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第31話・女王蜂の捕獲


 ルーリアが魔虫の蜂蜜を口にするようになったのは、この頃からだった。

 甘い味が気に入ったようで、眠る前にもらえる蜂蜜をスプーンごと咥えて嬉しそうにしている。


 それが……せめてもの救いだと思った。


 それから日を重ねて分かったのは、ルーリアの魔力流出は一日の内、およそ18時間ということだった。

 この高い山に囲まれた土地で、地面に陽の光が直接当たらない時間帯とほぼ同じだ。その間、ルーリアは自然と眠るようになっていた。


 逆に魔力流出がなく、ルーリアが起きていられるのは、陽の光が地表に当たる昼間の約6時間ほど。

 寝ている間は一定量ずつ魔力が減るため、眠る前に蜂蜜を与えるか、寝ている間にエルシアが魔力を供給する必要がある。


 最初ルーリアと同じように魔力が流出していたシャズールは、この地を離れた夜からその症状が止まっている。再び訪れた時も、魔力が流出することはなくなっていた。

 その話を聞き、試しに寝ているルーリアを外へ連れ出してみたが、魔力の流出が治ることはなかった。それについても、まだ理由が分からずにいる。


 今回の魔力流出が起こるまで、ルーリアは夜でも元気にはしゃぎ、言葉を覚えてエルシアと話をしたりしていた。

 だが今は、以前のことを聞いても覚えていることはほとんどない。まるであの時、魔力と一緒に記憶まで抜け落ちてしまったかのように、何もかも忘れてしまっていた。


 今のルーリアにあるのは、あの夜の後の、ごくわずかな記憶だけだ。自分の親が誰であるのかもよく分かっていない。今まで家族三人で過ごしてきた、あの愛おしい時間が丸ごと失われたのだ。


 ガインとエルシアには、それが何よりも辛かった。



 ◇◇◇◇



 冬の間、エルシアはルーリアに付きっきりになった。


 記憶を失くしたルーリアは、何も知らない赤子のような反応をする。エルシアは起きている間はもちろんだが、ルーリアが寝ている時でも出来るだけ傍から離れないようにしていた。


 自分が目を離した隙に何かあったらと思うと怖くて堪らない、とエルシアは力なく話す。

 その顔には、日に日に暗い影が落ちていった。


 そんな、ある日。


 ガインはエルシアに魔術具を作るよう提案した。

 エルシアの魔力を込めておき、そこから自動的に魔力供給が出来るような物は作れないか、と。

 もし何かがあった時、そういう物があればエルシアも少しは安心できるのでは、と考えたのだ。


「……分かりました。考えてみます」


 それからのエルシアはしばらくの間、ルーリアを手元に置きながら魔術具作りに力を入れた。

 やがてルーリアを寝かせるベッドそのものを魔術具にした時には、ガインは呆れるのを通り越して素直に感心したのだった。


「さすがエルシアだ。やはり予想の斜め上を行くな」

「…………それ、褒めてますか?」


 そこへルーリアを寝かせておけば、眠っている間の魔力の減りはかなり抑えられる。もちろん定期的にエルシアの魔力を込める必要はあるが、なかった頃と比べると精神的な負担が段違いだった。


 ほんの少しでもエルシアに笑顔が戻ったこと。

 それがガインには何よりも嬉しかった。



 ◇◇◇◇



 冬が過ぎ、ついに春を迎えた。


 冬の間、ガインはサンキシュの薬屋の指導の下、蜂の巣箱を出来るだけたくさん作っていた。

 もらった蜜蝋を巣箱内に塗りつけ、言われていた作業を全て終わらせている。


 春になり、約束通り蜂を誘導する仕掛けを受け取ったガインは、それを巣箱内に設置した。

 仕掛けからは変な匂いがするが、恐らく植物から出る魔虫の蜂の好きな匂いなのだろう。

 巣箱は魔虫用なこともあり、それなりに大きい。大人の背丈よりも高く、厚みのある本棚のような外見だ。


 その巣箱を風通しの良い森の中に配置して、全ての準備は完了した。



 さて、ここまでは人族の作るミツバチの養蜂場と、巣箱の大きさが違うこと以外そう変わりない。


 だが、ここから先はミツバチとは違う。

 相手は魔物の蜂だ。針には毒があるし、凶暴な上に群れを成す。十分、気をつける必要があるだろう。


 とは言っても、やることは単純だった。

 蜂の群れを発見したら残らず捕獲して、この森に放つ。それだけだ。

 一つだけ注意する点は、女王蜂を森に放つタイミングだった。先にある程度、働き蜂を入れてからでないと駄目らしい。


 この捕獲作業で一番難しいのは、この広い自然の中から蜂たちを見つけなければいけないことだろう。

 いくら大きさが人の頭くらいあると言っても、目視だけで探し出すのは無理がある。

 魔虫の蜂自体、数が少ないらしいから、どれだけの土地を回れるか、結局は体力勝負ということだろう。


 嗅覚と足の速さと体力には自信がある。

 蜂蜜の匂いも、すでに飽きるほど嗅いでいた。


 あとは、自分の運に賭けるしかない。



 女王蜂の捕獲、決行日。

 春先の満月に近い頃が最適であると聞いている。


 ガインはエルシアに隠遁の魔法を掛けてもらい、白虎の姿で結界外の森を一気に駆け巡った。


 そして、一日走り回っての結果だが。

 ガインは蜂の群れを見つけることが出来なかった。いや、正確には見つけることは出来たのだが、聞いていた話と様子が違っていた。


 まずガインが見つけた時点で、蜂の群れは一匹だけを残して全部死んでいた。

 たぶん、その残っていた一匹が他の蜂たちを攻撃したのだと思う。せっかくだから、ガインはそれを捕まえて結界内に放った。


 しかし一匹だけでは、どうしようもない。

 ガインは蜂探しを続けた。


 次に見つけた時も、一匹だけを残して全部死んでいた。凶暴過ぎる。なぜ仲間を殺すのか。

 ガインはよく分からないまま、それを捕まえて結界内に放った。


 そしてさらに、また一匹。

 勝ち誇ったように飛ぶ、その一匹だけだ。


 なぜだ? どうして同族を襲う?

