第34話・沈められる心
……待ってください。卵!?
エルシアは確かに邪竜が消滅する瞬間を、自分のこの目で見ていた。
そこに新しい卵が現れていた、とある。
……けれど、記憶に残らない!?
記述の通りであれば、今の自分たちは卵の存在を記憶から消されていることになる。
では、卵は今どこに? そう考えた時、エルシアの脳裏に引っかかっていた疑問が浮かび上がってきた。
…………まさか、私の、工房……!?
ルーリアの部屋にある自分の工房。
そこに鍵を掛けた理由が、はっきりと思い出せなかった。気になっているはずなのに、自分からはその扉を開けようともしていない。
さらに嫌な思考は続いた。
……では、ルーリアの魔力流出は卵のせいだと? この10年間、ずっと邪竜の卵に魔力を注いでいたと?
辻褄の合う現実が、エルシアに重くのしかかる。いずれ必ず魔王の元へと至るとは? それはどういう意味なのか。
いま得ているこの情報も、地上界に戻ればきっと記憶から消えてしまう。
……そんな、私はどうしたら……。
愕然としたエルシアの様子に気付いたオズヴァルトが、同じ記述を目で追う。
「これは……!? 少なくともオレは記憶にない」
「私もです。ですが──」
と、そこまで言いかけ、エルシアは盗聴の可能性を考えた。ここで家のことを口にするのは危険だ。今はとにかく冷静にならなくては。
「……勇者様。私はこの場では言葉を控えたいと思います」
家族を守ろうとするエルシアの強い眼差しを受け、オズヴァルトは頷く。
「そうですね。一旦、部屋に行きましょう。エルシアさんの顔色も優れないようですし」
「……すみません」
自分の息子のことを思えば、オズヴァルトも早く資料を探したいだろうに。
エルシアはせめて女神に早く会えるようにと、ミューラの記述にある細工を施した。
かつて自分が使用していた部屋に入ったエルシアは、中にいた使用人にオズヴァルトを来客用の部屋へ案内するように命じる。
「それと、応接室の準備を」
「かしこまりました」
部屋の準備が整うのを待ち、そこで改めて会談となるのだが、使用人が控えるため二人だけで会うことは出来ない。
「それではエルシア様、こちらでお召し替えを」
「……いえ、結構です」
「かしこまりました」
エルシアは久しぶりに感じる手間の多さにうんざりとした。少し話をするだけなのに、やれ部屋の準備だ、やれ身支度だ、と無駄が多すぎる。
「…………はぁ」
神殿に残されていたエルシアの部屋は、十数年離れていたというのに、飛び出した当時のままだった。埃を被った様子もない。
ここは昔、エルシアの母が使っていた部屋でもあった。その母はエルシアを産んだ直後に亡くなったと聞いている。
この部屋の中に使用人がいたのは、ベリストテジアから指示があったからだろう。その実態は監視役なのだろうが。
『状態変化無効、状態異常無効
罠の解除』
使用人に聞こえないように、呪文を詠唱する。
自分の部屋が一番危険なのは、昔から何も変わっていない。無事に家族の元へ帰るまでは、決して油断する訳にはいかないのだ。
「エルシア様、こちらへどうぞ」
使用人に案内され、エルシアはオズヴァルトの待つ応接室へと向かった。
差し障りのない言葉を交わし、合間に自分たちだけに意味を持たせた話をして、使用人の淹れたお茶を口にする。
エルシアはオズヴァルトにも、こっそり補助魔法を掛けていた。ここで出される物には何が入っていてもおかしくはないのだ。用心だけはしなければ。
「では、6日後にミューラ様へのお目通りをお願いしておきます。お忙しい方ですので、お会い出来るのはその日が最も早いそうです」
先ほど細工を施した記述に、ミューラからの反応があった。神官時代、女神に尋ねたいことがあった時によく使っていた裏技だ。
「ありがとうございます、エルシアさん。本当に助かりました。……そうだ。これを持っていてください」
オズヴァルトは小さな装飾品を一つ取り出した。
「これは?」
「お守りです。いざという時、身を守ってくれます」
「……ありがとうございます」
それは手首に着ける形のお守りで、透き通った水色の宝珠で作られていた。魔力がいらない特殊な素材で、オズヴァルトの手製らしい。
勇者としての勘が何かを感じ取ったのか、ここで渡すということは、きっと意味があるのだろう。
わざと使用人に見せているのも、ベリストテジアへの牽制なのかも知れない。エルシアはすぐにお守りを身に着けた。
……有り難く使わせていただきます。
◇◇◇◇
そして、その夜。
牽制の意味が伝わらなかったのか、エルシアの寝室に忍び込んできた者がいた。
使用人だろうか? それとも……神官?
