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第33話・待ち伏せ


 大切な家族と心穏やかに暮らす。

 それが、エルシアの唯一の望みだった。

 他には何もいらない。それさえあればいい。

 それが神殿から野に下り、ただのエルフとなった自分の生きる道なのだと、ずっと思っていた。


 静かな森の中で、愛する夫と娘と暮らす。

 それだけで、本当に幸せなのだと。



 ──それなのに。


 今からエルシアは勇者であるオズヴァルトと共に、十数年ぶりに神殿へと向かい、神官たちの横暴を女神に訴えようとしていた。


 一族の、人の弱みにつけ込むその腐った心根に心からの嫌悪感を抱き、こんな一族などいっそ滅べばいいと、心の中で静かに怒りを燃やしながら。



 ◇◇◇◇



 エルシアとオズヴァルトは、ミリクイードの山小屋からサンキシュにある門まで転移すると、神殿へ続く道をまっすぐに進んだ。


 逃げも隠れもしない。正面突破だ。


 神殿に入ってすぐ、エルシアは表情を昔のように無機質なものに変えた。ここから先は感情を読まれる訳にはいかない。


 二人は本殿の通路を足早に進む。

 エルシアの姿を目にした者たちの反応は様々だった。

 その場に跪く者。呆然と立ち尽くす者。

 驚いてどこかへ走り去る者。


 エルシアが神殿を去ってから十数年は経っている。中には、その存在を知らない者もいるだろう。

 しかし、ここではエルフというだけで、自然と人が道を開けた。


 昔と何も変わらない神殿の中を、迷うことなく進む。本殿を通り過ぎ、エルシアたちは女神たちのいる奥神殿へと向かった。


 その途中。


 ……ああ。やはりこうなりますか。


 なぜ、こういう時だけ鼻が利くのか。

 エルシアは心の中でため息をついた。

 予想していた通り、一番会いたくなかった者たちがエルシアを待ち伏せていたのだ。


 伯母で現神官長の、ベリストテジア。

 そしてその息子の、ゴズドゥール。

 どちらも薄金色の髪に、妖しい紅紫の瞳の純血のエルフだ。


 ベリストテジアは白地に金の装飾が施された神官長の装束に身を包み、赤い唇を妖しく吊り上げる。

 息子のゴズドゥールは細身の身体を青と白の神官服に包み、肩までのサラッとした髪を掻き上げ、自尊心と自意識の高そうな顔をエルシアに向けていた。


 出来れば、この二人には二度と顔を合わせたくなかった。そう思いながら、エルシアは二人に向き合う。


 ベリストテジアは亡き母の姉で、息子のゴズドゥールは勝手に決められたエルシアの婚姻予定者だ。

 つまりこの二人が、エルシアが神殿から逃げ出す決め手となった張本人たちであった。


「ご機嫌よう、エルシア。随分と久方ぶりではありませんか。神聖な責務を果たすこともなく、貴女はどこへ身を隠していたのかしら? わたくしたちはとても心配していたのですよ」


 十数年を久方のひと言で片付け、ベリストテジアが笑みを深める。

 するとその隣で、ゴズドゥールは独り舞台にでも立っているかのように大きく手振りをつけて口を開いた。


「ああ、エルシア。今まで、いったいどこに行っていたのですか? 美しい貴女にもしものことがあったらと思うと、わたしは夜も眠れないほどでしたよ。貴女はわたしの大切な人なのですから、いたずらに心を試すようなことはしないでください。貴女はわたしの傍にさえいてくれれば良いのですから」


 何の疑いも持たず、未だに自分のものであるように振る舞うゴズドゥールにエルシアはゾッとした。

 十数年も会っていないというのに、よくそんな言葉が出てくるものだと寒気すら覚える。

 長命種族であるエルフが時間の感覚に疎いことを知っているオズヴァルトでも、この台詞には何とも言えない顔となっていた。


 だが、ゴズドゥールがエルシアに近付こうとすると、オズヴァルトはすぐに間に立ち入る。

 ガインとの約束をしっかりと守っていた。


「申し訳ないが、それ以上は近付かないでいただけますか、神官殿。今回オレは、エルシアさんの護衛として供をしています。もしそれ以上、近付くというのであれば遠慮はしません」


 神殿内に堂々と剣を持ち込めるのは勇者の特権だ。これは神が許可している。

 剣に手をかけるオズヴァルトにゴズドゥールは顔を赤らめ、忌々しそうに声を荒らげた。


「この下賎な人族風情が、何をぬかすか! まさかこの神聖な神殿で剣を抜くと言うのではあるまいな!? 貴様は神を冒涜するつもりか!」

「落ち着きなさい、ゴズドゥール。せっかく勇者様がエルシアを神殿まで連れてきてくださったのですから。長年、姿を隠していたエルシアを。……ねぇ、勇者様」


 いやらしい笑みを深め、ゴズドゥールを制したベリストテジアは一歩前へ進み出る。


「その言い様だと、貴女がたのためにオレがエルシアさんを神殿に連れてきたように聞こえるのですが?」


 オズヴァルトは語気を強め、鋭い目付きでベリストテジアを抑止する。


「あら、違いますの? わたくしは勇者様に感謝しているのですよ。こうしてエルシアも無事に戻ったのです。いつまでも無責任なことをしていないで、ミンシェッド家の者としての自覚を持ってもらわないと。ねぇ、エルシア」


