーリアを見つめた。
「ここにいる間だけでも、オレが木の実の焼き方を教えてやるよ」
「えっ、焼き方を! 本当ですか!?」
瞳を輝かせて少年を見つめ、ルーリアは花が咲きこぼれるように微笑んだ。
「あなたは本物の天使だったんですね!」
──!……。
もし本当に天使がいると言うのなら、それは目の前にいる少女のような、純粋な心の持ち主のことを言うのだろう。
柔らかな木漏れ日の中、そこに立つ少女を眩しそうに見つめ、少年はそう思った。
「~~~~ッッ!」
熱ッ! 痛ッ!?
「ああ、お前、猫舌だったんだな」
ホックホクなミデルの実を頬張ったルーリアは、この日、自分が猫舌であることを初めて知った。
……こ、これが、猫舌。
焼けた実が熱いことくらい考えなくても分かることなのに、ちょっとはしゃぎ過ぎたかも知れない。
ルーリアは顔を赤くして反省した。
舌にひりつく痛みが走り、自然と涙目になる。
「……大丈夫か? 味、分かるか?」
少年は心配のあまり、ルーリアから目が離せなくなってしまったようだった。手のかかる子供みたいに見られている自分が、かなり恥ずかしい。
「ヤ、ヤケドは痛いけど大丈夫です。ほんのり優しい甘みがあって。これ、本当にミデルですか?」
生の実を口に入れた時の渋さや硬さはなく、噛まなくてもホロホロと崩れていく。
焼いたミデルの実は、もはや別物と言えた。
何より甘くて美味しい。
「自分で採ってきたんだから間違いないだろ。どうだ? 焼いた方が美味いだろ?」
それはもう段違いに。
ルーリアはコクコク頷いた。
「全然知らない別の食べ物みたいです。とっても美味しい」
フーフー、はふはふ、もぐもぐ。
食べることに夢中になったルーリアからは、そんな音だけが聞こえてきた。
まるで森の小動物みたいだな、と少年は思う。
「気に入ったなら良かった」
ルーリアの様子に安心した少年は、炭のように真っ黒に焦げたダルフとクッカムを平たい石の上で押し潰した。外側にあった硬い殻がパリッと割れ、中から乳白色の実が姿を現す。
それをさらに軽く火で炙り、細かく刻んで先ほどの小さな革袋に混ぜた。辺りはすでに焼けた実の香りでいっぱいになっている。
「それは何を作っているんですか?」
ルーリアが興味津々で覗き込む。
「これか? これは……」
尋ねられた少年は少し考えた。
袋の中身は麦の粉に砂糖を混ぜ、水を足してこねた物だ。そこに炙って刻んだ木の実を油代わりに入れただけ。料理と呼べるような物ではないし、小腹を満たす程度の軽い野営食でしかない。
「名前はない。食べた後に好きな名前を付けていいぞ」
材料の説明をしても、この少女には分からないだろう。だからと言って、自分で呼び方を考えるのも面倒くさい。少年はルーリアの好きなように呼ばせることにした。
「えっ、名前を? そ、それは責任重大ですね!」
いちいち真面目に返してくるから面白い。
変わったヤツだ。と、少年は改めてルーリアを観察した。
紫黒曜の瞳とクセのない漆黒の髪は、人族にしては珍しい色だと思う。
透き通るような白い肌なのに、着ている服は素朴な農作業用の物で妙に違和感がある。
見た目は質素だが、布地はかなり高品質な物のようだ。
幼いのに不思議と目を惹きつける容姿で、成長したら……なんて想像してしまう。
それと、遠くを見る横顔がとても綺麗だ。
「……っ」
火の粉の弾ける音で、慌てて視線を手元に戻す。知らぬ間に少女に見とれていた自分に気付いた。
顔が熱く感じるのは、きっと焚き火の近くにいるせいだ。
気を取り直して焼けた石の上に生地を載せると、ジュワッという焼ける音と、今までを超える香ばしい匂いが辺りに広がった。