 そんなに群れるのが駄目なのか、魔虫の蜂は?


 これだと群れを見つけることが出来たとしても、全部を捕まえるのはかなり難しいだろう。

 とりあえず暴れる蜂を捕まえ、同じように結界内の森へ放り込む。


 そして、次。


 これは……間に合ったと言えるのか?


 目の前で二匹の蜂が死闘を繰り広げていた。

 そして例に漏れず、他の蜂は全て死んでしまっている。実際に攻撃し合う蜂の姿を目にして、獰猛な虫であることは分かった。


『…………うーん』


 もしかしたら自分は、魔虫の蜂について間違った情報を覚えてしまっているのかも知れない。

 そう考えながら、とりあえず戦闘中の二匹を捕まえ、結界内に放り込んでおいた。


 今日一日で、合計五匹。

 蜂の群れと呼べるものは見つけられなかった。


 ……まいったな。これだけか。


 初日からつまずいた気持ちで森へ戻ってみたが、放った蜂の姿はどこにも見当たらない。

 ここには蜜蝋を塗った巣箱をあちこちに置いているから、匂いだけで蜂を探し当てるのは難しかった。

 蜂の羽音を聞こうと耳を澄ましても、飛んでいるような音はしない。


 ……まさか、もうすでに攻撃し合って死んでたりしないよな?


 結局、捕まえて放った蜂の姿を森の中で見つけることは出来ず、その日は諦めて家に帰ることにした。


「…………はぁ……」


 初めてやることだから、思うようにいかないのは当然か。まだ探し始めて一日目だ。女王蜂が生まれる時期なのは間違いないはずだから、もう少し範囲を広げて探してみよう。


 そこでガインは、ふと思った。


 もしかして、最後の一匹となる前の群れを見つけなければいけなかったのだろうか。もしそうだとしたら、動いた時期が遅かったのか?


 …………まずいな。


 ガインは焦る気持ちで夜明けを待った。



 翌日。


 不安に駆られたガインは、蜂探しに出る前にサンキシュの薬屋を訪ねることにした。


「いらっしゃいませ。ああ、貴方は。如何ですか? その後、女王蜂の方は……」


 ガインを見るなり目尻のシワを深め、店主の老婆はにこやかに歓迎してくれた。

 魔虫の蜂蜜を購入して以来、ガインは上客としての応対を受けている。


「今日はそのことで話を聞きにきた。蜂の群れは見つけたんだが、生き残っていたのは、その内の一匹だけだった。それは一応、捕まえることが出来たんだが、俺は女王蜂の捕獲時期を間違えたのだろうか?」


 すると店主は、さらにシワを寄せて微笑んだ。


「それは、ようございました。それが女王蜂でございますよ」

「…………は?」


 詳しく聞くと、単純なガインの覚え違いだった。

 ミツバチなら群れごとの捕獲で合っているが、魔虫の蜂は生き残った最後の一匹、女王蜂さえいればいいらしい。


 …………確か、森には五匹、入れたな。


 今度は別の意味で冷や汗が流れた。

 ガインは薬屋を出て人目につかない所まで行くと、すぐに家の近くの森に転移した。


 ……どうなんだ、これ。まずいのか?


 まさか、あの五匹が全て女王蜂だとは思っていなかった。あれだけ凶暴な蜂だ。すでに殺し合っていてもおかしくはない。


 ガインは急いで蜂たちを放った森へ向かい、耳を澄ました。やはり蜂の羽音はしない。

 ざっくりと周りを見回したが、蜂の死骸は見当たらなかった。もし地面に落ちていたら、黄色いしま模様で目立つはずだ。


 ……飛んでいないなら、どこかの木にでも止ま……あっ、そうか! 蜂を誘導する仕掛けがあったか!


 もしかしたら、すでに巣箱に入っているかも知れない。ガインは一つずつ巣箱を確認することにした。

 いくつかの巣箱を確認すると、その内の一つから唸るような低い音が小刻みに聞こえてくる。

 どうやら中に何かいるらしい。


 薬屋からは女王蜂が巣箱に入ったら、落ち着くまでは放置だと言われている。中にいるのが蜂ではなかったら笑えない話だが、開けて確認する訳にもいかない。


 しばらく悩んだが、二十近く用意した巣箱の内、五つから同じ反応があったことで、ガインは中にいるのは女王蜂であると暫定することにした。


 ……頼む。女王蜂でいてくれ……!



 それから少し日が経ち、生まれてきた蜂たちが巣箱の周りを元気に飛び回るようになったことで、ガインはようやく胸を撫で下ろすことが出来た。

 一時はどうなることかと思ったが、本当に良かった。


 女王蜂の捕獲は無事、成功。

 これで採蜜まで問題がなければ、いつでもルーリアに魔虫の蜂蜜を与えることが出来るようになる。


 あの凶暴な蜂が、まさか五匹とも大人しく巣箱に入るとは思っていなかったから、薬屋のくれた仕掛けの効果にガインは素直に感謝した。

 あとは巣箱に他の魔物を近付けないようにすればいい。


 こうしてガインは手探りながらも、魔虫の養蜂業を始めることとなった。



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