 ベリストテジアは、じっとりとした視線で絡め取るようにエルシアを見つめた。


 ──ッ。


 思わず身体が強ばる。

 ベリストテジアの感情の見えない声音が、そのヘビのように絡みつく毒酒のような色の目が、エルシアは苦手だった。


「……私、は……戻るつもりはありません」


 気力を振り絞り、声を返す。

 言って聞く相手とは思っていないが、自分の意志をはっきりと伝えなければ流されてしまう。


「まぁ。何を言っているのですか、エルシア。貴女は神様から与えられた使命を放棄するとでも?」


 エルシアの逃げ道を塞ぐ言葉を熟知している顔で、ベリストテジアは声を張り上げる。


「いえ、私は」

「いいですか、エルシア。ミンシェッド家に生まれたからには、貴女には神様に仕える義務があります。そちらにいる勇者様のように、決められた役目というものがあるのですよ。貴女のわがままで神様の定められた責務から勝手に離れることは許されません。それは理解しているのでしょう?」


 エルシアの言葉を遮り、優しく諭すような口調でベリストテジアは言葉を重ねる。


「ですが」

「貴女のわがままだけを許してしまうと、神殿で働く皆に迷惑がかかるのです。貴女の役目は旅をすることでも、下界で生きることでもありません。神殿で神官長となり、ミンシェッド家の長として子孫を残し、神様に真摯に仕えることです。我々ミンシェッドの一族は、そのためだけに神様に創造されたのですから」


 エルシアに話す隙を与えず、ベリストテジアはたたみ掛けるように言葉を続ける。


「いつまでも聞き分けのない子供のようなことをしていないで、現実をご覧なさい。貴女は一族の代表なのです。それは他の誰にも代わることの出来ない、貴女だけの役目なのですよ。一族の皆の顔をよく見るのです。誰一人として自分の職務を放棄などしておりませんよ。貴女はここにいる全ての者を裏切り、自分だけ何の努力も苦労もせずに逃げるというのですか?」


 すっかり口を噤んだエルシアを見て、ベリストテジアは勝利を確信したように冷笑を深めた。


「エルシア、自分の立場というものをよく理解なさい。……ああ、そう。女神様がたは今は裁判でご不在です。貴女の部屋はそのままにしてありますから、お好きにお使いなさい。勇者様には別室をご用意いたしますので、そちらへ。くれぐれもエルシアと同室に、などと軽率な行動はお控えくださいませ」


 言いたいことを並べ終えると、ベリストテジアはゴズドゥールを連れて本殿へと去って行った。

 今すぐに何かをしてこようとする動きはないようで、エルシアはやっと息をつく。


 相手に好きなように言われるがまま、ベリストテジアたちを呆然と見送ってしまったエルシアとオズヴァルトは言葉に詰まった。


 …………何も、言い返せませんでした。


 ベリストテジアの言葉が、どれも正しく耳に残る。神殿に務める多くの者を、その全てを裏切っていると非難され、エルシアは激しく動揺した。


 自分だけが、わがままを言っているのだと。

 ベリストテジアの話す言葉が正論で、自分の考えが間違っているのだと。自信を持ってそれを否定できなくて、エルシアは俯く。


 ……私がしていることは間違っているのでしょうか。


 神官たちの横暴に怒りを覚えて神殿まで来たエルシアだったが、逆に自分の行いの不誠実さを突きつけられ、行き場のない感情に心が激しく揺さぶられる。


 自分に人を責める資格があるのだろうか。

 責務から逃げて、努力もせずに投げ出して。


 …………私は──……。



「──さん、エルシアさん!?」


 オズヴァルトに呼ばれて、ハッとする。


「大丈夫ですか?」

「……は、はい」


 ザラついたベリストテジアの言葉が耳の奥に居座っている。


 ……私が、しっかりしなければ。


 ひとまずエルシアは気持ちを切り替え、奥神殿に足先を向けることにした。しかし、


「……残念ですが一度戻りましょう」


 スキルで嘘を見抜ける神官同士の会話に偽りは存在しない。ベリストテジアの言葉通り、女神たちは不在だった。

 二人は本殿に戻る前に、目的の一つである資料室に立ち寄ることにする。


 エルシアが資料室と呼んでいるその場所には、世界中の文献が集められていた。

 内部は本棚で区切るように分けられており、階数も多く、大きな館ほどの広さがある。

 邪竜についての記述があるとすれば、下の階の奥の方だろう。


 神官が入室を妨害してくるということで、警戒をしながら入り口に向かったが、その時は誰もいなかった。エルシアが神殿に戻ったから、その必要がなくなったということだろうか。


 二人はそれぞれ、邪竜に関する記述を探した。


 ……ありました。


 水の女神ミューラによる筆録の中に、邪竜に関する記述を見つける。



『邪竜は神の創造により生み出され、卵に魔力を与えることにより孵化し、魔王に其の力を与えるものなり


 邪竜は魔王の意思にのみ従い、魔王の死後は制御を外れ、破壊をもたらし死に至るものなり


 魔王一人に対し一体の邪竜が存在し、魔王が健在である限り、邪竜は不死となるものなり


 邪竜の卵は近在する魔力の弱い者から順に魔力を奪うものなり(ただし魔王、あるいはそれに準ずる者が近在した場合は、そちらから先に魔力を吸収する)


 邪竜は魔力を多く与えた者に従順を示すことあり(従うとは限らず)


 邪竜の卵は必要な魔力量を満たせば、いずれ孵るものなり


 邪竜の卵は孵る其の時まで、神の調印により守護され、破壊は不可なり(調印は神と魔王にのみ解除可能である)


 新しい卵の生成は前邪竜の消滅時となり、その存在は地上のあらゆる者の記憶に残らず、いずれ必ず魔王の元へと至るものなり


 邪竜は破壊と再生の象徴なり

 邪竜によりもたらされた破壊は再生を促し、魔に転じることで可避とする 』



「──!!」


 邪竜の誕生と死に関する記述。

 その内容に、エルシアは目を見開き固まった。



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