しかし、それは神殿の騎士だった。
ガインと一緒にいるところを何度か見たことがあるから間違いない。オズヴァルトからもらったお守りに弾かれ、その騎士は慌てて部屋を出て行った。
騎士が神殿内を見回ることは珍しくもないが、部屋にまで入ってくるとなれば話は別だ。
神官の部屋に無断で入ったとなれば、その場で殺されても文句は言えない。何か特別な用事でもあったのだろうか。
エルシアはその騎士が出て行った扉を見つめ、もしかしたらガインの仇討ちだったのかも知れない、と考えた。
神殿では、ガインはエルシアに殺されたことになっている。この部屋に入ってきた理由が、仲間を思ってのものだったとしたら、自分が狙われているかも知れないのに、エルシアはちょっとだけ嬉しくなった。
それなら後を追う気にはなれない。
エルシアはこの件を見逃すことにした。
次の日。
「……えっ? さっそくですか?」
「はい。私も驚きました」
渡されたその日に、お守りが威力を発揮した話は、茶の席で軽い笑い話となった。
しかし。
「エルシア様、使用人の身でありながら、不躾な発言をお許しください」
「許します。何ですか?」
「もしかしますと、その者は浮き名が多いことで、神殿内でも有名な者かも知れません。万が一があってはいけませんので、夜間はくれぐれもお気をつけくださいませ」
使用人から、まさかの注意だった。
「それって、夜這……」
もうほとんど言ってしまっているが、オズヴァルトは言葉を呑み込んだ。いや、そんなまさか、と。神官に手を出すような馬鹿が神殿騎士にいるとは思えない。
「……分かりました。そのような存在は許すべきではありません。次に会うことがありましたら、全力でお相手いたしましょう」
「!? エルシアさん!?」
ガインのためではなかったことにガッカリして、そんな不埒な騎士がいることに苛立ちを覚える。なぜかエルシアの殺る気スイッチが入り、オズヴァルトが慌てることとなった。
◇◇◇◇
その後、エルシアたちは毎日のように資料室に通い、邪竜に関する記述を探した。
過去の被害報告の中に変色の記述はあったが、残念ながら治療法については載っていなかった。
そんな、ある日のこと。
ベリストテジアが神官を数名連れ、通路をこちらへ向かって歩いてくるのが見えた。
すれ違うだけでも緊張が走る。
早く通り過ぎてしまおうと、エルシアが歩く速度を早めようとした、その時。
「エルシア、ちょうど良い機会だから貴女に紹介します」
ベリストテジアが通路を塞ぎ、声をかけてきた。そして四人の神官がエルシアの前に並べられる。全員エルフだが、エルシアの知っている者は一人もいなかった。
ミンシェッド家の者で、今までに一度も見たことがない者たち。そのことにエルシアは恐怖を覚えた。もし、この中に神の眼の使い手がいたら、と最悪の事態を覚悟する。
例えこちらに勇者がいたとしても、向こうは魔法に長けているであろう神官五人だ。
力ずくで押さえつけられ、そこに神の眼を使われてしまったら、瞬時に自分の瞳を壊すことでしか家族を守ることが出来ない。
……絶対にガインやルーリアのことを知られる訳にはいかない!
「こちらからエドキナ、ラウウェル、クインハート、ゼーレキオです。皆、分家の者で貴女を慕ってここへ来たのですよ」
エルシアの切迫した気持ちを余所に、ベリストテジアは四人を紹介し始める。
「…………」
臨戦態勢のつもりで身構えていたエルシアは、見事なまでの肩透かしに遭い、目が点になった。
戸惑いを隠せないエルシアに、紹介を受けた若い神官たちが嬉しそうに挨拶をしてくる。
「お初にお目にかかります。エドキナと申します。お戻りになられる日を、ずっとお待ちしておりました」
「ラウウェルです。エルシア様と共に神様にお仕え出来る日を心待ちにしておりました。以後、お見知りおきください」
「お会い出来て光栄です。クインハートと申します。エルシア様と同じ場に立てる幸運と、この良き出会いに感謝いたします」
「ゼーレキオと申します。エルシア様に憧れて神官になりました。こうしてお会い出来るなんて……夢のようです」
四人の口調からは、成人したてのような初々しさまで感じられた。
狼狽えるエルシアを置き去りに、会えた喜びを口にする神官たちを見やってから、ベリストテジアは口端に浮かべた笑みを声に移す。
「可愛いでしょう? 貴女と共に神様にお仕えしたくて、皆、努力して神官となったのです。貴女を支えようと、彼らは本当に頑張りました。そんな彼らの努力を受け止めてあげるのも、貴女の大事な役目なのですよ。貴女も彼らに負けないよう、力を尽くしておあげなさい」
ろくに返事も出来ないまま、「……その、失礼します」とだけ返し、エルシアは逃げるようにその場を後にした。
…………また、何も言えずに、私は……。
ベリストテジアの言葉を聞いていると、自分がものすごく卑怯で自分勝手な存在に思えてくる。
彼らの眩しい笑顔を、これから自分が壊すのだと、裏切って逃げるのだと。そう思うだけで身体が石にでもなってしまったかのように、身も心もひどく重く感じられた。
その後もベリストテジアに会う度に、重い枷のように言葉を積み重ねられ、エルシアは罪悪感の海に暗く沈められていく。自分の行いを自問しても、正しい答えが見出せない。
いつしか心の中には後ろめたさと罪の意識が積もり、エルシアは重く深く囚われていったのだった。